たいやき

I'm Samurai.

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けんこーに生きる

ある種の強さを手に入れたような錯覚に愉しさを覚えると、もっと触れたいという欲望はさらに沸き上がり、気づいたときには欲望の海で溺れていた。その刺激物は中毒性を帯びていた。 そのへんに転がっている刺激物――目の前を通りすぎる様々な形の乳房や生殖器、さらにそれに付随するさらっとしたものや、ドロドロとしたもの――を手に取ると、欲望の容器は、快楽で満たされていく。 しかしながら、満たせば満たすほど、それは宇宙のように膨張し続け、健全な精神性をじりじりと隅の方に追いやり、終いには奪っ

    • 人ごとでは済まされない

      半年ぐらい前、今はなき『笑っていいとも』のテレフォンショッキングの中で、その日のゲストが休日は家に引き篭もってるという話をしていた。(ゲストが誰だかは忘れた) それに対してタモリは「俺はそれができないんだよねー。『出ずっぱり』だからさ。」と返していたんだけど、まさに僕もそれで、家で一日を過ごすということができない。多分リアルノマドだと思う。(ワーカーではないが。) 家に帰ったところで、することがなく、暇を持て余してしまうので、いつも外に出て何かをしている。 が、今日はバ

      • 雑誌の文字量ってこんなにあったっけ?

        代官山に用があった帰りに、代官山蔦屋書店へ寄った。 ありふれた街の書店には置いてない、写真集や雑誌、CD、映画、文具、そんなものが数多く取り揃えられているので、いつもワクワクしてしまう場所だ。 「ここって一回行くと抜け出せないよね~」などと仰るシャレオツサブカル系を横目にほくそ笑み、勝ち誇ったかのように、サブカル界のディズニーランドへと踏み入れたのはいいものの、一時間後には自分もその一人だったことに気づき愕然とする。というようなことを10数回はしている気がする。 目的も

        • 人間-ある行動や、言動に対して、自分というフィルターを通して、勝手に解釈をし、意味づけをする動物。

          人はある行動や、言動に対して、自分というフィルターを通して、勝手に解釈をし、意味づけをする動物だ。 村上春樹はその著作で、「理解というものは、つねに誤解の総体にすぎない」と述べているが、これはまさに真理で、この世の中には、常に思い込みや、偏見に満ち溢れている。 自分の理解したことを、誰かに伝えたとしても、全く同じように解釈されるということは、まずないだろう。それと同じように、誰かの理解を同じように、享受することはできない。 寂しいことかもしれないが、理解したと思っている

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