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カンボジアの「旅」日記

初めての海外、卒業旅行もかねて、カンボジアにフィールドワークに行ってきました!できるだけ端的に11日間の旅をまとめていきたいと思います。
できるだけ短くまとめましたが、それでも少し長くなってしまいました。
特に見てもらいたいのは3日目と5日目です。時間のない方はそこだけでもお願いします。

※一部人の遺骨や収容所での記録,拷問の跡などセンシティブな写真があります。苦手な方はあまり見ないようにするか、ここで引き返すことをおすすめします。



1日目

羽田までは省略。初めての国際線だったので、緊張しながら飛行機に乗りました。余談ですが友人に教えてもらった通り、ネットフリックスで「first love」を機内で見てて、自分の立場にそっくりで機内で行き帰り号泣していました。
ベトナムのハノイでトランジットは、約12時間、、、
Wi-Fiも繋がらず、パブリックな場所で寝るのはなかなか苦痛でした、、

2日目

プノンペン(首都)到着。ホテルに行き、はじめてのクメール料理(カンボジア料理)を食べました!

3日目

ゴミ山・スラム街


日本人や先進国の捨てたゴミがここに集まり、それらを売り日銭を稼いでいる人たちがいます。左側の上に小さく見えるのが大きいトラックで、ここの大きさが分かります。ここのゴミ山がいっぱいになったらまた違うところにゴミ山を作るようです。日本の清潔さはこういうもので成り立っていると学んだので、やはり地域で活動するにしても世界の状態は知っておかなければならないと感じました。

キリングフィールド

みなさんはポルポト政権(クメールルージュ)というカンボジアの政治団体を知っていますか。彼らは1975年~1979年ごろカンボジアを支配し、彼らの政治思想のために大量虐殺を行いました。



ここはカンボジア全国に200以上あるキリングフィールドという虐殺・拷問で亡くなった人たちの墓地の一つです。犠牲者はここのキリングフィールドだけで12000人から20000人以上、カンボジア全国では総人口の3分の1、少なくとも170万人が犠牲になりました。そのせいでカンボジアの人口ピラミッドはその時代の人たちだけぽっかりと人数が減っています。

いまも戦争や虐殺などは世界で行われています。みなさんはそれらをどのように考えるでしょうか。私は、最近ちゃんと人間関係のすばらしさを知りました。それらを失うことはとても耐えがたいことです。みなさんもおなじだと思いますが、そのようなことに出会ったらできるだけ多くのひとに伝えられると新しい世界にまた一歩近づいていくのではないでしょうか。

ロシアンマーケット

午後はロシアンマーケットというプノンペンのマーケットに行きました。なぜ名前がロシアンマーケットかというと、昔はロシア人が多いマーケットだっただからだそうです。

初めて英語を実践的に使い、値引き交渉をしました。値引きしてたら店員さんは悲しそうだったけれど、実際に英語でコミュニケーションをするのは楽しかったです。英語のモチベーションがあがりました。ブランド品のコピー・スーパーコピー品も売ってて面白かったです笑

夜のピザ屋もおまけで笑



4日目



イスラム教のモスク(礼拝堂)・小学校訪問


カンボジアは98%が仏教徒で、ここの校長先生は、イスラム教徒でも好きな職につけて、差別はされないといっていたが、ほかの先生は首をかしげていた。本来はどうなのかはもっと調べないといけないみたいだ。知ってる方いたら教えてください。



Hiroshimaハウス訪問


これは広島ハウスという、日本人でもとプロサッカー選手が経営している小学校です。カンボジアでは高校卒業試験が異常に難しくなっていることと、親や本人が進学のメリットを知らないこと、働かなければ家庭が厳しいことで大学進学できる人は一握りで、高校も卒業できない人がとても多いみたいです。ここでは勉強以外でも日本語や社会に出たときの礼儀などを教えながら進学も支援しています。今年初めての大学進学者が出て、しかもカンボジアの東大らしく、これを成功体験としてもっとほかの子にも広げていきたいみたいです。
僕たちはその経営者の話を聞き、子供たちと交流をしました。


