「新型コロナワクチン」という黒魔術。

より


上記文抜粋
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ツイートまとめ テーマ:全世界に蔓延る狂信的カルト宗教「惑沈教(ワクチン教)」を斬る!!!

※以前の記事【ツイートまとめ テーマ:悪辣さを増す“コロナ禍”工作を斬る!!内容:「因果関係は不明」という常套句・西洋近代科学と西洋魔術・緊急事態条項・言論封殺・武漢ウイルス研究所・「理」の考察・現代版「蠱毒」。】
https://kokuhiken.exblog.jp/32199410/
の続きです。


〇「コロナ」「惑沈」関連のスレッドが長くなりましたので、新しく作ります。
「要するに「反証可能性」とは「科学の理論と言えるには実験や観察により批判又は否定される可能性がある事が条件である」という考えである。ソロス一味・惑沈推進派など似非リベラルに一番欠けている事では(笑)彼らは「批判」「否定」どころか疑問を持つ事や仮説すら排除する。反証以前の問題である。」https://twitter.com/kikuchi_8/status/1408987909001150466

〇「現時点で未知のリスクが後で判明しても道義的責任はない」という趣旨の惑沈推進派の発言を見た。「専門家」だの「権威」だのを信用してホイホイ接種して後で何かあっても誰も責任を取らないのは明らか。「自分の身は自分で守る」という言葉を噛みしめるべきである。その為には自分で考える事が重要。

〇「現時点で未知のリスク」と言うが、そもそも現時点でも短期的な副反応や死亡リスクだけでなく「長期的安全性は未知」というソース付きの既知のリスクがあるのである。後で被害が明らかになっても「時既に遅し」である。人類史上初投与のmRNA惑沈は「ちょっと打っておく」というお気軽な代物ではない。

〇誰かに思考を預けると命に関わる時勢となった。根本的に昔からであるが、いよいよ本格的にそうなった。「後で何か起きても知った事ではない」が政府以下惑沈推進派の本音と見ておくべき。人類史上初のmRNA惑沈を気軽に打つ事が狂気の沙汰なのに、まともな感覚の持ち主が狂人扱いされるおかしな世の中。

〇惑沈推進派の“インフルエンサー”もいる。フォロワー数が多いからと人の言う事を鵜呑みにするのは危険である。吾人も例外に非ず。思考や判断の誤りもあり得る。だからこそ常に対話や議論にオープンな姿勢を取る。徒党や派閥を避け「自分の個人的意見を述べる」という姿勢は最初から全く変わっていない。

〇フォロワー数が1万人を超えてとてもありがたい事だが、気付いたらそうなっていただけである。「個人的な考えを述べる」という姿勢はフォロワー数
0~一桁の頃から全く変わっていないつもりである。吾人のツイはあくまで独言。そして、その上で公論の中に投げ入れ、来る者拒まずで議論・対話を歓迎する。

〇論争もするが、それは個として論陣を張るのみで特定の誰かの考えを変えようとした事はない。他者の思考に介入するのは危険という考えを持っている。その人自身が自分で考えないと意味がない。自分の発言が誰かにとって何らかの参考や考える材料となり、その人自身の独立的思考の助けになるのは嬉しい。

〇メディアだけでなくネットの媒体や“インフルエンサー”を盲信するのも危うい。惑沈推進派の“インフルエンザー”も大勢いる。誰であろうと他者に思考を預けるのは危険である。“インフルエンザー”になったらおしまいである。フォロワー数が増えても与り知らぬ事。あくまで個人的意見を述べるのみである。

〇意識高い系な響きがある“インフルエンサー”という語が嫌いである。ネットでの情報発信は意見交換・情報交換・対話・議論・論争など双方向的なものである点が長所なのに、“インフルエンサー”は一方的に「影響を与える」というニュアンスが感じられるからである。これだと既存メディアと同じではないか。

〇一方通行的に「影響」を与える“インフルエンサー”は対等な立場での双方向的なネットコミュニケーションのあり方とは対照的である。謂わばネット上に現れた「小型メディア」と言える。惑沈推進派の中にも大勢いる“インフルエンサー”の言う事を鵜呑みにするのはオールドメディアを信じるのと大差がない。

〇「“インフルエンザー”になったらおしまい」とはそういう意味である。人様から謙虚に学ぶ姿勢がなく、自分を人より上に置いて「影響を与えてやろう」「啓蒙してやろう」などという傲慢な態度に陥れば、それ以上の向上はないと思うからである。こうなればもう「打ち止め」。故に「おしまい」と言える。

〇裏権力の宣伝媒体が既存メディアだけと思ったら大間違いであろう。これ程ネットが発達したのに、いつまでもネットを放っておく訳がない。ネット言論封殺は勿論、ネットでの情報工作も行っていると見るのが妥当。一方的に人に影響を与えようとする小型メディア=“インフルエンザー”は格好の媒体だろう。

〇“インフルエンザー”が大量に現れると、双方向的やり取りが盛んに行なわれる、闊達なネット言論空間が損なわれるのではと危惧する。一方通行的な小メディアがいて、その周辺に信者群がいる。異論者には集団で襲い掛かる。小カルトである。ネットをこういう抑圧的で窮屈な空間にしてはならぬであろう。

〇工作員を上級・中級・下級に分類して分析した事がある。下級は只の罵倒・嫌がらせ要員。まともに議論する能力もない。ひたすら粘着し嫌がらせをする。馬〇でも出来る。ただし、偏執狂的な気質は“必要”である。あるいは薬〇中毒者の類かもしれぬ。単純作業的な妨害工作員に動員されているタイプと推測。

〇中級は単なる罵倒ではなく論争を挑んで来るタイプである。したがって、ある程度の知識や討論する能力を持っている。これが工作員の主力と見られる。中級工作員は各分野の専門知識を持ち特定分野に特化したタイプもいる。上級は影響力を持っているタイプ。自ら論争する事はあまりなく信者に攻撃させる。

〇上級工作員は一方通行的な影響力を持っている。まさに“インフルエンサー”はこの分類。周囲には信者の群れがいる。上級工作員は自ら論争等を行なう事は少ない。論争をすると否応なく「地金」が出るので、醜態を晒す危険があるからだろう。故に標的にする者を晒して信者に攻撃させる手口を使う事が多い。

〇上級工作員は自分で手を下さず、晒して信者に攻撃させる手口を使う。影響力のある者ほど大量の信者が現れる。数が多いので驚くかもしれないが、所詮は他者に盲従する腰巾着に過ぎぬ連中なので、個々の力量は大した事はない。はっきり言うと雑〇である。故にこの手口をやられた場合も焦る必要はない。

〇訂正 ×インフルエンザー → ○インフルエンサー 意図しない書き間違いではあるが、結果的に「インフルエンザみたいな誘導情報を撒き散らす者」という意味で使えない事はないと思った^^;
「「“インフルエンザー”になったらおしまい」とはそういう意味である。人様から謙虚に学ぶ姿勢がなく、自分を人より上に置いて「影響を与えてやろう」「啓蒙してやろう」などという傲慢な態度に陥れば、それ以上の向上はないと思うからである。こうなればもう「打ち止め」。故に「おしまい」と言える。」https://twitter.com/kikuchi_8/status/1409969176526016515

〇影響力のある有名人など“インフルエンサー”が匿名のネットユーザーを貶すのをよく見るが、一匿名ユーザーの発言より有名人が一般人を晒す方が被害が大きいのは言うまでもない。教祖が晒すと脳細胞を殆ど使っていない信者が条件反射的に晒された一般人に襲い掛かる。上級工作員の手口はこの機制を使う。

〇工作員はシステムで機能する。他人に思考を預けるという事は、このようなシステムの一部に組み込まれた「部品」になる事を意味する。インフルエンザーに思考を預けて信者と化した者はインフルエンザーが晒すと条件反射的に攻撃対象に向かう。こういうのを馬〇と言う。謂わば無自覚的な工作員である。

〇直近のはわざと書いたが、その前にもかなり「インフルエンサー」を「インフルエンザー」と「書き間違え」ている^^;「インフルエンザ(流行性感冒)」と似た響きがあって、“インフルエンサー”なる言葉によいイメージもないのでそのように書き間違えたのかもしれない。抑々語源的には同じと思われる。

〇惑沈接種後1日の経過を見ただけで「安全」と言い張らないよう医者に促した上で、「そういう台詞は10年後に仰ってください」という趣旨の事を指摘する医学者の発言を見た。これはまことに然り。1日の経過を見て「安全」と言い張るとしたら、マラソンで10m走っただけで結果を云々するようなものである。

〇例えば、惑沈の副作用として知られるものに「抗体依存性免疫増強(ADE)」というのがある。惑沈を接種した事でかえって症状が悪化してしまう現象との事である。ADEリスクの評価には長期の観察が必要とされる。mRNA惑沈「コミナティ筋注」では「現時点で本剤のヒトでの疾患増強リスクは不明」とある。

〇mRNA惑沈「コミナティ筋注」の「審議結果報告書」に「本剤による疾患増強リスクを評価することは困難である」「現時点で本剤のヒトでの疾患増強リスクは不明」と書いてある。「ADEはない」とは誰にも断言出来ない。長期的な観察もせずに、そう断言する者は嘘つきと見てよい。https://www.pmda.go.jp/drugs/2021/P20210212001/672212000_30300AMX00231_A100_5.pdf

