見出し画像

自転車日本一周の旅31日目

約二週間ぶりの野宿ということもあり、あまりちゃんと寝ることができなかった。朝五時過ぎに起きて支度を済ませ、街が目覚める前に出発する。これまでと違って朝は寒く、空気が澄んでいた。

近くのセブンイレブンで朝食を済ませたあと、この旅最大の難関である箱根峠に向かう。進むにつれてだんだん明るくなっていった。

箱根に入る。すぐに険しい坂道が現れると思っていたが、意外と緩やかな道が続いたので少し拍子抜けした。箱根ロマンスカーから忌々しきカップルたちが現れたので、「急激な登り坂」とはこいつらのことを指しているのかと思ったが、違う。

敵はいつだって自分自身だけである。

ただ前を見て、ペダルを漕ぐことに集中した。

箱根湯本駅を越えると、ついに山道に差し掛かる。最初はスイスイ進むことができたが、上るにつれて、なぜか勾配がキツくなっていく。軽井沢は緩やかで長い道が続いていた。だが箱根は、急で短い道のりを何度も何度も繰り返す。こっちの方が断然キツい。

足をつかずに上り切りたいと思っていた。だからギリギリまで歯を食いしばって自転車を進めていたが、全く自転車が進まなくなって諦めた。涼しいと思っていたが、今は体が燃えそうなほど暑い。朝っぱらから全身が汗でビチョビチョだ。箱根は風呂に入る場所なのに……。

その後も漕いでは降りて、漕いでは降りてを繰り返した。いきなり後ろの角からバスや乗用車が現れるので結構怖かった。自転車を押して上がるのも結構しんどい。そもそも自転車自体30キロ近くあるから、しんどいのは当然だ。体がどんどんムキムキになっていく。

坂を上り切ると住宅街に入った。坂が終わった、なんだ箱根って意外と大したことないな〜、と思いながら民家を曲がると、これまでよりも勾配のきつい坂道が姿を現した。もはや壁みたいな角度である。

漕いで降りて漕いで降りてを繰り返すと坂が終わった。しんどかったが、まだまだ元気だ。坂道は終わりのようである。

なんだ意外と大したことないな〜と思って平坦な道を走っていると、また壁みたいな坂が現れた。半泣きで走る。坂を上り終えてまた油断すると坂が現れて、また坂が出てきて、またまた坂が出てきて……全く終わりが見えない。

もう無理だーと、全身で息をしながら走っていると、道路脇に立つ観光客一家に拍手された。年頃の娘が拍手しながら母に何かを訊いていた。韓国語のイントネーションだったので、韓国の方だと思う。嬉しかった。もう少しだけ頑張ってみようと思い、坂に挑み、そして自転車から降りた。

終わりは意外とあっけないもので、まだ坂が続くと思って走っていると、いきなり「国道1号最高地点」の言葉が。

あらら?と思っていると下り坂が現れ、ジェットコースターのような坂を降りていく。遠くで芦ノ湖が見えた。陽の光を浴びて湖面が輝いていた。走りながら、少しずつ達成感がわいてきた。

芦ノ湖は観光客で賑わっていた。のんびりと走っていると「箱根関所」なる文字を見つける。

「へー、関所ってこうなってんだ」と思いながら入ろうとすると、門の隅にある窓口からおばさんが顔を出した。

「お兄さん、お金払って〜!」

今の時代でも関所は金をとるんだ?と思った。ということは、これから先も関所は金を取れるということだ。タイムスリップしたら関所を作りたい、と思った。

有料なら別に行かなくていいや、と思って引き返そうとしたら、おばさんが僕の自転車を見て「旅でもしてんの?」と訊いてきた。

「そうなんです」と言ったら「じゃあ無料でいいよ」と言ってくれた。おばさん、そんなに裁量権あるんだ?と思いながら礼を言って中に入った。江戸時代とかにも、こうやって無料で関所に入れた人間がいるんだろうか?

入ってすぐ、女の人に話しかけられた。関所のガイドさんだという。美人な方だった。そんな仕事があるんだ?と思いながら、お姉さんの首元に目がいく。

首すじに、唇ほどの大きさの内出血。つまりキスマークが付いている。

キスマークから目が離せなくなった。ガイドもお金がかかるというので断り、歩き出す。歩く間もキスマークのことを考えていた。

あんな晴れやかな顔で、美人なお姉さんが、首元に大きなキスマークをつけて、箱根の関所でガイドをしている。

情報量が多すぎる!!!

