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港町・函館 今と昔

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天然の良港をいだく函館。 高田屋嘉兵衛の千石船が出入りし、ペリー提督が水と薪をもとめて開港をせまり、戊辰戦争では榎本武揚の艦隊が官軍と交戦するなど歴史を刻んできた。 開港160年… もっと読む
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記事一覧

啄木の片想い

石川啄木は ふる里の岩手・渋民で日本一の代用教員となる と教育に情熱を燃やしていた だが、校長排斥ストライキの先頭に立って 代用教員をたった一年で首になる  石をもて追はるるごとく    ふるさとを出でしかなしみ   消ゆる時なし 1907(明治40)年 啄木21歳の春5月、函館にわたった 詩集『あこがれ』で名が出始めた啄木を あたたかく迎えいれた 文学同人・苜蓿社(ぼくしゅくしゃ)のつてで 彌生尋常小学校の代用教員となった   わずか3ヶ月

年賀

皆さん  明けましておめでとうございます アップルパイを焼こうとして大失敗して 銘菓タルトタタンがフランスで誕生         失敗は成功のもと 今年はこの言葉に奮起!

〆パフェ

皆さん  今年もお世話になりました 来年もよき年でありますように

大道芸人 ギリヤーク

自分の風貌が ロシア・サハリンの先住民族ギリヤーク そっくりな故に芸名とし 本名は尼ヶ崎勝見 国内外の街頭で踊り狂った 阪神大震災、東日本大震災の被災地で 鎮魂「祈りの踊り」を舞う 仏、米、中国、韓国、サハリン…… ニューヨークのグランド・ゼロでも鎮魂の舞 では お巡りさんから踊り禁止を食らった 赤フン一丁はだめよ、と 30代で東京銀座の数寄屋橋で踊って 大道芸人となり50年あまり 投げ銭一本で生きぬいてきた函館生れの93才 2019年夏、そのギリヤーク尼ヶ崎が

お堀のヴァイオリン

ここは、ヘンデルが「水上の音楽」を演奏した 英国のテムズ河でもなければ 平安貴族が舟遊びを楽しんだ京都の大沢池でもない ここは、僕がガキのころ橋の上から とびこんで遊んだ五稜郭公園のお堀なのだ ヴァイオリンの音がひびき、ギターの弾き語り ソプラノの高く澄んだ歌声が 浮かんだ舞台のボートから響きわたった さらに、バラードをつま弾く津軽三味線 函館の今と昔を語るに語る講談…… 2020年夏、コロナショックで 生の演奏に飢えていたアーティストと お堀をかこんだ市民、観光客も

踊る縄文人

30年まえ、函館の市街地から30分 津軽海峡をのぞむ「戸井貝塚」から 縄文の骨角器が発掘された 釣り針、貝を加工した腕輪などの装飾品 海に漕ぎだした小舟をかたどった舟形の土製品も出土 四千年まえの縄文時代後期の生活が目に浮かぶ そのなかで、エゾ鹿の角から作られ、体に沢山の穴が開けられた 人型の角偶(かくぐう)が、損傷もなく完全な形で世に現れた この角偶を一目見たとたん、縄文人がモダンジャズを踊っている!   ピアノを弾いているのは、オスカー・ピーターソン? ー縄文の世

赤とんぼ

牧草地が広がるなかを杉とポプラの一本道が 真っすぐにのびている その先、一段と高くなった丘のうえに 男子修道院が立ち 静寂と神々しさがあたりに満つ 修道院の十字架が日差しにきらりと光り 鐘が鳴りわたった この道を歩くたびに 天国へ向かうがごとき思いとなる 三木露風は、10代後半 詩人で世にでるも悩みをかかえ 20代半ばに函館近郊の修道院を訪れた 3週間の滞在中に 詩集『良心』を書きとめている 31歳のとき、初代・修道院長ジュラール・プゥイエ (のちに帰化して岡田普理

無垢里

清々しく、しかも長い時をかさねた 空気がただよっている 明治なかごろの 蔵そのままの茶房・無垢里(むくり) 函館の豪商の別宅として建てられ 大正半ばに増毛の造り酒屋が主となり 戦後、銀行支店長宅、女学校の寮……と 時代の波を乗りこえて 現在の輪島・加藤さん姉妹の二家族の手に 納まった 姉妹は 蔵の隅々まで磨きあげ その佇まいが人をひきつける 畳に座りたいと 国外からも客が訪れる