〇そもそも「コロナ」の実在に疑義が呈されているので、本当は何の「感染増強」「疾患増強」なのかも分かったものではない。少なくともADEは惑沈接種が原因で免疫の機構に何らかの異常が起きて酷い事になる現象という事は分かった。ここでの趣旨は「リスクが不明」「評価には長期観察が必要」という点。

〇コミナティ筋注の「審議結果報告書」は黒塗りだらけ。「安全」であるかのように言い張るダイジンや自称専門家らは無責任極まりない。長期観察も無しに「安全」と断言する事こそがデマである。まさに「そういう台詞は10年後に言え」である。
https://www.pmda.go.jp/drugs/2021/P20210212001/672212000_30300AMX00231_A100_5.pdf
https://indeep.jp/darkness-seen-in-pmda-mrna-vaccine-special-approval-document/

〇現実を言えば「10年後に言われても困る」のである。さらに言えば、何が起きても「因果関係は不明」「評価不能」で押し通すだろう。それが悪党の論理。故に権威権力の言う事を鵜呑みにせず、自分でしっかりと考え、自分と周りの人の身を守るべきである。10年後ではなく今ここで身を守らないといけない。

〇ところで「コミナティ筋注」なる名称は“公式設定”の由来とは別に「イルミナティ筋注」のもじりでも不思議はないと思う。実際に裏権力及びその走狗はそういう仄めかしをよくやっていると見る。例えば、国際的な有名企業のロゴは「一つ目」「ピラミッド」「666」などを連想されるデザインのものが多い。

〇表と裏を使い分けるのが裏権力支配の特徴と分析。大衆向けの説明と“エリート”向けの「秘儀」。物事に二重の意味を込めるのもその一つと見る。COVID-19・mRNA・コミュニティ(community)・免疫(immunity)を組み合わせたのが「コミナティ」とされるが、「裏の意味」があっても不思議はないと考える。

〇「表と裏を使い分けるのが裏権力支配の特徴」「大衆向けの説明と“エリート”向けの「秘儀」」と書いたが、実際に秘密結社員らは「密儀」「秘儀」「秘教」「密教」などを好む。彼らの仕業では常に二重の意味が想定され得る。メディア等が流す表向きの説明の裏にある意味をも分析するようにすべきである。

〇二重(又は複数)の意味を持たせる・反対の意味を持たせる・意味を付け替える等々。原理的には、これらは言葉の能記と所記の操作に収斂される。ある能記に二重又は複数の所記当てる、ある能記に対応する一般的な所記(意味)とは反対の所記を当てる、ある能記に対応する所記とは別の所記を当てる等々。

〇記号=能記+所記。能記とは記号の表現面。文字・音声・造形(ピラミッドやオベリスクのモニュメントはこれ)・身体の動作(ハンドサインが典型)。所記とは記号の内容面。記号に込めた意味・意図・思想など。先述の「二重の意味を込める」とは「ある能記に二つの所記を対応させる事」と解析出来る。

〇表向きの意味と裏の意味を二重に込めるシンボリズムの手口の根底にあるのも、こうした記号の仕組みである。この辺の事を「陰謀追及の記号学」と称してブログ記事にまとめた事がある。各種シンボルは全てこの方法論で解析可能だと思う。以前述べたように一旦「理」を把握すると様々な事象に適用出来る。

〇「幽霊の正体見たり枯れ尾花」と言う。おどろおどろしいシンボリズムも極単純なカラクリで機能しているに過ぎない。「能記+所記」という機制自体は我々の日常語と変わらない。シンボルは結社員らが使う特殊な言語と捉えると分かり易い。ハンドサインは結社員同士のコミュニケーション手段と思われる。

〇能記と所記は幾らでも付け替えが可能である。ある特定の能記(文字や造形物など)に絶対的な意味が宿るとする呪物崇拝的な思考ではシンボル解析は不可能である。シンボルを解析しながら呪物崇拝的発想に陥り、かえってシンボリストの術中に嵌る人が少なくない。ミイラ取りがミイラにならぬよう要注意。

〇全国の自治体の惑沈接種予約受付けの電話番号に「666」が付いているというのは本当である。これもまたシンボルの具体例である。電話番号は「市外局番 ー○○○ー×××」という形になっているが、○○○が666の場合と×××が666の場合がある。無理やりねじ込んだとしか思えない。執拗な意図が感じられる。

〇「市外局番-○○○-×××」の中で○○○か×××のどちらかのみに「666」が入っているなら「規格を統一させたまで」という「言い訳」も無理やり出来るかもしれないが(いや、出来ないと思うが..)、○○○と×××のいずれのパターンもあるので尚更「電話番号に666を入れるように」という「指示」を窺わせる。

〇惑沈予約受付電話番号によく使われている「0570」は市外局番ではなくNTTの「ナビダイヤル」というサービスのようである。このサービスで割り当てられる番号のパターンの一つに「666」があるらしいが(これ自体がシンボリズムだろう)、「0570」以外の番号にも666が使われているので増々意図的である。

〇「裏権力は何故シンボルにこだわるのか?」は難しい問題である。それは彼らのみが知っていると思われるからである。だが、推測は出来る。あの連中特有の「存在を隠したいけど誇示もしたい」というアンビバレンツ(両義的)な欲求が「シンボルでアピールする」という形になったのではと推測している。

〇工作員を「ショッカー」で喩える方がおられたので、それで喩えてみる。「下級工作員=戦闘員」「中級工作員=怪人」「上級工作員=幹部」と言った所であろう。単なる罵倒のみの下級は「イー!」しか言わない戦闘員。工作の中核を担う中級はまさに怪人。信者を使嗾する上級は後ろでふんぞり返る幹部。

〇「0120」とは違い「0570」は有料である。0570の番号で待たされると電話代が高額になる場合も。「0570」で「惑沈予約」の番号を設けている自治体は「かけるとお金がかかりますよ。だからかけてこないように(惑沈の予約などしないように)。」と言いたいのか?と解釈するのはちょっと好意的過ぎるか。

〇高い電話代を払って惑沈接種など何の拷問だろうか。0120で始まる惑沈予約受付け電話番号にも「666」が入っているパターンがある。「電話も無料・惑沈も無料、さあ打ちましょう」という方が余計に悪意を感じる。いずれにしろ安全性が不明(特に長期の)な遺伝子惑沈。誰が何と言おうと絶対に打つまじ。

〇「どうしても惑沈を打てない人(小さい子供など)を守る為にも大人は皆打つべきである」みたいな事実上の強制接種圧力に繋がりかねない主張を見かけたが、惑沈を接種した人が周囲に影響を及ぼすという指摘がある。後者が事実なら周りの人を守る為にも惑沈を打ってはいけないと言わなければならない。

〇「どうしても惑沈を打てない人(小さい子供など)を守る為にも大人は皆打つべき」みたいな事を言うが、もはや平気で子供にも打とうとしているではないか!「誰かを守る為に」などという人間の良心に付け込む言葉の魔術に惑わされてはならない。要するに裏権力は全員に惑沈を打ちたいだけなのである。

〇「惑沈を接種した人が周囲に影響を及ぼすという指摘がある」と書いたが、実際に米国のある学校で惑沈を接種した教員が解雇されたという情報があった。mRNA惑沈はウイルスの表面を形成するトゲトゲ状のスパイクタンパク質を体内で生成せしめるもの。生きているので周囲に影響しても不思議はないと思う。

〇昨今の“コロナ禍”工作下の情勢で「世の“常識”とは物量で作られる」という事を痛感する。走狗政治屋・メディア・御用専門家らが根拠なく「安全」と言えば「安全」という事にされ、批判的意見は「デマ」の一言で片付けられる。そこに合理的な論証は伴わない。ひたすらその手の情報を大量に流すのである。

〇繰り返し同じ情報を大量に浴びせ続けると、例えそこに合理的論理的な根拠が無くても人の主観に影響を及ぼす。何となく与えられる情報の通りに「そうかも」と思い始め、しまいには思考が同調する。同調しなければ制裁を加えられる(冷笑・嘲笑・人格攻撃・侮辱・社会的不利益・場合によっては暴力)。

〇情報を大量に浴びせ続ける事と制裁(サンクション)の組み合わせ。これで人々の思考を都合のよい形に同型化する。謂わば「調教」である。勇気のない者は「笑われたくない」と恐れ、容易に自らの思考を“大勢”に同調させる。哲学的に言うと共同主観(この機制が洗脳に利用される)が強制的に形成される。

〇が、それがいつまで通用するか。裏権力及びその走狗とてそこに一抹の不安を持っていよう。その表れがネット言論封殺の激化である。今彼らはネット言論に対し神経を尖らせている。以前の述べたように妨害工作は「①無視→②嘲笑・冷笑→③罵詈雑言→④社会的圧力→⑤暴力」という順にエスカレートする。

〇①~⑤の段階が上がるほど工作の強度も上がるが、同時にそれを実行する連中の「不安や焦りの度合い」をも示していると思う。特定の言説をネット言論空間から無理やり排除し、発言の機会を奪う事はもはや④の段階である。この段階に至っているのは工作の激化であると同時に焦りの大きさをも表している。

〇「世の“常識”とは物量で作られる」は「不変の真理」などではない。マスメディアが大きく発達した20世紀には最も当てはまっていたと言えるが、相互コミュニケーションが可能で個人が情報発信出来るネットが主流になってきた今の時代では大分相対化しているのも事実である。故に勇気を持って進むのみ!

