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川端通りにないのに川端警察署

↑2007年10月31日9:34 寮の玄関
 
 京都市の川端警察署は、東大路通に面する。同じ南北の通りである、川端通りは一つ西であり、東大路に面するなら「東大路警察署」という名前の方が自然な気がする。じつはこの警察署は、もともと川端通りにあった。

警察署の歴史

 1874年に東京警察庁が開庁し、1880年には京都府警察本署が誕生する。漫画「だんドーン」の主人公である川路利良が日本警察の父と呼ばれている。漫画「るろうに剣心」で、斎藤一と剣心が神谷道場で戦っているときに「やめんか!」と一括したヒゲのおじさんでもある。
 フィクションはさておき、京都府警の警察署一覧を確認すると、警察署の名称と住所はだいたい一致する。上京警察署は上京区だし、伏見警察署は伏見区だ。しかし、京都市内外にある25の警察署のうち、住所と一致しない警察署が3か所ある。

  • 川端警察署
    京都市左京区岡崎徳成町1

  • 下鴨警察署
    京都市左京区田中馬場町6

  • 田辺警察署
    京田辺市興戸小モ詰1

 なぜなのか、各警察署の歴史を調べよう。

東大路通りの川端警察署

 川端警察署は川端通りにない。この署はもともと、河原町警察署だった。1892(明治25)年3月30日の京都府令二十二号には、住所として上京区河原町通丸太町上ル桝屋町とある。今でいうびっくりドンキー河原町店の北、桜湯の西あたりだ。
 1893(明治26)年の勅令第二百十四号「郡市ノ区域ニ依ラサル警察署管轄区域ノ件・御署名」には河原町警察署の名があり、「本令ハ明治二十六年十二月一日ヨリ施行ス」とある。それまでは警察署は上京と下京の二か所だったが、この時に河原町・中立売・一条・建仁寺・五条・堀川の六警察署に増えた。
 1896(明治29)年に名称変更がある。

明治二十五年四月一日(三月三十日付府令第二二号)により上京警察署河原町分署を河原町警察署に昇格設置。明治二十九年四月一日、川端警察署と改称。

京都府警察史 第4巻 京都府警察史編集委員会 編 
出版者 京都府警察本部 1985.3
p. 653

 河原町警察が1895(明治28)年に上京区川端丸太町下ル下堤町に移転し、その1年後の1896(明治29)年に川端警察署と改称したようだ。

明治二十八(一八九五)三、二九 河原町警察署、上京区川端丸太町下ル下堤町へ新築移転

京都府警察史 第4巻 京都府警察史編集委員会 編 
出版者 京都府警察本部 1985.3
p. 711

 1896(明治29)年の勅令第百十五号「郡市ノ区域ニ依ラサル警察署管轄区域表中改正加除・御署名」にも川端警察署の記載があり、「京都ノ部左の通改ム」とある。警察署移転の1895(明治28)年は岡崎での平安遷都千百年紀念祭の年であり、鴨東運河(琵琶湖疏水)の竣工が1890(明治23)年なので、鴨東地域が急速に開発された頃だ。「京都名所手引草」(平安遷都紀念祭協賛会 編 出版者 村上勘兵衛 明28.4 p.3) にも川端警察署の住所は「上京区川端丸太町下ル下堤町」とある。日文研の古地図にも、丸太町橋の南、鴨川西に「川ハタ警察署」が確認できる。南隣は税務署だ。

日文研蔵 京都及附近光景全圖 : 第五回内國勧業博覧會記念 1902年

 川端警察署は川端通りにあったのだ。歴彩館デジタルアーカイブには明治大正期の川端署の写真がある。

石井行昌撮影 川端警察署 歴細館デジタルアーカイブ写真番号86 明治大正頃

 塀に天気予報が掲示されてたりする。
 次に、今の場所に移ったのはいつごろか調べてみよう。1922(大正11)年に、田辺朔郎らから川端警察署移転敷地買収の件という書類が残されている。琵琶湖疏水を設計した人だ。
 京都府警察史 第4巻1985.3 p. 724には1923(大正12)年に上京区聖護院蓮華蔵町に新築移転(告示百七十三号)とある。1925(大正14)年の地図には、西の川端通でなく東の東大路に川端署の文字が見える。現在の岡崎徳成町だ。

日文研蔵 京都市都市計畫道路圖 1925年

 また、後年の「全国市町村便覧」(藤谷崇文館編輯部 編 出版者 藤谷崇文館 昭和7年 p. 94 )には、川端警察署の住所は左京区岡崎徳成町とある。移転ではなく、いつしか住所の字が変わったのかもしれない。

上京税務署

 川端警察署の写真右側には瀟洒な建物が見える。これは、南隣にあった上京税務署とみえ、正面写真も残っている。

旧一号書庫写真資料 上京税務署 歴彩館デジタルアーカイブ写真番号98 明治末期~大正初期

 同じ頃の時代の撮影だろうか。警察署上空の左右にかかる電線と、税務署左上にうっすら見える電線が同じとして、上京税務署の写真左側の面が川端警察署玄関側と思われる。

田中馬場の下鴨警察署

 下鴨署は下鴨にない。下鴨と言えばデルタ以北の川で囲まれた三角のエリアだ。しかし、下鴨警察署はデルタでの合流点より上流にある高野川を越えた東側、川端通りと御影通りの交差点にある。
 もともとの田中警察署は、1886(明治19)年に田中村に出来た(京都府警察史 第4巻1985.3 p. 661)。河原町警察移転の一年前にあたる、1894(明治27)年に田中警察署の移転と改称があった。

明治二十七(一八九四)十二、二九 田中警察署、愛宕群下鴨村字宮四三へ移転し下鴨警察署と改称(公示二〇一号)

京都府警察史 第4巻 京都府警察史編集委員会 編 
出版者 京都府警察本部 1985.3
p. 711

 京都府公示第二百一号にも、下鴨村に移転とある。

google map より 下鴨警察署のある田中馬場と下鴨宮河町

 昔は鴨川の東側も下鴨村だったのかな?特に、この頃は高野川にかかる御影橋がないから、北東の田中村と呼ばれても変でない気がする。

日文研蔵 明治京都 1897年

 こちらも当時の写真が残っている。

石井行昌撮影 下鴨警察署 歴彩館デジタルアーカイブ写真番号85 明治大正頃

 拡大すると右の車夫さんがニコニコしているのがよくわかるぞ。

京田辺の田辺警察署

 最後に、田辺警察署は田辺町が1997(平成9)年に京田辺市に名称変更したさい、和歌山県田辺市との混同を避けるため京の字を冠したため、警察署だけ田辺町の名が残ったと考えられる。

まとめ

 川端警察署は今は東大路通理に面するが、もともと川端通りにあった。街の発展とともに、警察署も移転や増設していくことがわかった。

・1880(明治13)年 京都府警察本署開設
・1886(明治19)年 田中警察署開設
・1893(明治26)年 上京警察署河原町分署から河原町警察署に昇格
・1894(明治27)年 田中村の田中警察署から下鴨村字宮四三へ移転および下鴨警察署に名称変更 
・1895(明治28)年 上京区川端丸太町下ル下堤町へ新築移転
・1896(明治29)年 河原町警察署から川端警察署に名称変更
・1923(大正12)年 川端警察署新築移転


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