A級戦犯に向かって土下座をさせるカルト~天皇



裕仁という戦争犯罪者に向かって、日本人を土下座をさせるカルト宗教「天皇」

まあ、普通に滅びます。

追記

そんなことで、死なれたら、朝廷に人材がいなくなるので、困ります。by光武帝


より

劉秀はお忍びを好み、こそっと外出しては夜中に帰ることがあった。そのとき門番である郅惲は、目の前の相手が皇帝であることを確認しても、とっくに門を開けてよい時間を過ぎていることを告げて門を開けず、皇帝を追い払ってしまったのである。劉秀は泣く泣く城外を放浪し、他の門まで回って城内に入った。
 明くる日、劉秀は郅惲をたたえ昇進させ、皇帝すら法に従う存在であることを示したのである。
 ちなみに劉秀の城の抜け出しは相当な頻度であった。史書に記録されるのは銚期、申屠剛、郅惲、何湯らによって発覚した計四回であるが、見つかっただけでこれだけの回数であるから、城から勝手に抜け出すのは全くの日常茶飯事であったことがわかる。劉秀は言われるたびに家臣の意見に従うのであるが、にもかかわらずこれだけ記録が残っているということは、口だけでその場だけ家臣に合わせているだけで、全く従う気持ちがなかったことがわかる。
 太原の周党は評判高い賢者であり、劉秀は人を使わして朝廷へと招聘した。ところが周党は朝廷まで来たものの劉秀の面前で自らの志を述べ、仕官を断ったのである。劉秀の面子は丸つぶれであるし、側にいた大臣も不敬であると大いに怒ったが、劉秀は、
「いにしえより聖王には、伯夷、叔斉のような家臣にならない者がいるものだ。太原の周党が私に仕えないのも志というもの。帛四十匹(帛は絹であり当時の現物貨幣)を賜うことにしよう」
 と詔して、周党を郷里へと帰してしまったのである。


まあ、大戦前夜ごろ、「朕には、明治帝のような人材が居ないと」と戦犯裕仁がぼやいていたが、まあ簡単に「不敬」で人を罰していると、そりゃ、居なくなるは。


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