〇妨害工作の諸段階「①無視→②嘲笑・冷笑→③罵詈雑言→④社会的圧力→⑤暴力」の全ての項目は「暴力」である。⑤は物理的な暴力に限る。人を笑いものにする事もれっきとした暴力である。こうした暴力に屈し思考を“大勢”に同調させる者が多ければ裏権力の勝ち。勇気ある人が多ければ庶民の勝ちである。

〇「相互コミュニケーションが可能で個人が情報発信出来るネットが主流になってきた今」だからこそネット空間の中に一方的に影響を与えようとする「小マスメディア」(インフルエンサー等)を配置せんとする事は容易に予測出来る。インフルエンサー等の小メディアを信じるなら新聞・テレビと大差がない。

〇故に21世紀に於いても20世紀と同様に「“常識”は物量で作られ」続けるか否かは個人個人の姿勢にかかっていると考える。大量の誘導情報を浴びても思考を同調させる事無く、嘲笑冷笑などの暴力に屈せず、しっかりと自分で考える人が増えると「“常識”は物量で作られる」という原理は機能しなくなるだろう。

〇「裏権力は何故シンボルにこだわるのか?」という問題への推測的な解答として「「存在を隠したいけど誇示もしたい」というアンビバレンツ(両義的)な欲求」を提示したが、これ以外にも思想的な理由を想定出来る。西洋魔術、特に近代魔術では「想像力」と「意志」を重視する。これが関係する可能性。

〇西洋近代魔術では「想像力=イメージする力」を重視する。言語による概念的思考というより表象作用、特に視覚的なイメージやビジョンである。故に西洋魔術師は自らの思想を視覚的なシンボルとして表現する事を好む傾向があると見る。彼らが重視する儀式もある意味視覚的=目に見えるシンボルである。

〇西洋近代魔術で「想像力」と並んで重視されるのが「意志」である。アレイスター・クロウリーにその傾向が著しい。西洋近代魔術とは「想像力を操り意志を押し付ける技術体系」と定義可能。裏権力がシンボルに拘る理由として「想像力を駆使し意志を押し付ける=支配する為」という思想的動機を想定する。

〇裏権力の視覚的シンボルへの異常な執着は魔術思想に由来すると解析出来る。ちなみにスピリチュアル業界で言う「引き寄せの法則」は「想像力を駆使して意志を実現する(自分の思い通りにする)」という西洋近代魔術の思想を大衆化したものと考えられる。謂わば一般向けに製品化された魔術的思想である。

〇「理性」を「推論を行なう能力」とすれば理性とは「概念的思考能力」だと言える。だとすると「理性」という概念を重視する大東社系は「想像力(表象作用)」を重視する英国系魔術結社(英国系フリーメイソンと密接)と対照的である。だが、最近はこの両者(魔術と科学主義)が再融合しつつあると見る。

〇「再融合」と言うのは魔術と近代科学は同根だからである。それが近年になって再融合が図られつつあると見る。人工知能・IoT・ビッグデータ・自動運転・VRなど先端技術を魔術的思想で再統合する「世界の再魔術化」現象である。ムーンショット目標が露骨な例である。これが最新のNWO構想の本質的特徴。

〇西洋の秘密結社・魔術結社が儀式に執着するのは、儀式こそが彼らが重視する「想像力」(主に視覚的なイメージを喚起する力)と「意志」を同時に表現する視覚的シンボルだからではと推測する。まず儀式は想像力の対象である視覚的イメージを伴う。そして一定の意志に従って身体動作として表現される。

〇英国系魔術結社が「表象作用」を重視するのに対し大東社系は「概念的思考」を重視すると分析したが、初期仏教や唯識の心理論ではどちらも「想」に分類される。つまり古代印度のある学派の哲学者は表象作用と概念的思考を同じ心理作用と見た訳である。ここにも両建同根性を見破るヒントがあると思う。

〇古代印度のある学派の哲学者は「想」(表象作用+概念的思考)は「受」(感覚作用)と並んで執着を生じさせる原因と見なした。「想」の作用を野放図に拡大すると執着も増大する傾向があるという事だろう。所謂「誇大妄想」の類。表象作用と概念的思考に執着するフリーメイソン的思想は支配に直結する。

〇表象作用と概念的思考は元々人間が持っている能力であり、生きる為に必要なものであるが、それらに執着し過ぎると問題を引き起こす事もまた事実である。表象作用と概念的思考を野放図に拡大すると誇大妄想の類も生じかねない。「世界は自分の物」とか「世界支配」などという発想はそうやって生じる。

〇表象作用と概念的思考は自他を殺す凶器にもなる。他者から植え付けられた価値観に苦しみ自ら命を絶つ場合は、表象作用と概念的思考が自分の中で暴走した結果である。逆にこれらの暴走が外に向かう場合はカルトや政治的過激主義を生じさせる。その究極が国際秘密力のあり方。シンボルはそれを象徴する。

〇東洋の哲人達は表象作用や概念的思考の危険性に気付いていた。だからこそ「無」(有に相対的な無ではない)とか「空」を強調したのだと思われる。だが、これらも結局は「概念」なので、それらに執着すると元の木阿弥になるであろう。とにかく、節度を持って表象作用や概念的思考を使う事が重要と思う。

〇某都市伝説番組に「やりすぎ」と付いているように、裏権力及びその走狗が万事「やり過ぎる」のは表象作用や概念的思考を野放図に拡大させ暴走させるからだと言える。「世界支配」などしなくてよいのでは?と言っても通じない。表象と概念で価値観が凝り固まっているのである。実にはた迷惑な事である。

〇結論として言える事は、視覚的イメージであるシンボルへの異常な執着は「支配」への執着と表裏一体という事であろう。「想像力」をどこまでも拡大させ、世界に「意志」を押し付け思い通りにしようとする。結局はこれに尽きると言えるのではあるまいか。節度を失った表象作用や概念的思考は凶器である。

〇「東洋の哲人達は表象作用や概念的思考の危険性に気付いていた」の例。印度中観派は膨れ上がった表象作用と概念的思考及びその産物である形而上学的見解への執着を取り除く為に「空」を説いた。それと同時に「空に執着する者はどうしようもない」とまで言って「空」という概念に執着する事をも戒めた。

〇西洋の思想家が「空」を解釈する場合実在論的に「空」なる概念を実体視して捉える場合が多い。こういう見方そのものを否定するのが「空」である。執着を否定したら「空」という言葉も捨てられる。表象作用と概念的思考の危険を見極め、それらの暴走を止める為に仮に立てた言葉だったのだと思われる。

〇「強固な意志で人や自然即ち世界を従わせる」という西洋魔術の発想は「想像力と概念的思考のどちらを重視するか」という点を除くと基本的に西洋近代科学も同じだと言える。西洋近代科学の方法論の基礎を作ったとされるフランシス・ベーコンが残した「知識は力」という言葉にその事がよく表れている。

〇一方の東洋の伝統的な学問・芸術・技芸は我意我執を去って自然(無理の無い自ずから然りの道理。英語のnatureには非ず)に随順する所に自ずと働き出す生成の道理を重んじていると思う。自然を従わせようとするのではなく、自然の道理に即した無理のない状態から最高の知恵や技術が生み出されるとする。

〇心に浮かぶ素直な感情を詠む和歌や俳句の道・一本一本の木の自然的特性を活かした木造建築・我執を戒めた茶道の開祖村田珠光・着(執着)を離れよと教えた柳生宗矩・身体構造の原理に逆らわないとされる古武術の技・自然石をそのまま積み上げる野面積み・荘子の無心の境地で身を捌く料理人の話等々。

〇アレイスター・クロウリーは「真の意志」という形而上学的存在を見出す事を自らの魔術の最終目標とした。クロウリーのセレマ教では、この「真の意志」を見出す為に複雑な儀式魔術を執り行う。だが、儀式に執着し、こういった人為を積み重ねる程に不自然さが増し自然な道理から遠のく事になるであろう。

〇このように、ある特定の認識枠組み(パラダイム)から生まれた西洋独特の思想・技術の体系である魔術・科学は当然古来の日本や東洋には存在しなかった。彼我の文化文明の差を知る事が大事だと思う。裏権力が根本的に我々とは異なる発想を持つ事に気付かないと彼らの意図や企みを見破る事は出来ない。

〇自然の素材の特性を活かす日本の伝統建築の発想とは違い、西洋の石造建築では石を自然の状態から極力引き離す所に特徴があると見る。自然から切り出した石を幾何学の発想で最大限に加工して人間の支配下に置き自然から引き離す。「自由な石工」と称するフリーメイソンの基本的発想がここにあると見る。

〇フリーメイソン的発想では各民族の固有性をはぎ取って人間を一種の人工物として加工する。「コンパスと定規」がその発想を象徴する。そうして規格化・画一化された「人間」を基礎単位として「一つの世界」を作ろうとする。ワンワールド主義者が各民族の固有性を徹底的に破壊しようとするのはその為。

