国家規模の天皇の御意による「殺人タックル」が、閔妃暗殺・盧溝橋事件。天皇が主犯です。


より


上記文抜粋
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閔妃暗殺に外務省直接関与の疑い

【外交官「王妃殺した」と手紙に 126年前の閔妃暗殺事件で新資料】
 126年前の1895(明治28)年10月8日、日本の軍人らが朝鮮王妃を殺害した「閔妃(ミンビ)暗殺事件」で、実行グループの一員だった外交官が、事件翌日に郷里の親友に宛てたとみられる書簡が見つかった。「自分たちが王妃を殺した」と経緯が詳しく記されており、研究者は「事件の詳細を解き明かす貴重な資料」としている。
 書簡の差出人は、現地の領事官補だった堀口九万一(くまいち)(1865~1945)。郷里、新潟県中通村(現・長岡市)の親友で漢学者の武石貞松に宛てた、1894年11月17日付から事件直後の95年10月18日付の計8通が見つかった。
 名古屋市に住む切手や印紙の研究家、日系米国人スティーブ長谷川さん(77)が古物市場で入手し、「朝鮮王妃殺害と日本人」の著書がある歴史家、金文子(キムムンジャ)さんが毛筆の崩し字を判読した。手紙がもともと保管されていたとされる場所や記されていた内容、消印、封書の作りなどから、本人の真筆とみられる。
 8通のうち6番目の書簡は、事件翌日の同年10月9日付で、現場で自分がとった行動を詳細に記していた。王宮に押し入った者のうち「進入は予の担任たり。塀を越え(中略)、漸(ようや)く奥御殿に達し、王妃を弑(しい)し申候(もうしそうろう)」(原文はひらがなとカタカナ交じりの旧字体。以下同)と、王宮の奥まで押し入り、閔妃を殺したことを打ち明けた。「存外容易にして、却(かえっ)てあっけに取られ申候」と、感想まで添えていた。
(11月16日、朝日新聞より抜粋)


「閔妃殺害事件(乙未事変)」で、現役外交官が実行犯に加わっていたこと、計画には機密費が投じられていたことなどを記した領事館補・堀口九萬一の手紙が発見される。
これにより従来の「井上馨の示唆で三浦梧楼らが暴走した」との定説が怪しくなり、日本政府/外務省の直接関与の可能性が出てきた。

満州事変もいまだに「関東軍の暴走」との古い説が信じられているが、当時の陸軍省や参謀本部では「ついにやったか!」との声がそこここで聞かれたという。陸軍中央は「知っていながら放置」あるいは「裏で支援した」というのが最新の知見である。

乙未事変も同様で、乱暴かつ杜撰ではあったものの、規模や対応などを考えれば、「現地が勝手に暴走」とするには不自然なことが多すぎる。陸軍も外務省も裏で支援していたと考えるのが筋だったが、公文書が全て廃棄されてしまい、想像の域を出ることはなかった。

今日においても、外務省は公文書廃棄の常習犯で、2000年度には1280トンの公文書を廃棄している。森友事件でも、「現場が勝手に」の論理が使われ、うやむやにされた。帝政の闇は明治から現代まで変わらない。
軍は廃止されたものの、帝政原理で動いている外務省が健在なうちは、日帝の悪行も続くだろう。

・・・・・・中略・・・・


確かに構図がそっくりですね。

明治あるいは幕末以来、ずっと国家単位でやってきたわけですが、アジア太平洋戦争に敗北した時に修正するチャンスが来たにもかかわらず、「あれは軍部が勝手にやったこと」として首魁である天皇を免罪、内務省はただ分割しただけで、政治家も官僚もほぼそのまま残り、「悪かったのは軍部で、俺達は悪くない」で済ませてしまったのが、戦後帝政なんですよね。

帝政は全面的に否定する以外、どうにもならんでしょう。
Posted by ケン at 2021年11月27日 10:38


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抜粋終わり

>軍は廃止されたものの、帝政原理で動いている外務省が健在なうちは、日帝の悪行も続くだろう。

露骨にいうと、「天皇」ある限りに、日本国・日本社会は「帝政原理」でしか動かない。

まず「天皇廃絶」「天皇家皆殺し」のいずれかをするしか、日本人に生存の余地はない。


まあ、日大殺人タックル事件は、天皇家と帝国日本のやり方を真似しただけの事件だった。

ていうか、

天皇家とその閨閥・犬は、そういうことしかできない「人でなし」ってのは、間違いない。


天皇家 殺しつくして 日本晴れ

天皇の無い 蒼い空を取り戻す

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