軍事力ではなくて国力で勝負。科学力と経済力で勝負する。 -参議院選挙2202夏(3)-

2022年7月10日、参議院選挙が行われます。今回の選挙では護憲勢力と改憲勢力が争っており、ウクライナ戦争の影響もあり、改憲か護憲かが日本の未来を決める大きな分岐点になるでしょう。

前回は、改憲勢力がどのような世界観で改憲を目指しているのかについて考えてみました。

今日は、護憲勢力の世界観について考えてみます。


まず、護憲勢力の世界観はそれほど単純ではありません。より正確には、小説や漫画のような世界観ではありません。

そればかりか、おそらく人により様々な世界観があるので、今回はその一部だけを見てみたいと思います。


前回、改憲勢力の世界観は、個人が集まり家族が生まれ、家族が集まり社会が生まれて、社会が集まり国家が生まれ、国家が集まりイデオロギー集団が生まれるという世界観を見てみました。

また、国家の本質を伝統と歴史に見ること、そのため外国との戦争に負けると国家は消滅する、日本は消滅するという視点を見てみました。

伝統と歴史に国家の本質を見る、そして最終的には同盟国を同じイデオロギー集団とします。改憲は保守(伝統と歴史を重視)が自然と到達する結論であると思われます。

この世界観のポイントは、戦争とは善悪ではなくて、仲間と敵の間で行われると考えられていることです。

善悪は相対的であり、そのため、正義とは強者のイデオロギーであるという世界観を抱いているように思えます。


一方、護憲勢力、具体的には憲法九条を改憲するべきではないという立場の世界観は少し馴染みのないものです。

憲法九条が議論されるときに、たいてい、私たちは第二次世界大戦により日本政府が暴走して侵略戦争を行ったことを問題にします。

また、軍隊を増強することで、たとえば先制攻撃能力を得ることで、相手に攻撃の動機を与えることを問題とします。

このときに、護憲勢力は、国家というのは社会の集まりではなく、社会の一部であるという世界観で発想していることが分かります。


日本が保守勢力である西側諸国のリベラル勢力の一員としてロシアと対立していることから、そして与党が自民党であることから、もしかしたら多くの人は自由民主党や日本維新の会などの改憲勢力がリベラル勢力の一員のような印象を持っているかもしれません。

単語の印象からも、「改憲」勢力は「革新」勢力に思えます。

しかし、正確には自民党や公明党などの日本の与党の思想は、ロシアの与党である統一ロシアと同じく保守に属します。

そのため、基本的人権よりも日本の伝統と歴史を重んじます。そのため、女性の社会進出やLGBTQに否定的です(女性は家庭、という伝統的価値観を重視しています)。

この点で日本とロシアは政権が人権至上主義(リベラル)ではないという共通点を持っています。


一方、逆に日本共産党や立憲民主党などは、どちらかといえばリベラル勢力に属しており、憲法と基本的人権を重視します。また、SDGsやLGBTQにも肯定的です。

さて、リベラルと言えば自由主義、自由主義と言えばフランス革命、フランス革命と言えばルソーの社会契約論です。

フランス革命では、市民が貴族を滅ぼすことで自由主義国家、共和国を建国しました。

このときに、なぜフランス市民は同じ国の仲間であるはずのフランス貴族と戦ったのかと言えば、彼等が仲間という概念を国ではなくて、社会契約という概念で見たからです。

市民と貴族は異なる法律に縛られます。

よって、市民と貴族は本当は別の国家に属しており、フランスという一つの国の国民であるというのは幻想だと考えたのです。

国家の本質は、伝統と歴史ではなく、国民と憲法です。そのため、憲法に否定的な勢力は同じフランス人でも外国人です。だから、革命とは貴族社会という外国との戦いなのです。


護憲勢力は同じように世界が見えていると思われます。彼等は、日本とは多くの社会の集まりであり、政府、あるいは国家は日本そのものではなくて社会の一つであると考えています。

そして、国家は、日本における自分達の地位を高めるために、戦争を利用しようとしているのではないかと疑うのです。

たとえば、戦争が始まれば、政治家は非常事態として他の社会に対する影響力を持つようになります。彼等には、戦争を利用して、人権や自由を他の社会から奪う動機があるのです。


社会、国家、軍隊を一つの身体だと考えないため、国防に関する考え方も改憲勢力とは大きく異なるでしょう。

二十世紀から二十一世紀の歴史を振り返ると、滅びた国は軍備を怠った国ではなくて、そもそも国力の低い国です。

そして、国力は国を軍国化して、多様性を失わせることで、一つの目標に向かわせることで極端に低下します。

中東の戦争ばかりしている国、保守的な国の多くは国防を軽んじているからではなくて国防を気にしているからこそ戦闘能力が低く、他の国に容易に侵略されるのです。


日本の歴史を振り返ってみましょう。明治維新から、日本がひたすら西洋の価値観を取り入れていた明治から大正にかけて、すなわち夏目漱石や芥川龍之介らが創作していた時代は日本は一度も戦争に負けていません。

逆に、治安維持法が制定されて、西洋文化に否定的になり、表現の自由が著しく低下して保守勢力が力を伸ばしてからは、日本は一度も戦争に勝ったことがありません。

戦争とは軍隊ではなく、軍隊を後ろから支える国民の生産能力により戦闘能力が決まるので、国民の自由と多様性がないともろいのです。強力な社会があれば戦争は何とかなります。


また、戦後、自由民主党と社会党、保守と革新のバランスがとれていたときには日本の経済はアメリカを追い抜く寸前でした。

しかし、社会党が崩壊して、日本共産党の力が力が弱まり保守の独裁が始まると日本経済は停滞しました。

伝統と歴史を、そして宗教を重視する社会は発展しない。リベラルが弱いことはそれだけで日本を危険にさらすのです。


憲法九条を改憲することで、国民の意識が戦争に向き、そのため生産的労働と育児が軽んじられることが想定されます。憲法九条を改憲することは外国に攻撃の動機を与えるだけではなく、全面戦争に勝ち抜く生産能力を日本から奪うことに繋がるのです。


護憲勢力に関して、国防の問題を無視していると非難されることが多いですが実際は逆です。

人権を重視して、政府に社会を支配させないことで生産能力を高め、生産能力を高めることで戦争に強くなるのが近代国家の戦略です。

そのため、憲法九条は、戦前のような保守イデオロギーから日本社会を守るために必要だと考えるのが護憲勢力の立場です。

日本繁栄のためには、アメリカ民主党や中国共産党のような科学と革新を重視する革新勢力が政権を担うことが望ましく、伝統と歴史を重視する保守勢力が与党であり続けることは許されないのです。


今日は以上です。最後まで読んでいただきありがとうございました。

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