機能不全のリベラルデモクラシーが、ファシズムに一番近いかもね。


より

上記文抜粋
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マルレーヌ・ラリュエル『ファシズムとロシア』

マルレーヌ・ラリュエル著、浜由樹子訳『ファシズムとロシア』 東京堂出版(2022)

とかくロシア(政治)は検証なし前提なしで「ファッショ」「独裁」と語られ、それを否定する言説もまた「ファッショ」などとされてしまう傾向がある。
日本でも「権威主義国家群に対する民主主義国の団結」を訴える言説はもはや社会の大多数の支持を受けているかのようになっている。

本ブログでは常々述べているが、「独裁者ヒトラー」「独裁者プーチン」などというのは、否定あるいは攻撃のためのレッテル貼りに過ぎず、国家や組織内における意思決定プロセスや民意の発揚を否定するものでしかない。
全体主義学徒の見地からすると、そのような言説をしているものの言説は、それ自体が信用すべきではない。
論理学で言うところの帰謬法の一種である。
例えば、某元総理が主張した「ヒトラーを想起」がまさにそれで、「巨悪」を所与の前提とし、政敵を巨悪と関連付けることで攻撃しつつ、本題である政策論からは逸脱させることを目的とするものだ。この場合、例証そのものには殆ど意味はなく、政敵にレッテルを貼って攻撃することが目的となる。
これに対して、我々全体主義学徒の研究目的は、全体主義体制における意思決定過程や組織構造を検証することにあり、「独裁者が勝手に全て決めた」は自己否定でしか無い。
(結果、私は「全体主義を擁護」「権威主義的」として左翼内で孤立したわけだが)

ところが、ロシアはソ連からして「ファシズムを打倒し社会主義祖国を守った」ところに建国伝説=国民統合を置いており、ソ連崩壊後の現代ロシアでも左右からの攻撃にさらされ続け、ロシアなりの国民統合を追求してきた。
つまり、帝政ロシアと革命による亡命者一族、ソヴィエトとボリシェヴィキ、旧共産党と正教会、汎ヨーロッパ主義とユーラシア主義と汎スラヴ主義など、あまりにも分裂しすぎたロシア社会と国民を統合するために、30年にわたって追求してきた結果が、今日プーチン体制を構成する諸要素として存在するものであり、それが理解できなければ、現代ロシアを理解するのは無理である。
ところが、そうした諸要素を全て「独裁」「ファシズム」「権威主義」として、議論の余地すら認めずバッサリ切り捨ててしまうのが、現在西側社会で行われていることなのだ。

ロシアで語られるファシズムとは何か、ロシアが危惧する「ファッショの復活」とは何か、そして現代ロシアの統治原理、国民統合の原理は何かについて、膨大な資料を緻密に整理、分析している。
ロシア学徒あるいは全体主義学徒としては、本書はロシア研究の一到達点であると評価したい。
浜後輩(直接は知らないが)の訳も良い。

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抜粋終わり

>これに対して、我々全体主義学徒の研究目的は、全体主義体制における意思決定過程や組織構造を検証することにあり、「独裁者が勝手に全て決めた」は自己否定でしか無い。
(結果、私は「全体主義を擁護」「権威主義的」として左翼内で孤立したわけだが)

>つまり、帝政ロシアと革命による亡命者一族、ソヴィエトとボリシェヴィキ、旧共産党と正教会、汎ヨーロッパ主義とユーラシア主義と汎スラヴ主義など、あまりにも分裂しすぎたロシア社会と国民を統合するために、30年にわたって追求してきた結果が、今日プーチン体制を構成する諸要素として存在するものであり、それが理解できなければ、現代ロシアを理解するのは無理である。
ところが、そうした諸要素を全て「独裁」「ファシズム」「権威主義」として、議論の余地すら認めずバッサリ切り捨ててしまうのが、現在西側社会で行われていることなのだ。

だよね。

「リベラルデモクラシー以外は、人間にあらず」ってのが西欧のやり口。

まあ、「民主主義以外は戦争」だが、その「民主主義」が狭義で、さらにそれが機能していようがいまいが「民主主義」とかいいながら、ウクライナのように「実質ネオナチ」なのも、西欧の「リベラルデモクラシーカルト」には無問題。

まあ、発狂ですはな・・・

天皇制って、この「壊れた、リベラルデモクラシー」を70年続けている・・・

まあ、天皇が有る限りに、日本人に未来はない。

天皇の無い 蒼い空を取り戻す



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