見出し画像

やっぱ、天皇は廃絶しか無いよな。

上記文抜粋
・・・・・・・・・・
日曜日記161・「九州大生体解剖事件」のドラマ化で「戦犯裁判」を考える


945年5~6月、九州帝国大学(現九州大)で米軍の捕虜8人を生きたまま解剖する人体実験が行われた(いわゆる「九州大生体解剖事件」)。それをドラマ化した「しかたなかったと言うてはいかんのです」が13日夜放送された。

 原作は熊野以素『九州大生体解剖事件・七〇年目の真実』(岩波書店2015)。主演は妻夫木聡、蒼井優。生体解剖に立ち会った(立ち会わされた)鳥巣太郎助教授が主人公のモデルだ。

 軍隊と主任大学教授という絶対的権力の下で、抵抗できずに手術に立ち合い、敗戦後、戦犯として死刑判決を受けた(のち、朝鮮戦争勃発によるGHQの思惑で減刑)。
 「戦争だから仕方がなかった(のでは?)」という言葉に対し、主人公が苦悶の末発した言葉がタイトルになっている。

 これ自体、たいへん重要な問題提起だが、ここではドラマを見ながら考えたそれ以外の2つのことを書く。

 1つは、「司令官の責任」だ。

 劇中、捕虜を殺害した部隊の司令官(中将)が、「部下の罪は私の罪。何もしなかった(止めなかった)罪もある」といって自ら罪を認め、処刑される場面がある。このセリフを聞いてすぐ脳裏に浮かんだのは、天皇裕仁のことだ。

 当時の国家元首であり大元帥だった天皇裕仁こそ、侵略戦争の総司令官だった。その裕仁の戦争責任は、極東国際軍事裁判(東京裁判)ではまったく取り上げられず、今日に至るも不問・隠ぺいされている。これが東京裁判の最大の欠陥(特徴)だ。
 劇中の司令官が美化されているのとは裏腹に、戦犯裁判の歴史からは、裕仁が免罪された事実こそ想起しなければならない。

 もう1つは、旧植民地の人々の「戦犯」問題だ。

 ドラマは鳥巣(劇では鳥居)助教授の戦犯裁判がいかに理不尽かがテーマだったが、戦犯裁判の理不尽さを言うなら、日本が植民地支配していた朝鮮半島、台湾の人々が、それゆえに「日本兵」とされ、捕虜監視などの任務につかされ、それをもって戦犯として処刑された事実ほど理不尽なことはない。

 戦犯裁判では、「朝鮮人148人、台湾人173人が、戦犯となっている。全有罪者4403人(死刑・無期・有期)に占める朝鮮人・台湾人戦犯は、7・3%にものぼる」(内海愛子著『朝鮮人BC級戦犯の記録』岩波現代文庫2015年)

 朝鮮人戦犯148人のうち、軍人は2人(死刑と有期刑)、通訳として徴用されたのが16人(死刑8人、有期刑8人)、129人は捕虜収容所の監視員として集められた軍属だった。
 捕虜監視員として集められた朝鮮人青年は3224人にのぼり、そのうち3016人が南方へ送られ、うち129人が戦犯となった(内海氏前掲書)。この「朝鮮人監視員の高い戦犯率」自体に、朝鮮人に対する差別がくっきりと表れている。

 天皇裕仁の戦争責任が棚上げされ、日本の植民地支配が全く裁かれず、逆に旧植民地の人々(朝鮮・台湾)が「戦犯」とされことは、「戦犯裁判」の最大の問題点である。それはいずれも、今日の日本の政治・社会を規定している根本問題に通じている。


・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
抜粋終わり


そもそもだ

 より

上記文抜粋
・・・・・・・・・・・

今は昔(スルースキルだけが進歩した日本のメディアや共産党の不幸)

今のように日本がゆっくりと死にかかっているのではなくて、まだ社会全体が健全だった30年前の話ですが、マスコミが連日昭和天皇の下血を報じていたころ、第二次世界大戦の玉音放送の「ご聖断」で戦争終結したとの「新しい神話」を挙国一致でマスコミや有識者が流していた時に、選挙のたびに連戦連勝していた日本共産党だけはたった一人で「天皇の戦争責任」キャンペーンを行ったのですが、一番難しい「負け戦の敗戦」が出来るだけの絶対権力者なら、それとは比較できないほど簡単な対米戦争を開戦した戦争責任があるとの理屈。そもそも対米戦争はヒロヒトの勅諭で始まっているのですから軍事官僚程度の東条英機よりもヒロヒトの責任の方がはるかに重いことは明らか。
ただしヒロヒトに戦争責任があれば絞首刑は免れないのですよ。いくら論理的に正しくとも死にかかっている人の責任追及は日本人の道徳感情とは相いれない。

責任者には責任があるが、ガラパゴス日本だけは別で「責任者には責任が無い」 最高責任者ならもっと責任が無いのが我が日本国なのです。

いくら正しくとも多勢に無勢で惨敗するが、それ以降は皆さんよくご存じのように共産党は選挙で負け続けているのですよ。これは死んだヒロヒトの恐ろしい祟りか呪いですね。(★注、天皇よりももっと怖い祟り神である自衛隊やアメリカ軍の不祥事である36年前の日航機123便の話はタブー中のタブーなので共産党を含め誰も怖くて書けないのである)


・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・
抜粋終わり

>一番難しい「負け戦の敗戦」が出来るだけの絶対権力者なら、それとは比較できないほど簡単な対米戦争を開戦した戦争責任があるとの理屈。そもそも対米戦争はヒロヒトの勅諭で始まっているのですから軍事官僚程度の東条英機よりもヒロヒトの責任の方がはるかに重いことは明らか。
ただしヒロヒトに戦争責任があれば絞首刑は免れないのですよ。いくら論理的に正しくとも死にかかっている人の責任追及は日本人の道徳感情とは相いれない。
責任者には責任があるが、ガラパゴス日本だけは別で「責任者には責任が無い」 最高責任者ならもっと責任が無いのが我が日本国なのです。

どう考えても「天皇」が最大の売国奴で「戦争犯罪者」なのですは。


最低でも日本人で裁判して「退位・遠島」を裕仁をしとくべきだった。


裕仁を野放しにした以上は、日本て国は、後は、亡国か革命しか、末路は無いのである。


天皇を潰しつくして 日本人を救え


天皇の無い 青い空を取り戻す

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?