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続 雨の日に・・ *

あれはもう何年前になるのでしょう。

塾という仕事柄、朝はゆっくりできる生活で、娘の登園はほとんど僕が担当でした。僕は家からそのまま園に行くことを面白いと思っておらず、ほぼ毎日、道草していました。公園に行くこともあれば、川を見に行ったり、お店を見に行ったり、自転車に娘を乗せてとにかく色々なところに行きました。登園に30分も60分もかけていたのです。

でも雨の日は、自転車を使わずそのまま歩いて行くこともありました。娘はレインコートを着て、長靴を履き、傘をさし、完全防備状態で家を出るのですが・・

風を受けて顔に当たる雨粒が心地よいのか、傘を上に向けてくれることはほとんどありませんでした。「あははー。あは、あー!」と言いながらふらふらと歩き、風に逆らいながら、あるいは従いながら、遊ぶように道を進んでいきます。行きつ戻りつ、左にふれ、右にふれ、ゆっくりと園に向かいます。

濡れないためには傘を上にさした方がいいことは娘も知っているので、僕は優しい感じのツッコミ風に「それじゃ濡れちゃうだろ〜!」と言います。するとツッコミを好きな娘は、「きゃー!」と言って走って、僕から逃げるふりをします。

そんなこんなで園に着くころにはたいていかなり濡れていて、園の先生がなんでこんなに濡れちゃってるの、たいへん、タオルタオル、みたいになって、先生、本当にお世話になりました。


それから何年かして、最近のことですが、小学校にあがった娘は今では傘を上にさして、レインコートも着ず登校しています。

ある雨の日、僕は傘をさして散歩、娘はそのまま登校という日の分かれ道、言葉もなく手を振ってそれぞれの道に進み、僕はときおりふり返り娘の歩く姿を見ます。その日はとても風の強い日でしたので、傘をさすのがたいへんな日でした。いくらか風に逆らいながら傘を上に下に、右に左にとバランスを取ろうとしていましたがやがて、娘は静かに傘を閉じました。

傘をさしているのがかえって危ないから、濡れることを受け入れて、傘を閉じたのでしょう。なんてことない一場面ですが、娘はそういう選択をできるように成長したんだな、と僕は感じました。

おそらくその成長に、言葉はほとんどなかったでしょう。あった言葉は逆で、濡れないように上に傘をさそうという僕の言葉くらいです。風の強い日はかえって危ないから傘をささないんだよとは伝えていませんでした。

雨の日に傘もささずに雨粒に濡れ、向かう風、追う風と遊んできた彼女は、言葉もなく、ただ雨と傘と風との対話をつづけてきていて、だからこそこんな雨の日は傘をささない方が良い、となったのでしょう。



学び選ぶこと。それは自分の身の丈にあった、みんなはしていないかもしれないけれども、自分のすること。その選択は時代や環境から選ばされている面もありますが、そのなかでも学びとって選ぶ面もあります。不自由ななかから、自由に選択をする力を学びはつくります。

選択は今と未来とを変えていきます。そのためにはおそらく、過去や今から学んでいくのでしょう。それからやがてわずかな未来が視え、それにむけて選びます。事物や行動や習慣や意志を。

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