だから関所のことは覚えていない。観光することなく、まっすぐに関所を抜けてしまった。関所はかなり短い。これで500円も請求するなんて。

ただ、タイムスリップしたら絶対に関所を作ります。

その後、また坂道があり、道の駅のような施設があったのでソフトクリームを食べた。箱根を登り切ったご褒美である。

そして坂を下った。874メートル登ったということは、800メートル近くの下り坂が続くことになる。一番下の場所に今から行くのだ。

僕はブレーキを握ることなく、ただ自転車を走らせた。物凄い風が体に当たる。速度が出過ぎてハンドルがガクガク揺れる。速度計を見ると50キロを超えていた。アドレナリンがドバドバ出る。絶叫系には乗れないはずなのに、そのスリルを心の底から楽しんでいた。

風を浴びすぎて寒いと思ったのは初めてのことだった。

そして静岡県三島市に入った。

三島駅前の商店街にある定食屋で唐揚げ丼を平げ、また自転車を走らせた。三島に入った瞬間、平坦な道が続く。平らなところに人間は集まるのだと、すごく当たり前のことに気付かされた。

国道1号線に戻り、少し走ると沼津市に入った。左手に太平洋が広がる。日本海と違い、景色に寒々しさがなかった。日差しのせいか、のんびりと柔らかい空気が流れていた。

富士市に入ると、大学の友人Oから電話が。今日はOの実家に泊めてもらうことになっている。Oはそのとき、静岡のテレビ局に勤めていたのだ。

Oの取材がちょうど近くであったらしく、僕はOと岳南電車の吉原本町駅の近くで待ち合わせた。卒業前はよく遊んだが、会うのは半年ぶりである。

駅前の道路で待っていると、近くのコンビニの駐車場にいると電話が入った。行くとOがいた。少し痩せていたが元気そうだった。コーヒーを飲み、タバコを吸ってから一旦解散した。

(PS:最初に勤めた会社の取引先が吉原本町にあり、翌年僕は商談のためにこの街に来た。着いてから、このときと同じ景色をもう一度見たのでかなりビックリした記憶がある)

そのあとも平坦な道を走る。橋のようなものが見えたので、そこに入ってみる。三者線の道路。信号がなく、車も少ないので全力で飛ばした。最高だった。

ハイテンションになっていたが、全然道路の終わりが見えないので不安になってきた。もうそろそろ地上に下りたい。

走っていると「バイパス」の文字が現れた。

そう、僕は知らない間にバイパスに入っていたのである。車が来ないことを願ったそばからかなり大きなトラックが僕を追い抜かして行った。

身の危険を感じたが、すぐに出口が見えたので無事に降りることができた。高速道路と違ってバイパスは境目がないので非常に分かりづらい。次からはバイパスに乗らないように気をつけながら、静岡市に入った。

仕事終わりのOと合流し、Oの実家へ。Oの家もでかい。しかも家がほぼ平家でオシャレだった。アメリカのビーチにありそうな家だった。

荷物を置いたあと「どこで飯食う?」と訊くとOは「絶対に小林をさわやかにつれて行くと決めてる」と言った。通常の人ならテンション爆上がりだろうが、僕はさわやかってなに?というレベルだった。

Oの運転でさわやかに行った。ファミレスみたいな内装なのに、本当にめちゃくちゃ美味しいハンバーグを食わせてくれたのでビックリした。めちゃくちゃうまかった。テレビマンのOにご馳走になった。あざす。

そのあと、近くのスーパー銭湯で汗を流した。風呂に浸かりながら、この半年間のことを話す。Oは仕事は大変だけど面白いと言った。僕はまだ、会社員になる自分がうまく想像できない。

だから正社員として金を受け取っているOをただただ尊敬した。そしてスーパー銭湯代と牛乳代をしっこり奢ってもらった。ありがとう。

( PS:ここの近くも取引先があったのでよく来ました)

Oの家に戻ったあと、音楽を聴こうと言ったので、Oがなにを流すのかと思ったら、妙な画面を表示している。iTunesじゃないようだ。

SpotifyだとOは教えてくれた。スウェーデンで始まったサービスらしく、毎月定額の料金を払えば音楽が聴き放題なのだそうだ。すごいサービスである。まだあまり曲はなかったが、マイナーなハウスミュージックも入っているらしい。これがあったらCDをレンタルしたり買ったりする必要がなくなる。

Oはロンドンにいたので、海外のクレジットカードがあるから登録できたらしい。パソコンが海外のものだからだっけ?あれ、なんでだ?わからないが、Spotifyはまだ日本では対応していないらしい。

これが日本でも始まったら流行るだろうな、と思った。月々一定のお金を払えば音楽聴き放題なんてすごすぎる。しかも料金も1000円程度だという。シングルを買うよりも安い。

(PS:2021年現在、Spotify愛用中です。これを機に「私もアプリを作ろう」みたいになってアプリを開発したら面白かったのに。さわやかもう一度行きてえ、ってことばかり考えていた)

Oと少し喋ったあと、就寝した。疲れていたからか、一瞬で寝てしまった。楽しい一日だった。

生きます。