〇フリーメイソンのシンボル「コンパスと定規」には「自然を人間の知性と理性の規格に従わせる」という発想が読み取れる。彼らがピラミッドをシンボルに取り入れたのは、おそらくナポレオンによるエジプトのロゼッタストーン強奪後だろうが、巨大人工物であるピラミッドは彼らの思想に適ったと思われる。

〇「自然から遠ざかり人間の手が加わる程価値がある」というのがフリーメイソンの基本的発想と言えよう。西洋の思想家が言う「自然」は実体論的な観念に過ぎない場合が多い。例えば、幾何学的発想を重視したスピノザの言う「自然」が典型である。スピノザの自然は唯一の実体という形而上学的観念である。

〇自然に人間の手を加える為の手段となるのも、先述の表象作用と概念的思考である。西洋魔術師は表象作用である「想像力」を重視し、大東社系など啓蒙主義者は「概念的思考」を重視する。表象作用と概念的思考は適正に用いればよい方向に機能するが、裏権力の如く乱用悪用すれば世を破壊する凶器になる。

〇「言葉は凶器」みたいに言われる事があるが、言葉を発する以前の表象作用や概念的思考自体が自他を害する凶器になり得る。例えば、特定の価値観を刷り込まれて「自分は価値がない」という表象・概念が暴れると人を死に追いやりかねない。余計な表象・概念の回転を止められる人はストレスに強いと思う。

〇洗脳された状態などを「思考停止」と言うのは実は比喩表現でしかない。「思考誘導」が正確である。思考が本当に止まっている人は洗脳する事は出来ない。洗脳とは他者の思考を誘導して意図通りに「動かす」事である。停止ではなく、そこでは思考が回転している。思考を外部から操られている状態である。

〇西洋魔術師が「想像力」と呼ぶ人間の表象作用は人間に只のイメージを現実と思い込ませる程の力がある(例えば「アベ=愛国者」等)。想像力をいじくりまわせば他人の思考を支配する事も可能という事だろう。ここに国際秘密力の「魔術」の本質があると睨む。表象作用や概念的思考を甘く見るのは危ない。

〇思想工作も全て表象作用と概念的思考によってなされる。思想工作とは人々が持つイメージと概念を操る事に過ぎない。だが、根本のカラクリは単純でも威力は絶大である。言葉を持つ動物である人間にとって「世界」の多くの部分を表象と概念が構成する。これらの操作が如何に大きな影響があるか分かる。

〇「言葉は凶器」と言うが、言葉は物理的に見れば音や形(シミやドット)でしかない。理解不能な外国語で罵られても何ともない。言葉の意味=概念と言葉が喚起するイメージを理解するから言葉は凶器になり得るのである。という事は、結局は「表象作用と概念的思考が凶器になる」というのが本質である。

〇「想像力」を駆使する英国系魔術結社と概念的思考を本質とする「理性」を掲げる大東社系勢力とを一部分とする国際秘密力は表象作用と概念的思考という凶器になり得るものを凶器として使っている、という事が見えてくる。彼らがシンボリズムに執着するのは、表象と概念への執着の表れと見る事が出来る。

〇「想像力で意志を実現する」という魔術の根本にある発想は「積極思考(ポジティブシンキング)」という形で世俗化していると見る事が出来る。欧米の精神世界系の思想や自己啓発の類は魔術から来ているものが多いと見ている。これらは自己責任論と相性がよいので、新自由主義と共に流布される事が多い。

〇「ポジティブシンキング」と言うが、元々そういう性格の人ならよいかもしれないが、そうでない人が無理にそうしようとするのはかえって精神的負担になるのではあるまいか。老子に「跂者不立 跨者不行」(つま立つ者は立たず、またぐ者は行かず)とあり。無理に不自然な事をすると破綻する危険がある。

〇また、物事が上手くいった様子をイメージするのはよいが、そのビジョンに執着するとその想像通りに行かなかった場合には大変な苦しみが襲ってくる事になる。「積極」一辺倒の思想が喧伝されるのは、新自由主義と相性がよく、かつ近代魔術思想を大衆化して流布する為では?というのは考え過ぎだろうか。

〇惑沈接種直後の死亡。謹んでお悔やみを申し上げます。いつまで「因果関係は不明」で押し通すつもりか?
https://mainichi.jp/articles/20210705/k00/00m/040/227000c

〇これだけの死亡者が出ても「因果関係が否定できない」としたのは1件のみ。何年何十年経ってからしれっと認めたとしてももう遅い。身を守るべきは「今」である。【厚労省が新型コロナワクチン接種後556件の死亡事例を報告】https://news.yahoo.co.jp/articles/95ef783c55bca14dd387dbb986560da29106cabb

〇「因果関係は不明」とは「因果関係の否定」ではなく「因果関係の有無は分からない」と言っているだけなのである。「因果関係はない」と言い切ると証明責任が生じるので「分からない」と言っているに過ぎない。「因果関係が不明」という表現で「因果関係はない」と思い込ませる言葉の詐術に注意すべき。

〇“感染対策”を密告させる制度を作ろうとしたり、取引金融機関から圧をかけさせようとするなど政府の飲食店いじめが酷過ぎる。飲食店は単に食事をするだけの場所ではなく、人と人とのコミュニケーションの場でもある。そうした横の繋がりを断ち切り、分断・支配する事が裏権力及びその走狗の狙いと見る。

〇「因果関係が不明」という表現は詭弁術に長けた輩が考案した便法だと分析する。「因果関係がない」と言うと論証しなければならなくなるが、「因果関係は不明」なら「分からない」と言っているだけなので証明責任が生じないと。その上で「因果関係は不明」を「因果関係はない」と受け取らせようとする。

〇実に姑息。論理的な誤りを犯さないようにしつつ、論理ではなくざっくりとした雰囲気でなんとなく「因果関係はない」と思い込ませようとする。惑沈と死亡の間に「因果関係はない」とも言ってない事に注意。「因果関係は不明」とは「因果関係の有り・無し」について「分からない」という意味なのだから。

〇飲食店に関する密告制度は過剰な誹謗中傷を招く可能性が高い。裏権力走狗は「誹謗中傷対策」を謳いつつネット言論の締め付けを行なう一方で、誹謗中傷を招くようないかがわしい密告制度を作ろうとする。要するに裏権力に不都合な言論を封殺し、都合の良い誹謗中傷は促すという事だろう。悪党の発想だ。

〇論理的な筋道や客観的なルールではなく、「雰囲気」「空気」という曖昧なものを使って惑沈の事実上の強制接種に追い込む手口だと分析する。論理的に等価ではない「因果関係は不明」と「因果関係はない」をあたかも等価であるかのように思わせる手口は「雰囲気」「空気」を使う思考誘導の具体例である。

〇惑沈接種が任意である事や惑沈のリスクについて一応告知しつつ、非論理的な曖昧な表現を駆使して思考誘導する手口に要注意。しれっと「任意」と書きつつ空気感のみであたかも義務・強制と思い込ませたり、「因果関係は不明」という表現で「接種と死亡は因果関係がない」のだと思い込ませようとする。

〇昔の武士の必須科目「武芸百般」「武芸十八般」に相当するものが陰謀追及者にもあるとすれば「詭弁術の研究」はまさにその一つだと思う。裏権力工作員は詭弁術を駆使して人心を操ろうとするからである。一見論理的でも論理的にどこか変なのが詭弁だとすると論理を外れた“空気”を操る術も然りであろう。

〇「空気」というのは日本特有のものと思われがちだが、そうではないだろう。今や世界全体が“コロナ禍”という「空気」に支配されている。「空気を読まない」者は容赦なく言論空間から排除される。道理や論理ではなく曖昧な「空気」によって理不尽を受け入れさせようとする手口が世界中で横行している。

〇「空気は日本特有の病気」という偏見は捨てた方がよい。国内の悪党がやる酷い悪事は殆どが欧米の権力者の真似事である。“コロナ禍”を口実とする全体主義化・「空気」をフル活用した同調圧力による惑沈の事実上の強制接種・国民を差別選別する惑沈パスポートの導入など、どれもこれも欧米の悪党の真似。

〇国内の悪党がやろうとする事は既に欧米(イスラエルを含む)で実行されたものが多い。最近は中国も然り(信用スコアなど)。惑沈パスポートはイスラエルのグリーンパスモドキ。イスラエルはグリーンパスを廃止した由だが、これは次の局面に移行する準備と見る。国内の走狗は周回遅れで悪事を実行する。

〇英国は“コロナ禍”対策を名目とする各種規制を撤廃するようである。これもイスラエルがグリーンパスを廃止したのと同質の施策と見る。つまり何らかの局面に移行する為の準備の可能性。「何らかの局面」とは世界規模の紛争や戦争が想定出来る。台湾海峡のキナ臭い情勢もその一環の可能性ありと見ている。

〇日本国内の走狗は世界の悪党の「空気」を読んだ上で国内の悪事を実行する。惑沈を大量に買わされた挙句に賠償責任も肩代わりする。勿論、何があっても「因果関係は不明」で押し通すつもりである。賠償金など払う訳がない。結局は日本国民にしわ寄せが来る。今は特に飲食店が虐待されている。許せない。

〇空気なる現象を日本特有のものとして研究した某評論家は猶太人のフリして本を書いた事もあるような親猶太的基督教徒だったので、思想的なバイアスがあったと見る。欧州びいきの世界連邦派や大東社系左翼、似非リベラル系などもそういう見方をする傾向がある。空気を日本特有現象と見ると本質を見誤る。

