生きている人間を相手にしないのが、日本のフェミニズム

徽宗皇帝のブログ

より

上記文抜粋・・・・・・・・・

フェミニズム運動への疑問

元の共同声明を読んでいないし、ここに書かれた内容にも一部は疑問があるが、この記事を読んだかぎりでは、現在のフェミニズム運動に対して根源的な、そして重要な批判をしていて、その批判を真摯に受け止めることが、今後のフェミニズム運動にも有益だと思われる。後で、問題の「共同声明」を転載する予定である。先に言っておくが、私は「女性の権利拡大」には大賛成である。だが、今はそれが狂信的な、かつ社会破壊的な宗教運動化していないか。

(以下「はてなダイアリー」から引用)

共同声明「フェミニスト原則の再確認を呼びかける」の感想文
これね


https://swashweb.net/2021/07/12/post-906/


まず、特に感じたことは三つ

・セクシャルマイノリティまでターゲットに入れたらそれはもはやマイノリティズムとかいうべきであって、フェミニズムではないんじゃないの?フェミニズムのフェミの部分って、女性ってことだよね?
・もともと言っていた女性の経済的自立に一言も触れられていないのはなんで?
・女性だけに対して触れている部分少なすぎじゃね?

私たちは、正義、平等、解放を達成するため、私たちの多くのを抑圧し、排除し続けている家父長制の権力と闘い、それを解体しなければならない


というのとすぐ後に出てくる


私たちは、人権は人と人とを区別するものではなく、その構造において普遍的で、分け隔てできず、奪うことができないものだという認識を強調します。


これがすでに壊滅的に矛盾しているように見える。


家父長制は打倒せねばならない、つまり、男性から家父長制によって与えられる一部の人権を奪わねばならないといいつつ、人権は普遍的で奪うことができないといっている。つまりこの時点で「フェミニズムは未来永劫終わることがない闘争をしています」といっているように見える。


私たちが共有する闘いの前提は、これらの社会的な構造は、人種や階級、身分制度など、他のアイデンティのカテゴリーのように、不当な力構造を内包していると認知することです。


まず、力構造が不当であるかを「認知する」といっている。「理解しょうとするな、まずは首を縦に振れ」ってことじゃんか。いや、何がどう不当なのかをきっちり説明しきってくれよ・・・


私たちのフェミニズムは、ジェンダー、性別、セクシュアリティの経験には均質性などなく、様々な人々がそれぞれのレベルの差別や抑圧、特権を経験していると認識することから生まれる力を確認します。


あなた方のフェミニズムにはなんで男性が含まれないんでしょうか?


​私たちは、トランスジェンダー、インターセックス、ノンバイナリーのすべての人々の人権を実現しない限り、ジェンダーの平等は達成されないと強く信じています。


もう一回いうんだけど、大事なのは女性を経済的に自立できるようにして開放する、つまり、家父長制のある家庭に依存しなくても生きていける社会づくりじゃなかったの?


全体的に「悪の男性を打倒すべく立ち上がった正義の味方フェミニズムはセクシャルマイノリティを味方につけつつ終わらない戦いを今日もやっています、それを確認したい」っていう文章だよね?


つまりこの声明が行っていることは「もっと社会を分断して戦おうぜ!」っていう話にしか見えない。


最後にもう一言、この家父長制との戦いを戦場に選んでるのって、「ラディカル・フェミニズム」だったよね?なんでラディカル外してんの?


なんていうかさ、全体的に8割がものすごい暴力的で好戦的な内容になっていて、残り2割りて「確かにそうだよね!」っていうのを織り交ぜるのって何かのテクニックなの?


・・・・・・・抜粋終わり


で、当該の宣言の載った記事


で、私は徽宗皇帝さんのこの記事を支持します。


上記文抜粋・・・・・・・・・

ケイト・ミレットの下記の主張は非常に正しいと思う。そして、フェミニズムはこうした父権主義(家父長制社会)への批判として出発したのではないか。だが、それが「性的曖昧者」(私の造語である)までも運動の中に包含し始めたために、フェミニズム運動自体が泥沼化し始めたと私は見ている。「こちらはこちら、あちらはあちら」で共闘すればいいだけのことを、すべてを「フェミニズム」に包含しようとしたのが大間違いだったということだ。或る種の傲慢さの現れだろう。まあ、混乱こそが社会体制を壊滅させ、新しい社会を生むという、ロシア革命期に革命運動家がとった手段の猿真似かもしれない。だが、建物を崩壊させると多くの人が死ぬのであり、悪人や権力者だけが死ぬとは限らない。
ちなみに、patriarchyという言葉はおそらく相続とか世襲という意味が中心で、それが男権的な意味合いになったのは、古代社会が男権的だったからだけの話だと思う。父祖から受け継いだ国を愛するのがpatriotismではないか。まあ、これは私の妄想だ。


(以下引用)

ケイト・ミレットは『性の政治学』での父権制patriarchyに関して次のように主張する。「われわれの社会秩序の中で、ほとんど検討されることもなく、いや気づかれることさえなく(にもかかわらず制度化されて)まかりとおっているのが、生得権による優位であり、これによって男が女を支配しているのだ」[14]。「軍隊、産業、テクノロジー、大学、科学、行政官庁、経済ーー要するに、社会のなかのあらゆる権力の通路は、警察の強制的暴力まで含めて、すべて男性の手中にあることを想い起こせば」[15]、われわれの社会が他のあらゆる歴史上の文明と同じく父権制であるという事実は、直ちに明らかになる。「父権制の支配を制度ととらえ、この制度によって人口の半ばを占める女が残り半分の男に支配されるものとするならば、父権制の原則は、男が女を支配し、また年長の男が年若い男を支配するというように二重に働くように見える」[16]。

・・・・・・抜粋終わり

これも面白い。





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