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浅草と僕、私 3

そんな辛い仕事も、潮目が変わったタイミングがあった。そしてそれをそうなるように仕向けてくれた人とは、本音で話し合えるくらいの間柄になり、いつも強気な姿勢からは信じられないほどの弱音を聞くと、あぁこの数年悪くなかったんだなぁと自分を肯定してやることができるのだった。

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竜泉にある富久の湯の経営が2人の若者に変わったタイミングがあった。
ちょうど彼らがnoteを書き始めた時に、まさか富久の湯か?と睨んでいたら、ついぞ自分たちの経営する銭湯を紹介する記事が上がり、駆けつけたのだった。
noteを見て訪れた第1号の客になった。
それからしばらく、かなりの頻度で富久の湯にはお世話になり、ビールを置いたり朝湯を始めたり、色々な取組みを始めるまさにその勢いを間近で応援していた。
僕が友人と作った漫画のフライヤーをフロントに置いてもらったり、色々我儘を通してもらったこともあった。
ある時、彼がクラウドファンディングをやる、という話を聞き、銭湯を貸し切ってイベントできる権利を買った。3万円。
よくよく中身を見れば富久の湯のクラウドファンディングではなく、彼自身の挑戦であって、ただそれでもクラファンは目標金額を達成したのだった。
早速キックオフの打ち合わせをして、一時は盛り上がったものの、自分含め全員の見積もりが甘かったため、次の一手が出ないまま話は立ち消えになってしまった。
応援という傍観の立場ならまだしも、己がフロントに立って何かを推し進めるという体力が実は全く無いこと、というか仕事以外で使いたくない、使ったら生き残れない、ということに気付かされ、辛い気持ちになった。
3万円、痛い勉強代だった。
ある日、朝湯に向かうと、フライヤーはしずかに片付けられていて、以来富久の湯へ向かう足が遠のいてしまったのだった。

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今日はここまで。

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