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学校に行かないことを選ぶ動き、を考える(雑記)

学校に行かないということで、生徒の不登校が過去最多になっていること、先生の不登校(心の病による休職)も過去最多になっていることを取り上げました。機能不全に陥っている学校や学級が増えているのではないでしょうか。

どうしても学校や学級に行けなくて、苦しまれているご本人お母様お父様たちをnoteで日々拝見します。また傷つき、疲弊し、心の病となり学校に行けなくなった先生たちもnoteで日々拝見しています。

明治以降ずっと拡大しつづけてきた公教育が、折り返し地点を通り過ぎ、悲鳴を上げながら縮小し始めているのではないでしょうか。日本社会が脱成長(拙考、脱成長していく日本)しているように、成長しつづけた日本社会を支えてきた公教育も脱成長し始めているのかもしれません。であれば、この動きは止まらない可能性が高いです。

しかし、前向きに捉えられる動きもあります。より良い教育を目指し、学校の教員を辞してNPOや企業を立ち上げたり、再就職したり、フリーランスになったりする方や、今は教員のつとめを果たしながらそれらのことを本格的かつ建設的に検討している方をnoteでよく拝見します。

どの方も教育への熱意があり、経験と技術と知識をお持ちで、それでも教員のままではご自身の良さを発揮しきれないとお考えになったのか、公教育を卒業し別の活躍場所をみつけられていくのをお見受けしています。

学校に行けなくなったことをきっかけに、より生きることの本質を捉えるようになった、あるいは本当の意味で成長したお子さんお母様お父様の姿もお見受けしています。

と言っても、この動きをビジネスチャンスだと僕には思えません。国と各ご家庭の教育予算はもはや上限に達し、今より予算が大きくなる望みがないためです。そうではなく、お金を「目的」でなく本来あった姿の「手段」に戻し、本当の教育とは何かと見つめ直す好機と捉えるのが良いのではないでしょうか。

教育には公教育のみならず私教育もあります。私教育の中心はやはりご家庭。学力や生きる力を身につけることも大事ですが、もっと大切なことがあるのではないでしょうか。それを与え、受け取ることのできる一番適切な場所はやはりご家庭なのだと思います。

僕はいったん内村鑑三や福沢諭吉らを中心に、公教育とからめながら私教育を見つめ直してみたいと思います。もしその過程にある僕の本読み、記事化、共有が、お読みになる方に少しでもお役立ちするなら幸いです。

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