信じる者は足元をすくわれる?

最近、宗教問題の論争が盛んだ。
初めのうち「新興宗教に大金をつぎ込むなんて……」と思っていたし、「2世」の気持ちの理解に苦しんだ。

しかし、よくよく考えてみれば、自分にも彼らと共通点があったのだ。

私の祖父母は、熱心な仏教徒だった。
特に、過日亡くなった祖父はその最たるもので、若い頃からある寺ととても縁が深く、先祖やお上人、ひいては神様(正確には仏様だが)を強く信じていた。
仏間で毎朝お経を30分ほどとなえてから朝食をとっていたし、檀家として月に一度は家に和尚さんが来ていた。
身体が衰える前までは、寺にも通っていたはずだ。
当然、生活を崩壊させるほどではなかったが、かなりの金銭や手間をかけてお布施をしていたと思う。

そうした信心深さは、自然と生活習慣として私たち子や孫に引き継がれようとしていた。
年末年始は必ず家族揃ってお経をとなえていたし、墓参りや寺へもよく連れて行かれたものだ。

祖父が亡くなり、祖母も元気を無くしつつある今、その習慣は徐々になくなりつつある。

さて、前置きが長くなってしまったけれど、私はここで「宗教はよくない!」という話をしたいわけではない。
もちろん、どんな宗教だろうが悪意をもって金を巻き上げたり、生活を崩壊させたりするようなやり方はあってはいけない。

ただ、僕らの心はきっと弱い。

神様だろうが恋人だろうが家族だろうが巨匠だろうが、誰か味方がいるだけで強くなれる。
推しのアイドルだろうが、夢の国だろうが、ソシャゲだろうが、バーチャルだろうが、一方的な愛だって強くなれる。

そして、その人(たち)のために頑張りたいと考えるのだと思う。今も昔も変わらない。


祖父は、私が病を患ったときも神様にひたすら祈っていたし、なにか悪いことが起きても「大難を小難に」などと言っていた。
祈って解決すれば楽だよな。もちろん、そんなことはないんだけれど。
でも、希望を持てれば少し気楽になるというのもわかる。

私が祖父の遺志を継いで「仏教3世」になることはないだろう。
今であれば祖父の人間らしい弱さも、逆に気丈な振る舞いも理解できる気がする。
私の「頑張ればいつかは報われる」と胸のどこかで思ってしまっている根性も、きっと祖父譲りなのだと思う。

結局は、自分次第なんだよな。崇拝するなにかがあって、そのために頑張れる。
多神教で、無神教な日本人。
自分にとっての「神様」なんて利用してナンボだってことだ。利用されてる場合じゃない。

あなたにも、そんな神様がいるだろうか。

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