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【台北駅周辺】東京・日比谷公園に似ている憩いの場で、公園の名前を意識しながら散策してみる

台北駅のすぐ南側には、大きな公園「二二八和平公園」があります。便利な場所にあるので行ったことがある人も多いと思います。

コンクリートジャングルの中の緑豊かな空間は、リラックスできる貴重な場所ですね。日本時代に開園した歴史ある公園で、東京の日比谷公園に似ているので、親しみを感じます。

公園の名前に「和平」と入っているように、ここは台湾の歴史の流れを大きく変えた、忘れてはならない事件が起きた場所なのです。
公園の名前を意識しながら散策してみましょう。
 

公園の顔 国立台湾博物館

台北駅を出ると、台北の街には場違いなほど美しい白亜の宮殿が見えます。日本統治時代に、当時の日本政府が威信をかけて建てた博物館です。
今でも「国立台湾博物館」として台湾の歴史や文化を紹介しています。

中に入るとあまりにも豪華で、ひっくりかえってしまいますよ。腰を打ったら公園の散策ができなくなるので、今回は中に入りません(笑)
 
博物館の前に牛の銅像が2頭あります。
牛の頭は道路の方に向いていますが、以前は博物館を見つめるように建っていました。

右側の牛


左側の牛

博物館でトラブルが多かったので、風水師に見てもらい牛の頭を道路側に変更したところ、トラブルがおさまったそうです。
風水が生活に溶け込んでいる台湾らしいエピソードですね。
 
左側にある石の鳥居のようなものをくぐって奥に行きましょう。
この石の鳥居が何か知りたいですか? ではググってください!

鳥居ではありません!


中国風のあずまやがたくさん見えます。
さっきまではヨーロッパにいましたが、あっと言う間に中国に移動しました。変化に富んだ風景を楽しめるのも、この公園の特長です。
 
では、ここで公園の歴史を勉強してみましょう。
少し長くなるので、あずまやに座って聞いてください。

中国風のあずまや


 

日本時代・・西洋文化を広める場所

まずは日本時代から。
ここは日本統治時代の明治41(1908)年に開園した、台湾で最初のヨーロッパ式の公園です。さきほど博物館を見ましたね。このあとご案内しますが、ラジオ局や野外コンサートホールもあります。
これらも日本時代にできたものです。
この公園は、西洋の文化を台湾に広めるために造られました。
 

戦後・・台湾の歴史を大きく変えた場所

戦争が終わると、台湾の歴史を大きく揺るがす事件が発生しました。
中国大陸から役人や軍人、警察など外省人と呼ばれる人たちが台湾にやってきました。
汚職が横行し治安が悪くなり、物価も急激に高くなったので、戦前から台湾に住んでいる本省人と呼ばれる人々は、新しい政府に不満を持っていました。
闇タバコを売っていた婦人に警察が暴行したのをきっかけに本省人の不満が爆発し暴動が起こり、この公園にあったラジオ局を占拠して台湾全土に蜂起を呼びかけました。
1947年2月28日に発生したので、二二八事件と呼ばれています。

その後、1987年まで38年という長い期間にわたる戒厳令が敷かれ、多くの人が政治犯にされ犠牲になりました。
このような悲劇を繰り返さないよう、事件の舞台となったラジオ局は、「二二八紀念館」となり、近くに慰霊塔もつくられました。
それで公園の名前が「二二八和平公園」になったのです。
 

二二八紀念碑(慰霊塔)


少し重い内容になってしまいましたね。
台湾は、小籠包やマンゴーかき氷など、おいしいものの食べ歩きを楽しめるところですが、つい最近まで重苦しい空気が流れていたのです。
 
この先に日本時代にはラジオ局だった「二二八紀念館」があります。
今は改装中で見ることができませんが、工事が終わったら是非行ってみてください。

二二八紀念館(工事をする前に撮影)


では、気分をかえて散策を続けましょう。
 
 
 

神社と野外コンサートホールで日本にいる気分

小さなお寺がありますね。福徳正神という氏神様を祭っています。屋根をよく見ると、台湾のお寺とは雰囲気が違いますね。
日本時代、ここは菅原道真を祭る神社「台北天満宮社」でした。神社で使っていた唐破風(からはふ)の屋根をそのまま使っています。
 

二二八福徳宮 日本時代の屋根をそのまま使用しています
近くに神馬もあります。
日本時代に台湾護国神社(今の忠烈祠の場所)に奉納されていたものです。


大きな野外コンサートホールがあります。
このあたりの雰囲気は東京の日比谷公園に似ていますね。
このホールは日本時代にできたもので、1200人も座ることができます。
有料でコンサートをするときは、近くにある大きな本屋さんで入場券を売っていました。

野外コンサートホール


日本第一号の蒸気機関車

左側は台湾第一号、右側が日本第一号

蒸気機関車が2両止まっています。
左側は1888年に台湾で最初に走った機関車「騰雲号」と書かれています。

説明では、
「御風号」と同時にドイツから購入したが、「御風号」は解体した
とありますが、1999年に修復をしたときに、
展示してあるのは「御風号」で、
解体したのは「騰雲号」
であることがわかりました。
展示の説明は実はウソです。なぜか訂正されていません。
 
右側は「台鉄9号」と書かれているので台湾の機関車のように思いますが、なんと、新橋―横浜間を最初に走った蒸気機関車なのです

日本史の教科書で学んだものと海外でご対面するなんて、すごい!

と感激して涙を流してしまいそうです。
(そんなおおげさな人はいませんね)
このようなサプライズに出会うのも、台湾街歩きの楽しみのひとつではないでしょうか。
 

台北っ子の青春ドリンクで一休み

歩き疲れたので、休みましょう。
来た道を戻って公園の外に出るとレトロな建物が見えます。
ここの酸梅湯(梅ジュース)は1960年から販売しており、台北っ子の甘酸っぱい青春がぎっしりと詰まっています。

甘酸っぱい梅ジュース

公園の池のほとりに座って一休みしながら、地元の人になった気分で味わってください。
 
今日の散策はここまでです。
時間がないので(字数が長くなりすぎるので)ご案内できなかったものもたくさんあります。

ぜひ、みなさん自身でゆっくり散策してみてください。

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