〇惑沈パスポートは海外渡航用を名目とするが、その内国内に適用して国民を監視・管理・差別・選別する道具にするのが狙いだと見る。イスラエルのグリーンパスと同じである。そのイスラエルはグリーンパスを廃止した由だが、イスラエルのシオニストの子分みたいな連中が日本国内で周回遅れの構想を企む。

〇惑沈パスポート保有者を何かと優遇し惑沈接種の有無で国民に差別を設ける。厚労省は「接種は任意」「惑沈接種を強いては駄目」としつつ、これである。事は惑沈接種を超えて、裏権力に従順な者とそうでない者を区別する思想的管理統制策にもなり得る。惑沈パスを喜ぶ者は従順なワンちゃんと見なされる。

〇惑沈批判する追及者に絡む小蠅工作員の発言を見るに、惑沈パスポートを歓迎し「惑沈接種をしてない奴らと区別されて嬉しい」みたいに奴隷根性を露わにしていた。「自粛警察」とかに多そうだが、権勢に媚びて誰かを攻撃して自分を「多数派」「強者の側」と思い込み安心を得ようとする卑しい根性である。

〇木端工作員の分際で「強者」とはお笑い草である。強者に媚びて非主流派や少数派と目される人々を攻撃して安心感を得ようというひ弱で卑しい根性の輩が工作員になるのだろう。裏権力はこういう卑しい輩を意識的又は無意識的な工作員に仕立てて追及者を攻撃させると分析。NWO全体主義の最末端の担い手。

〇「特典」を付ける惑沈パスポートなどの手口は「権勢・主流・多数派・強者の側にいたい」というエゴに働きかける。惑沈パスポートもシンボリズムの一種だと言える。保有する事が「従順さ」を示す標識になるからである。その一環でやりかねない惑沈非接種者を無法者扱いして中傷する宣伝工作を警戒する。

〇惑沈パスポートは惑沈接種に限らず他の個人情報を紐付ける狙いもあり得る。以上をまとめると、惑沈パスポートの狙いは主に次の事が考えられる。①惑沈接種情報を記録しパスポートの有無で国民を差別する。②従順か否かを見る思想的な管理統制策。③惑沈接種以外の情報も紐付けて個人情報を掌握する具。

〇惑沈パスポートに相当する構想は“コロナ禍”開始前から既にEUで存在したという指摘がある。惑沈パスポートとは非常に狡猾な企み。以下を一挙に実行出来る。①全人類への予防接種計画の推進②保有の有無で従順か否かを見る思想的管理統制策③惑沈接種情報以外の個人情報に紐付けを拡大し個人情報を支配。

〇常日頃「支配」の事ばかり考えている狡猾な悪党にしか思いつかない発想である。自民党議員如きに思いつく代物ではない。彼らは親玉から指図された事を実行しているに過ぎない。政府が周回遅れで実行する施策は全て外国で実行されたものばかりである。惑沈パスポートは全世界的な企みの一部と見るべき。

〇仏蘭西が医療関係者への惑沈接種を義務化する。8月からは飲食店の利用時に「衛星パス」の提示が必要になる由。“コロナ禍”を口実にした全体主義化=NWO化。「惑沈パスポートは全世界的な企みの一部」とはこういう事。裏権力走狗は欧米と同じ事を日本でやろうとするので要警戒!https://www.afpbb.com/articles/-/3356256

〇仏蘭西と言えば大東社。ネオコンやソロス一味と同じく大東社系勢力が「自由」や「民主」を掲げるのは標的とする国家を転覆する局面に於いてのみ。国家破壊後は独裁権を握り全体主義体制を作る。惑沈義務化が簡単に実現する辺りに大東社系左翼が崇める「自由平等の母国・仏蘭西」の正体が露呈している。

〇仏蘭西で飲食店利用時に提示を義務付ける「衛生パス」は日本で目論まれる「惑沈パスポート(惑沈証明書)」に相当する。裏権力の根拠地の欧米が実行する施策は少し遅れて日本国内の裏権力走狗が実行しようとする。実際、惑沈パスの国内利用を容認する方向で進んでいる。仏蘭西の真似をしてはならない!

〇政府は惑沈パスポートの国内利用を容認。容認というか元々そうする気だったろう。「非接種者への差別回避」と言うが、惑沈パスを使った非接種者への差別を法律で禁止しない限り実効性のない只の口約束になるのは必定。そもそも惑沈パス自体が国民を差別する手段。断固反対!!https://www.yomiuri.co.jp/politics/20210710-OYT1T50008/

〇アフリカ系仏蘭西人が白人系仏蘭西人と共に日本人を侮辱と問題に。アフリカを植民地化した旧宗主国の言語を基準として他の言語を貶める態度には怒りというより哀れさを感じた。旧宗主国ですらない異国を崇め奉る大東社系左翼は哀れを通り越して滑稽。ワンワールドとはかくも哀れと滑稽さに満ちたもの。

〇旧宗主国に完全に同化し旧宗主国の文化を基準としてそれ以外の文化を蔑視する態度は植民地化の真の恐ろしさというものを教えてくれる。侵略された側に抵抗者意識がある内は植民地化は完了しない。抵抗する気が失せる所か旧宗主国の目線と同化する事で完成する。日本にもその手の者は数多く存在する。

〇最近はコロナや惑沈関連の話題でダイジン(どっどこデマ太郎)からメディアまで「デマ」という言葉を多用している。「デマ」とは本来は「デマゴギー」の略で、「民衆煽動」という程の意味である。だが、メディアが使う「デマ」は「虚偽」というニュアンスが強い。証明抜きに虚偽扱いしている訳である。

〇「デマ」と連呼する連中の手法こそが「デマゴギー」そのものだというとてつもない皮肉である。まさに「ニュースピーク」である。2020年以降世の中が本格的に狂ってきた。否。狂わされてきた。正気を保つ人が狂人扱いされ、正論が「陰謀論」呼ばわりされる。狂気の完成がNWOやワンワールドと呼ばれる。

〇惑沈パスは無意味で有害。引用:イギリス保健省のイングランド公衆衛生庁は6月25日、​「SARS-CoV-2(重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2)」の変異種に関する技術的な説明​を行い、その中で、死亡した117名のうち50名は「ワクチン」を2度投与されていたことを明らかにした。https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202107080001/

〇英国の死亡事例の中で117人中惑沈を2度接種した人が50人もいたという事実で、「惑沈を接種すると感染や重症化が防げる」という惑沈パスポート構想の前提が崩れる。惑沈は「無意味」どころかADEという副作用で死に至らしめる可能性もある。様々な可能性を検証せずデマと連呼する連中こそがデマゴーグ。

〇「「惑沈を接種すると感染や重症化が防げる」という惑沈パスポート構想の前提」と書いたが、実は厚労省は「コロナ惑沈の感染予防効果を実証する事はほぼ不可能」と言っている。何故こうなるかと言うとPCR検査の陽性を感染扱いするなど「新型コロナは無症状感染者が多い」という設定があるからである。

〇コロナ惑沈に関してこう厚労省はこのように書いている。大半が無症状の“パンデミック”はPCR検査が作りだしたと見るべき。引用:○感染予防効果は実証しにくく、臨床試験で確認することは稀。○発症しない感染者が多数存在する新型コロナでは、実証はほぼ不可能と考えられる。https://www.mhlw.go.jp/content/10601000/000680224.pdf

〇惑沈は一般的に「感染」というより「発症」を抑えるとされる。だが、PCR検査の陽性を感染扱いして大量の「無症状感染者」を生む事でやっとこ演出された“コロナ禍”では「惑沈の感染予防効果」とやらも“実証”不可になるという皮肉な結果になった訳である。それでも「惑沈!」と叫ぶ異様さに気付くべき。

〇医学用語を調べると「不顕性感染」なる語はあるが、「無症状感染」は“コロナ禍”後に俄かに広く使われ出した言葉のようである。PCR検査件数を増やし陽性者を大量に出す事で“パンデミック”を演出するには、無症状陽性者を「感染者」扱いする為の「無症状感染」という概念が不可欠だったのだと思われる。

〇論理的か否かは真実か嘘かとは関係がない。“コロナ禍”は論理的に構築されている。PCR検査を使って“パンデミック”を演出する為には「無症状感染」なる新語を作る事は論理的に不可欠だった。この概念が無ければ無症状陽性者は「単なる健康な人」に過ぎない。定義の変更や新概念の創出で世界を操れる例。

〇WHOは“パンデミック”の定義を変更した由。これで“パンデミック”の演出がより容易になった。「定義の変更」で世界を操る例である。引用:かつて、パンデミックは感染の広がりだけでなく深刻な死者数が定義の中に含まれていたのだが、それをWHO(世界保健機関)は削除している。https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202011140000/

〇「“コロナ禍”は論理的に構築されている」と書いたが、「ある面では」とか「基本的には」という条件を付けるべきだった。裏権力連中は世界観操作をするにあたって基本的には論理的に構築しようとはするが、成果を焦ったり強引に実現しようとするあまり途中で論理破綻するのがいつものパターンである。