幼子イエスをいだくマリア

函館山のふもと 観光客に人気がある八幡坂の坂上 ここで、すやすやと眠るイエスをいだく 慈愛にみちたマリア像を見あげると こころ安らかになる 箱館戦争の傷跡がまだ生々しい1878(明治11)年 シャルトル聖パウロ修道女会の修道女3人が フランスから函館にやってきた 休む間もなく教育と福祉の奉仕を始めた。 先ずは、孤児をうけいれ孤児院、授産所を開設 この授産所で針仕事の手ほどきをし この身振り手振りの 西洋裁縫教育こそが 白百合学園の源となった この小さなマリア像は 函

のらいぬCafé

美味い、美味いの2~3乗! パフェ・ピーチメルバ ここは千疋屋か 否、東京・銀座にあらず 北国の漁港 函館山のふもと イカ釣り漁船やウニ・アワビとりの 小舟がつらなる入舟漁港 ここにレトロでアートな隠れ家、 「のらいぬCafé」が忽然と 4年まえに野良犬のごとく 現われた 漁具店のガレージを改装し 電話も無く予約も不可だ 店名のいわれは 黒澤明監督・三船敏郎主演の映画「野良犬」から 佐渡の食材を使ったスープカレーなど 地元に多くのファンがいたが 奥さんの出身地・函館

朝イカ

「ちっこいけど、けるよ」 浜言葉を訳せば、小さいが、あげるから持っていけ、と 早朝、函館山の麓の漁港 漁から戻ってきたばかりの舟の生簀から 漁師のおかみさんが イカをどっさりポリ袋に入れてくれた そのポリ袋のなかでキュキュと鳴き、ドンドンと暴れた とつぜん現れた朝イカにびっくり顔の女房が 小さくて皮をむくのが面倒だわ とつぶやきながら、刺身にさばいた あめ色にすきとおりこりこり感がたまらない しょうが、うす醤油、ほかほかの白いご飯をおともに しあわせの一言につきた 6

神父の告白

フィリップ・グロードさん、 なぜ、神父になられたのか。 僕が投げたこの直球に ぽろりと本音を もらしたことがある。 フランス西部のブルジョアの生まれだが、 子供のころは手がつけられない 悪がきであった神父。 腕白で悪戯ばかりして学校を退学になり、 家で勉強して バカロレア(大学入学資格試験)に受かった。 元の学校の先生に、神父になりたいと言ったら、 おまえのような奴は、暴力団に入るか、 神父になるしかないだろう、と。 28歳のときに、フランスから函館に来て 半世紀あまり

縄文のヴィーナス

半世紀ほどまえ、 ひとりの主婦がじゃがいも畑で鋤をいれると ガチっと何かにあたった。 泥をとると人間のような目と鼻があらわれた。 腰をぬかすほどびっくり。 家族は、これ、土偶みたい、と。 函館郊外、昆布の里で知られる南茅部。 太平洋をのぞみ温暖で 豊かな自然にめぐまれている。 3500年まえ、縄文後期、 縄文人がマグロを獲り鹿を狩り、 栗の実をとって住んだ。 いまは、その遺跡があちこちにある。 そのひとつから中空土偶が姿をあらわした。 発掘から重要文化財、 さらに北海道唯

「幻の津軽そば」 かね久山田

津軽そばの旨さを味わうために、 いつも「かけもりセット」を注文する。 道内の幌加内で採れたソバを手打ちする。 水でふやかした大豆をすり鉢で50分ほど摺りおろした 呉汁(ごじる)をつなぎにつかう。 これが津軽そばの特徴。 コシがあり大豆の甘みがほのかにする。 ウルメイワシの丸干しでとったダシは、 くせがないが深みがあり甘みと香りがたって そばとの相性が良い。 津軽そばを全国に伝え歩いた職人が、 大正のころ、東京以北で最大の都市で賑わっていた 函館の末広町に落ちつきそば屋を