メコン川観光船


これがあの東南アジアの誇るメコン川かと心にくるものがありました。世界史をもうちょっとまじめに学んでおけばもっとよかっただろうなあと思いました、、


5日目

大事なところはいけるように自分の体調は整えておけと言われました。4日目までの疲れが出すぎたのと、おなかの調子がわるく、午前中はお休みをいただきました。みんなここらへんから体調を崩し、バタバタ倒れていきました笑
病院にいった人もいます。

トゥールスレン虐殺博物館

先ほどお伝えした、キリングフィールドに埋葬された人が拷問をうけて、収容されていた場所です。ここはもともとにぎわっていた高校でそこが悲惨な現場になってしまいました。

拷問の一つをお伝えします。苦手な方はスキップしてください。この写真の上の部分に懸垂のように吊るし、意識を失ったら、糞尿や体液の入ったこの甕にいれ、意識がもどったらまた吊るすというものです。ほかにも自殺予防のための有刺鉄線が部屋の外にはりめぐらされています。
一方で彼らには彼らなりの正義があったはずです。人を殺すのはいけないと切り捨てるのではなく、彼らの考えを1つ1つ追っていかないと私たちの正義が暴走することがあったときに止められないと、そう思います。

最高指導者ポルポトの顔写真


トゥールスレン収容所にいた美術家の人が書いた当時の絵


自殺防止のために張り巡らされた有刺鉄線と人々が収容されていた場所


人々が収容されていた部屋


収容されていた人たち。管理番号を首から下げて、普段は起き上がることも禁止されていた。
拷問をされた人?床の黒いのは血かどうかはわかりません

6日目

午前中はトゥールスレンについてレポートを2000字ほど書いてました。
今後日本語、英語両方でアップするつもりなので、興味があったらみてもらえると嬉しいです笑
午後はシェムリアップという京都みたいな、アンコールワットがあり、昔の首都だったところにバスで7時間かけていきました。

シェムリアップの泊まったユースホステル

7日目

アンコールトム

アンコールトムはアンコールワットを作った王の甥が作った寺院です。あまり詳しくないですが、当時ヒンドゥー教だったカンボジアに仏教が入ってきて、それらを折衷してつくったとかなんとか、
間違っていたらすみません。いかんせん疲れていたもので。


アンコールトムの一つの入り口にいる鬼。反対側には神さまの像もたくさんいました。


アンコールトムの中にあるバイヨン遺跡
日本が寄付して修理したようです

アンコールワット

アンコールトムと同じく寺院です。詳しいことは僕も分かりませ
。ちなみに森本右近太夫という人がインドの祇園精舎と間違えて、アンコールワットに仏像を4体持ってきたみたいです。彼が間違えたというより当時インドの祇園精舎はここだと思われていたようです。


8日目

コムルー村訪問

村の方たちと交流しました。

ヤシの葉っぱを染めた伝統工芸
村で養殖している魚釣り体験


現地の子供たちとの交流


この村は日本の会社が支援していて、2人のインターン生(大学4年生)のお話も聞きました。2人も僕と同じように日本の学校に縛られて、新しい世界に羽ばたいていました。将来のビジョンのイメージとして重なるものがあり、とても参考になりました。

9日目

トンレサップ湖と水上村訪問

カンボジアには乾季と雨季があるんですが、この湖は乾季には琵琶湖の4倍、雨季には25倍もの大きさになります。(誤差あり)

水上村も、彼らはここにいないといけない理由があり、困難を孕んでいる部分もありました。ガイドさんが英語⇔クメール語(カンボジアの言葉)だったので、自分の習ってきた英語を使えてよかったです。

10日目

小学校訪問、いっしょに英語の授業を受ける

ここの学校ではないんですが、カンボジアでは乗れれば5歳からバイクに乗るらしく、小学生や中学生がバイクで登下校している姿が目立ちました。

英語の授業中、クイズがあって、わかったら教室の後ろから走って黒板に答えを書くっていうゲームがあったんですが、字が汚すぎて小学生に負けてしまいました笑

11日目、まとめ

ここで僕たちの旅は大方終わりました。まだまとめられてないところも多く、これからレポートをかいたりしてまとめていきたいと思います。見てくださった方はありがとうございました。この先の人生にも大きく影響がでる旅だったと思います。

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