〇“パンデミック”を演出する為に「新型コロナには無症状感染者が多い」という設定を作る。だが、「無症状感染者が大半の新型コロナでは惑沈の感染予防効果を検証する事はほぼ不可能」という事態にぶつかる。にも関わらず「惑沈で感染拡大を防げる」と強弁する。「途中で論理破綻するパターン」の典型だ。

〇「感染者の大半が無症状感染者」という前提に立つと「惑沈接種で感染拡大を防止する」とは「惑沈接種でPCR検査の陽性者(その多くが無症状)を極力出さないようにする」と殆ど同義である。だが、厚労省は「新型コロナは無症状感染者が多くコロナ惑沈の感染予防効果の実証はほぼ不可能」と認めている。

〇という事は「惑沈接種で感染拡大を防止出来る」と断言する科学的根拠はない事になる。科学的根拠が無いのに「全員接種」を強行しようとしているのが今の狂った世界である。このように論理破綻しても強行しようとする狂った有様を見れば惑沈接種そのものが目的だと分かる。“理由”は何でもよいのである。

〇裏権力の連中が“パンデミック”の演出を終わらせるのは簡単である。PCR検査の件数を減らせばよい。PCR検査の件数が減ると必然的に陽性者の数も減る。大半が無症状の陽性者が減った所で「それ見た事か、惑沈の感染予防効果が出た」と喧伝する。PCR検査とは世界を操る「魔法の杖」みたいなものと言える。

〇厚労省は「コロナは風邪の一種」「mRNA惑沈の長期安定性等の情報は限られている」「無症状感染者が大半の新型コロナでは惑沈の感染予防効果を検証する事はほぼ不可能」など割と正しい情報を書く。能動的に調べる国民は少ないと見ているのだろう。逆に言うと能動的な姿勢があれば正しい情報を入手可能。

〇裏権力連中は狡猾であるが、論理的に粗雑な所がある。途中で論理破綻するパターンが多い。だが、論理破綻しても強硬に計画を推し進めようとする。そこで頼るのが圧倒的な物量。目下行なわれている「デマ」「陰謀論」連呼キャンペーンがそれである。論理破綻しようがデカい声と物量で押し切ろうとする。

〇物量作戦は「大きな声」「大きな態度」「量(ひたすら繰り返す)」の三つで構成されると分析。上から目線の狂信的な“専門家”やらを動員して何度も「デマ」「陰謀論」という中傷を大量に繰り返し垂れ流す。これだけである。論理破綻を「量」で補い、押し切るやり方である。自分で考える人には通じない。

〇逆に言うと、自分で考えない人には通じてしまう。自分で考えない人は無意識の内に走狗化する。相互に矛盾する2つの命題を矛盾と感じる事無く同時に信奉する状態を「ダブルシンク(二重思考)」と言う。裏権力走狗の特徴の一つである。自分で考えず論理矛盾に長く曝されるとこれと同じ状態に陥る危険。

〇裏権力の連中は「先の先まで読んで一切の論理矛盾を来す事無く計画を完璧に遂行する」ような能力を持ってない事は明らかである。論理的にやろうとするものの途中で論理破綻して、後は物量で押し切るというパターンが多いと見る。こんな杜撰な手口でも通用するのは自分で考えない人が多いからだろう。

〇「自分で考えない人」は意識的ではなくても無意識の内に事実上の援兵になりがち。杜撰な手口を通用させてしまっている原因の一つは大多数の「無意識的工作員」(敢えてこう呼ぶ)にあると言える。確信犯である意識的な工作員は全体から見ると少数だろう。彼らに惑わされる人が少なければ何も出来ない。

〇「AはBである」という「判断」の形式が思考の分子的単位だとすると、「A」「B」という「概念」は思考の原子的単位だと言える。言葉の定義の変更や新概念の創出は思考の最も基礎的な単位への介入を意味する。“パンデミック”の定義の変更や「無症状感染」などの新語の発明は思考誘導に直結すると分かる。

〇定義の変更や新概念を作る事を軽く考えてはならない。人間の思考の最も基礎的な単位である「概念」に変化を及ぼす事は思考そのものを変える事に直結する。概念を操る者は思考を操る。新しい妙な概念が登場して急にメディアが普及し始めたら思考誘導工作が始まった可能性があると見て警戒すべきである。

〇ある言葉の定義を変えつつも人々がその言葉に対して持つイメージが変わらない事に付け込む手口もある。WHOが「パンデミック」の条件から「死者数」を外す定義変更をしても人々が「パンデミック」なる言葉に対して持つイメージは変わらない。“コロナ禍”はその落差に付け込んで演出されたものと言える。

〇このように概念をこねくり回すだけで人の思考を操り、ひいては世界を操る事すら出来る。以前「表象と概念的思考に気を付けるべき」と書いた通りである。「想像力(表象)」や「概念的思考」を操り人間の思考を支配しようとする国際秘密力の学術はまさに「魔術」、西洋奥の院に潜む秘教の本質だと見る。

〇「ある言葉の定義を変えつつも人々がその言葉に対して持つイメージが変わらない事に付け込む手口」は人間の「表象作用」と「概念的思考」のズレを利用する高等技術だと言える。西洋近代科学は古代オリエント以来の魔術や錬金術からの派生とすると西洋の学術は秘教(オカルト)と言ってもよいと思う。

〇「オカルト」と言うと幽霊・怪奇現象・UFO・宇宙人などのジャンルと思われがちだが、本来は「隠されたもの」という意味がある。「隠された知」→「隠秘学」「秘教」。「英国はオカルトの総本山」とは勿論後者の意味。国際秘密力が駆使する黒いテクノロジーの秘密を解く鍵は「オカルト」にありと見る。

〇先述のように「「AはBである」という「判断」の形式が思考の分子的単位」「「A」「B」という「概念」は思考の原子的単位」だとすると、定義の変更・新語の発明・意味のすり替えなどの概念操作は「思考の原子レベルへの介入」と言う事が出来る。このように捉えると妙な新語への警戒心が高まると思う。

〇「思考」と言うと言葉や概念が連なる一連の流れというイメージがあるが、言葉や概念という思考の基礎単位から思考というものを捉えるべきである。思考誘導を根本的に防御するには言葉・概念という「思考の原子的単位」のレベルで介入を防ぐ必要がある。勝手な定義変更や新語の流布は思考誘導そのもの。

〇「パンデミック」という言葉の定義変更に気付かない又は受け入れる事や「無症状感染」なる新語を受け入れる事などは「思考の原子的単位への介入」を許す事である。既にこの時点で思考誘導されている。思考の基礎単位をいじられた状態で幾ら「自分で考える」と言っても結局思考誘導される結果になる。

〇「思考の原子的単位」というのはあくまで便宜的な表現である。言葉・概念を実体視する原子論(アトミズム)的な実体論の意味ではない。個人的にはある言葉・概念は他の言葉・概念との関係性によって意味が定まるとする言語観に納得する。この考えでは言語の体系の全体の中で言葉の意味が定まるとする。

〇カバラに限らず形而上学というものは、その体系を受け入れない・信じない者からすると、それ自体はおよそ無意味なものに見える。だが、形而上学もまた思考の産物である事に変わりない。形而上学の概念や表象に対応するものが現実に実在するかは証明不可だが、そこに思考が働いている事は確かである。

〇ここで着目すべきなのは形而上学自体より形而上学を生み出す「思考」の方である。空想や嘘話ですら「思考」が働いている。形而上学にも現実として思考が働いている。形而上学的思考の特徴は思考の正しさを客観的に判定する現実的な基準がない事である。故にどこまでの思考が拡大していく傾向がある。

〇形而上学の思考には際限がない。どこまでの思考を拡大させ、ある体系を作り出す。体系が成立すると、そこに執着が生じて体系が絶対的なドグマと化す。ドグマの真偽や正否を判定する客観的な基準はない。「正しいから正しい」という話になる。ここに他のドグマとの衝突が生じ、際限の無い争いが生じる。

〇「形而上学の思考には際限がない」という性質がまさに「無限に想像力を働かせる」とする魔術的思考にも通じると分析する。どこまでも表象や概念を拡大させていく方向性である。表象や概念の拡大は力と支配への渇望に直結する。この辺りに西洋奥の院の学術「オカルト(秘教)」の本質があると推測する。

〇「形而上学の思考には際限がない」「どこまでも表象や概念を拡大させていく」という言語的衝動が龍樹が言う「prapanca(プラパンチャ)」なのかもしれないと思う。龍樹はこれを放置すると「ヤバい」事に気付いていたと思われる。この「ヤバさ」を極限まで極めたものが西洋の秘教と言えるかもしれない。

〇東洋の学問も勿論人間の思考の産物である以上は概念や表象を用いる。だが、概念や表象にとらわれず、極力削ぎ落としていく方向性があるように思う。東洋の哲人は概念・表象の効用を認めつつ、それらが無制約に拡大する事の危険性にも気付いていた。西洋の学術が暴走する昨今に於いて重要な視点と思う。

〇概念と表象を分析し尽した古代印度の言語哲学者である龍樹の中観哲学を漢字文化圏に移植した三論学派の哲学書「三論玄義」を以前引用した。この書を例に「概念や表象にとらわれず、極力削ぎ落としていく方向性」を考察してみる。三論玄義に「有依有得爲生死之本 無住無著爲經論大宗」との一文があり。

