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函館で死にたい 啄木

風も狂ひ火も狂ひ
 
「明治40年6月11日 石川一、
函館區彌生尋常小学校代用教員拝命 
月俸拾貮圓」

明治15年の開校当初から綴られ古びた
「彌生小学校沿革誌」の一ページに記された
石川啄木の足跡である。
いまも校長室の耐火金庫に大切に保管されている。

天才詩人と名が出始めた啄木をあたたかく迎えいれた
文学仲間のツテで、薄給の弥生小学校代用教員となる。

が、「烈しい山背の風で一本のマッチから起った火を煽りに煽って……雲も狂ひ風も狂ひ火も狂ひ人も狂ひ巡査も狂ひ犬も狂ひ」と函館名物の大火で、

勤め先の「学校も新聞社も皆焼けぬ……
予が家も危かりしが漸くにしてまぬかれたり」。

妻子、母を呼びよせ新生活を築こうとの矢先、わずか3か月の教員で、
家族をのこし職をもとめて札幌にむかった。

「死ぬときは函館で死ぬ」と函館の友人・ 宮崎郁雨に書いた。
啄木一族の墓碑                 2010

北海道を漂うこと1年ほど、
そのあと上京し歌集『一握の砂』で名声を得たが、
困窮のうちに27歳で世を去った。

「おれは死ぬときは函館へ行って死ぬ」

と言いのこして、立待岬にねむる。


一握の砂 「東海の  小島の磯の 白砂に われ泣きぬれて  蟹とたはむる」
と詠んだ大森浜
         2018 


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