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教育に行動を

□景色

私が始終青年のために憂えていることの一つは、概して日本の青年は薄ッぺらであるということ。書物を読むにいささか文字を頭に入れるというだけに止まって、その文の精神を解することを力めないし、甚しきはその意味さえも理解しないでいるものが多い。その癖に大きな書物を読みたがる。難かしい書物を手にしている。・・・これは青年のみならず教師が悪いのであって、教師がややもすれば半解であって、教えることを自ら消化していない。その癖大きな問題を担ぎ出す。あるいは大きな書物を引照している。

□本

「今世風の教育」 1903年
『新渡戸稲造論集』 鈴木範久編 岩波文庫 2007年

□要約

私の考えるところは試験の成績は悪くてもよい。同級生に後れてもよい。人の物笑いになってもよい。落着いて自分の心を練って、学問することを考えてもらいたい。人生は競争だとか、戦争の如きものだとか、瀕りに言う。・・・けれどもそれは小競合の競争であって小兵の戦争であって、匹夫の争いというものである。少しく量見を大きくすれば、試験に落第したというても、同僚のものに貴公お先に入らっしゃい、私は悠くり行くというて、気を長く学問して、こせこせしないで行くのが私は最終の勝利を得るものだと思う。

独り気を長く大きくしろというばかりでない。気を落着けて、読んだものを良く理解するように、消化するようにせねばならぬということだ。半分分かっている奴ほどおっかない者はない。しかし残念ながら今日の日本の社会はこういう奴が沢山にあって、小才子の天下になっている。しかし小才子の時代は長く続くものでない。・・・己はこうやっているという確信と実行のあるものは至って少ない。心ある青年はここに眼を注がねばいかぬ

品性を養うことは、今日日本の教育制度に於ては更にない。ないからというてただに教育者を詰るのではない、責むるのではない、寧ろ青年諸君に直接訴えて、今日はその設備がない、ないからして自分でやれということである。かくの如きは教師のあるに如くはない、けれども心掛けに依って自分で出来るものである。徳性を養うには自力で、或る程度まで進むことが出来るものである。他力のない以上は自分でやるに如かぬのであるから、その心せんことを切に望む

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