〇「有依有得爲生死之本 無住無著爲經論大宗」は「依有り得有るをば生死之本と為す。住無く著無きをば經論の大宗と爲す。」とでも訓じられる。意味は「依存する対象物があるのが迷いの根本である。とどまる事が無く執著が無いのを経論(経典と論書)の大いなる趣旨とする。」という程の意味と解釈する。

〇岩波文庫はたまに貴重な古典を出す。「三論玄義」もその一つ。読書が好きで色々な本を読むようにしているが、最近は以前書店で偶々見つけたこの書をよく読んでいる。この書の文言で気に入ったのが「有依有得爲生死之本 無住無著爲經論大宗」。東洋の学問の方向性がよく出ていると思ったからである。

〇「有依有得爲生死之本 無住無著爲經論大宗」には「経論」という文字が出ているが、三論学派や仏教自体の枠を外して解釈したいと思う。つまり、「経論(仏教の経典と論書)」に限らず、あらゆる書物を読む場合は「住無く著無き」という姿勢が重要という意味で解釈する。書物だけでなく技芸なども然り。

〇本を読んで知識を得る(最近はネットで情報を得る事も含む)と、それに執着して傲りが出る危険がある。技術技芸を身に付けた場合にもこの危険があると思う。そこで「無住無著(住無く著無き)=とどまる事が無く執著が無い」という心掛けが活きてくると思う。技芸で「無住心剣」という剣術流派がある。

〇形而上学や絶対的ドグマを最も重要な要素として掲げる姿勢は、まさに先程の「有依有得」である。概念と表象を駆使して構築した対象物に執着する立場である。際限なく表象と概念を拡大させていく西洋の学術は「有依有得」を真髄とする体系だと言える。表象と概念が拡大し、世界支配の衝動に行き着く。

〇書物を読んだ際、普通はそこに書かれている理論や知識を重視するはずだが、敢えて「無住無著(住無く著無き)」を趣旨とする点に東洋の学問の一つの方向性を見ると同時に知識や技術への接し方を考えさせられる。日本人には西洋の魔術は縁遠いが、惑沈問題を見ても科学の扱いはしかと考えるべきと思う。

〇mRNA惑沈「コミナティ筋注」は「特例承認」されたもの。厚労省の資料に「特例承認」を受けた者に課す義務として「長期安定性等に係る情報は限られているため、製造販売後も引き続き情報を収集し、報告すること。」と明確に書いている。実質的に国民で治験するのも同然だろう。https://www.mhlw.go.jp/hourei/doc/tsuchi/T210216I0030.pdf

〇「本邦における安全性等に係る情報が限られているため、特に本剤を接種したときのデータが集積されるま
での間は、本剤を用いる医療機関及び医師においては特別の配慮を」云々とある。厚労省はmRNA惑沈の安全性が不確定と認めている。それにも拘わらず「安全」と断言する連中の正体は推して知るべし。

〇「安全」と断言する事がデマ。「本剤を接種したときのデータが集積されるまでの間は」とあるように、実質的に今治験中なのは明らか。別に大袈裟でも比喩表現でもない。治験の謝礼では最低でも数万円が支払われるとの事。「無料で惑沈接種」ではなく「無料で治験」。無料で得をしているのは惑沈推進側。

〇「無料で惑沈接種とは政府は気前がよい」ではない。通常なら最低数万円の謝礼が支払われる治験を大規模かつ謝礼無しで行っている訳なので、得をしているのは国民ではなく惑沈推進側であるのは明らかだろう。「本邦における安全性等に係る情報が限られている」惑沈を「安全」と断定するデマゴーグの罪。

〇とは言え、上級デマゴーグなら単純に「安全」と断言する程間抜けでもなかろう。言質を取られないように巧妙なやり方をするはずである。「安全である」というストレートな表現は使わずに「あたかも安全と思わせるような」“雰囲気”や“空気”を醸成する手口を使うと見る。表象を操作する魔術的技法である。

〇裏権力及びその走狗はとことん狡猾で巧妙で外道なやり方をする。そこにはある種の魔術的思考が働いていると見る。それ故に惑沈問題に関連して西洋奥の院の学術「オカルト(秘教)」の分析をしたのである。禍患の根を塞ぐには敵の思考レベルで解析し、その狡猾な手口を白日の下に晒す必要があると思う。

〇巧妙なデマゴギーを行なっているデマゴーグは「デマ、デマ、デマ」と連呼している惑沈推進勢力の方である。何事も懐疑的意見を即座に「デマ」と決めつけるなら科学的な議論など不可能だろう。「異端」と決めつけて火刑に処するのと同じ論理である。「ファクトチェック」とは「現代の異端審問」である。

〇「ファクト=事実」とはじっくりと考え、調べ、批判・吟味・検証し、議論する事を通じて明らかにしていくべきものである。誰かが一方的に決めつけるべきものではない。「ファクトチェック」とは「事実はこれだ」と特定の機関が一方的に決めつけようとする乱暴な行為。異端審問と全く同じ構図である。

〇日頃から「民主主義」を高唱する自称リベラル系ほど「ファクトチェック」なる野蛮な行為に賛同する傾向がある。「民主主義」を騙りつつ「独裁」を行なうのは所謂「ニュースピーク」と称される手口に通じる。これも概念操作の一種。言葉のラベリングをするだけで物事の性質を隠蔽する言葉の魔術である。

〇「ファクト=事実」を特定の人物や特定の組織・機関が一方的に断定する事に違和感を持たないと駄目である。こういう事象に対して違和感を持たなくなるのは、所謂「全体主義」に慣れさせられてきた証拠と言える。「NWO」「ワンワールド」とはそういう野蛮で乱暴な事象が全世界を覆い尽くす状態である。

〇「ファクトチェック」は「誰が」「何を根拠に」行なうのか。自分がファクトチェックする資格があると思っている者がいるとしたら、相当に傲慢な人物に違いない。お互いに対等な立場で事実を検証し議論するのはよいが、人より上の位置から一方的に言説を「チェック」するなどおこがましいにも程がある。

〇以前考察したように「概念は思考の原子的単位」なので「ファクトチェック」のような新語・新概念の登場には警戒すべきである。ある意図をもって作られた新語・新概念を違和感を持つ事も無く受け入れると思考の原子レベルで介入される。思考に原子レベルで介入されたら、思考自体が操作される事になる。

〇惑沈推進勢力は「反惑沈」なる言葉を拵えて惑沈批判があたかも特殊なイデオロギーであるかのような印象操作をしている。これも概念操作による思考誘導の一例である。特殊なイデオロギーなのは推進派の主張である。「惑沈主義」とも言うべき狂信的イデオロギーと化している。カルトには話が通じない。

〇以前「上級デマゴーグなら単純に「安全」と断言する程間抜けでもなかろう。言質を取られないように巧妙なやり方をするはずである。「安全である」というストレートな表現は使わずに「あたかも安全と思わせるような」“雰囲気”や“空気”を醸成する手口を使うと見る。」と書いたが、これの一例を挙げる。

〇惑沈接種を拒否する人・惑沈接種に不安を感じる人・惑沈について調べ警鐘を鳴らす人などに対して人格攻撃をする手口がある。惑沈を批判する人を「異常」と印象付けると相対的に惑沈を受け入れる人が「正常」と印象付けられる。而して「惑沈は安全」という空気感を醸成する。「安全」なる語を使わずに。

〇「惑沈は安全」と断言すると「安全性に関する情報が限られている」事実と矛盾するし、論証責任も生じる。そこで「惑沈は安全ではないと考えるのは異常→惑沈は安全だと思い込む事が正常」と印象操作する。こうする事で「安全」という語を使わずに「何となく惑沈は安全だ」という漠然とした印象を作る。

〇仏蘭西が惑沈接種証明を義務化した。これは仏蘭西革命からの逸脱か帰結か。按ずるに後者だと見る。大東社(仏蘭西系石屋)・猶太金融業者・大貴族らが共同して引き起こした史上初の人工芝工作が仏蘭西革命だったと解釈する。思えば革命仏蘭西は当初から独裁だった。欧化主義者が美化しただけだった。

〇戦国時代の軍は石高に応じて兵を集めるのは武将の責任だったので、厳密で画一的な指揮統制がなかったようである。幕府軍の軍制もその延長だろう。仏蘭西の軍事顧問団として来日したブリュネは幕府軍を近代化する為に兵士の身体操作を徹底的に矯正し規格化した。この思考は仏蘭西革命から生まれたもの。

〇ナポレオン軍が圧倒的に強かったのはナポレオンの軍才もさる事ながら革命後の仏蘭西軍の近代化の結果だったと思われる。兵士の行動を画一化してシステマティックに管理統制するという思考は仏蘭西革命で確立したと見る。その意味で惑沈パス義務化を仏蘭西革命からの逸脱と捉えるのは誤謬だと考える。

〇明治以来、日本では欧化主義が蔓延した。何でもかんでも欧米の真似をすればよいという思考。特に明治の啓蒙主義者以来の欧化主義者にとり仏蘭西は憧れの国であり続けてきた(親英派との両建構造)。だが、惑沈証明の義務化が容易に実現してしまう現実を前に「自由平等の国」という幻想は崩れ去った。

〇日本の欧化主義者には主に①英国贔屓と②仏蘭西贔屓の二種類がいる。戦後の親米派は前者の延長と考えて差し支えない。戦前は独逸贔屓がいたが、プロシア系の独逸帝国が滅びたので、今独逸を持ち上げるのは大抵②のタイプである。よって、①と②がそのまま左右両建構造を形成していると見る事が出来る。

〇国際的にもこの両建構造がある。例えば、日本や米国では英国系フリーメイソンが主流で、ロシアや中国では仏蘭西系フリーメイソンが主流だったようである。戦前の日本では表向きは日本人の石屋加入が禁じられ、旧共産圏でも石屋が禁止されていたが、思想・人脈・組織などを観察すると前述の考察になる。

〇「史上初の人工芝工作が仏蘭西革命」と書いたが、クロムウェルの清教徒革命が史上初では?清教徒革命はアムステルダムの猶太金融業者マナセ・ベン・イスラエルに支援されたクーデター工作だった。プロトタイプではあるが、宗教色が強いので、現代の人工芝工作の直接の原型はやはり仏蘭西革命だと思う。

〇例えば、何年か前に横文字左翼が一時的に隆盛した時にその応援団が持ち出すのは「仏蘭西革命」であった。一方「日本にも清教徒革命が必要」と言う者はいないし、もしいるとすれば相当な基督教原理主義者以外は考え難い。一方の仏蘭西革命は自称リベラル系なら自分らの“理想”として憧れる者は多かろう。

〇人工芝運動は「民衆が自発的に革命を起こした」と人々に思われないと失敗である。その点、仏蘭西革命はそういったイメージを数百年単位で植え付ける事に“成功”している。一方の清教徒革命はクロムウェルというゴリゴリの宗教原理主義者が引き起こした宗教革命というイメージの方が強いのではないか。

〇とは言え、明治の日本ではクロムウェルを信奉する村松愛蔵のような「自由民権派」青年がいた。当時の欧化主義の風潮が分かるというもの。ちなみに村松愛蔵は「救世軍」のメンバーだった。救世軍のロゴは赤い盾。ロスチャイルドが連想される。クロムウェルとベン・イスラエルの関係と同じだと推測する。

〇仏蘭西は惑沈接種証明の提示を義務化するなど露骨に統制を強化している。一方の英国は“コロナ”に纏わる規制を撤廃する事を決定した。手口が対照的。仏蘭西が「啓蒙主義の国」なのに対し英国は「魔術の国」。裏権力派閥の中で英国系は仏蘭西系よりも狡猾で老獪だと見る。何か狙いがあると見ておくべき。

〇「統制強化している仏蘭西より規制撤廃する英国は良心的だ」などと速断したりすると、赤子の手をひねるかの如く「魔術師」(魔術の国だけに)にしてやられる事になる。これが両建の厄介さ。仏蘭西系の如き直線的な手口と英国系の如き曲線的な手口は、国際秘密力の「右手」と「左手」と見るべきである。

〇惑沈推進の「専門家」らは「接種はリスクよりメリットが大きい」という言い方をする。これは非常におかしい。mRNA惑沈は「安全性に関する情報が限られている」状況で「特例承認」した代物。国民に接種しながらデータを集めるという事実上の治験が行われている状態である。つまりリスクの全貌が不明。

〇加えて厚労省は惑沈の感染予防効果を実証する事はほぼ不可能だと認めている。リスクの全貌が分からないのに「リスクよりメリットが大きい」と断定するのは道理に合わない。特に専門知識が無くても論理的思考が出来る人ならこの言い回しのおかしさに気付くはずである。しっかり思考しないと命に関わる。

〇「科学」を宗教にしては駄目である。今や「惑沈教」というカルトが蔓延っている。惑沈教の信者=惑沈教徒になると論理的思考が吹き飛び、ひたすら惑沈を崇めるようになる。惑沈教徒は惑沈という「神」に疑問を持つ者には狂信的態度にて攻撃を加える。異端審問や魔女狩りの再現である。おぞましきかな。

〇惑沈教徒にとって惑沈は「神」であり「救世主」である。「世界を救う惑沈様に疑いを持つとは何事か!」という狂信者の態度である。裏権力はメシアニズムを思想ツールとしてよく使う。危機を演出して特定の人物をメシアに仕立てて登場させるシナリオかと思ったら、まさか「惑沈」がメシア役だったとは。

〇NWO化工作の手法の一つとして「①危機を演出する→②人々の不安や恐怖を煽る→③藁にもすがる思いにさせる→④“救世主”を登場させる→⑤人心を掌握しNWO化を受け入れさせる」というパターンがある。“コロナ禍”はまさにこの径路で進んできた。④で登場する“救世主”が人ではなく惑沈なのは予想外だった。

〇確かに現実的に考えると、「こんにちは、メシアです」と特定の人物をメシア役で登場させても信じる者は限られるだろう。カルト教団は作れるだろうが、こんな手口で全人類を囲い込む事は無理だろう。その点、惑沈を呪物崇拝させる手口は「科学」の装いをしているので、現代人の心理に巧妙に入り込んだ。

〇呪物崇拝は世界中の土着的文化に広く見られる現象だが、西洋の魔術師はこれを人心操作の「術」として用いる点が異なると見る。シンボリズムも呪物崇拝的な原理で成り立つ。ある記号や造形物に特定の意味や思想が宿っているという思念を前提とするからである。シンボル操作は呪物崇拝を操る術と言える。

〇惑沈も記号である。実質は不明で「世界を救う」というイメージだけが喧伝されている。シンボリズムの手法と同じ。記号は表現と意味の組み合わせだけで成り立つので、実質は必ずしも関係ない。記号に実質が伴うとは限らない。惑沈信者は惑沈の実質を知ろうともせず呪物崇拝的感情で思考を操られている。

宗教事典風に。

宗教名:惑沈教(ワクチン教・枠珍教など表記は多数)

崇拝対象:惑沈様

教義:この世の救世主・惑沈様を信じれば悪霊コロナウイルスから解放され世界が救われる。惑沈様を信じる者は「アフターコロナ」という地上天国の住人になれる。信者の証として「惑沈パスポート」を授与。

惑沈教の概要:2020年以降急激に勢力が拡大した。主な布教手段はテレビで、各種インフルエンサーらが布教活動を行っている。信者は「惑沈様」を信じない人への攻撃性が顕著で排他的傾向が著しい。「ファクトチェック」なる異端審問制度の普及を図る。彼らが多用する「デマ」とは「非信者の妄言」の意。

どっどこデマ太郎は先日は「全国民の6割接種が目標」みたいな事を言っていたが、今度は「8割接種」と言って若者への接種率上昇を掲げる。惑沈教連中はこうやってなし崩し的に全国民への接種を狙っているのだろう。何とも卑劣で姑息な手口だ。安全性が未確認の代物を全国民に接種など狂気の沙汰である!

デマ太郎は「今年2回打った人は来年3回目を打つ」という趣旨の事を言った。これが4回、5回と続き「定期接種」に持っていく算段だろう。製薬会社の思惑通りである。複数の種類の惑沈を追加接種する「ブースターショット」が惑沈カルトの次なる狙い。日本国民をこんな奴らの実験体にさせてはならない!

インフルエンサーとデマ太郎の対談では「惑沈に関したくさんの情報が溢れています」みたいに振るのに対し、「政府を信じれば大丈夫です。ネットのデマ情報に惑わされないでください。」と言うまでが一連の様式だろう。「お約束」だけに、どっどこデマ太郎がアニメ化しても絶対に見ない事をお約束する。

裏権力内部でゴリンピック賛成派と反対派の両建抗争があるようだったが、蓋を開けてみれば、連日東京でゴリンピックをやりつつ、同じ東京で「陽性者数の拡大が止まらない」とやっている。フリーメイソンの祭典もやるし“コロナ禍”工作もやるという実に手前勝手な裏権力及びその走狗らしいやり方である。

「フリーメイソン運動会を連日開催」と「感染の急拡大で危機的な状況」とは同じ都市で同時に言われている事である。本当に深刻な危機なら世界中からたくさんの人を呼んで運動会など出来ないだろう。「無観客」と言っても関係者はそこそこ入っている。こういうダブルバインドに慣れると洗脳に弱くなる。

ダブルバインドとは矛盾する話に同時に拘束される状態を言う。ダブルバインドに陥ると暗示にかかり易くなるようである。「フリーメイソン運動会で連日盛り上がり」と「感染の急拡大で危機的な状況」を同時に連日繰り返し刷り込まれていると、洗脳や暗示に対して脆弱になる危険があるので要注意である。

フリーメイソンのクーベルタン男爵が嘉納治五郎を五輪委員に任命し日本の五輪参加が始まった。近代五輪の創始者も日本を五輪に引き入れたのもフリーメイソンのクーベルタンなので、五輪が「フリーメイソンの祭典」と言うのは歴史的に見ても正しい評価である。だから開会式が儀式めいている訳である。

余談。講道館柔道は嘉納治五郎を崇める宗教のようにも見える。高野佐三郎や中山博道を知らない剣道家がいても、嘉納治五郎を知らない柔道家はまずいないと思われる。それくらい特定の人物の影響が絶大なスポーツである。メーソンのクーベルタンから気に入られていたが、メーソンかどうかは分からない。


https://twitter.com/kikuchi_8/status/1409617360885981184


(了)
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抜粋終わり



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