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紹介その3 ~資格取得から海外駐在まで~

その2はこちら
https://note.mu/taka7777/n/n0fb843bd2811

加速学習のおかげで、USCPAを最速で取得し、日本会計士を手放す。
事業だろうが、資格だろうが、
本当に欲しいものがあるなら、それまで賭けたものを無視して、
現在に集中して、損切りしていく。

これは、行動ファイナンスの原理に基づく判断でした。


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人よりも1年多く大学生活を過ごし、
その結果、「リーマンショック直撃」「東日本大震災直撃」
(おかげで、大学の立派な卒業式はありませんでしたw)

戦後史上、最悪ともいえる就活環境。
ついでに、ライブドアショックからの回復も完全でなく、
ベンチャーの資金調達事情も厳しいころでした。

※2019年時点、そのころに比べて日本の労働・ビジネス環境はかなり良くなったと思います。日本は先行き不安でもないし、不景気ジャナイデスヨ。


取り急ぎ、
拾っていただいた丸の内の某大手会計事務所でお仕事をさせて頂くも、
・繁忙期以外17:30帰りで合コン三昧
(1日2つのダブルヘッダーしたり肩書モテしたり、色々あった、、)
・仕事ができなくても、在籍さえしてたら偉くなる評価制度
・目標が、業務効率化と人員削減。。。
という挑戦的でない環境が肌に合わず、違う仕事へ。

それから、「組織に頼らずとも生き抜ける」ように、
イベント現場をやってみたり、飲食やってみたり、
テレアポやってみたり、コンサルやってみたり、、、
無我夢中に色々なことをやった。

※ちょうどそのころ、某ベンチャー企業(いまNew〇picksやってる会社です。当時は社員30名くらい)のインターンとしても働いてました。
当時は珍しい24時間フルフレックス、完全成果主義、、、
ここでの経験は話し始めると長くなるので、また別の機会に。。。


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ここで、冒頭の損切りの話に繋がるエピソードを1つ。
日系企業進出支援をしに、シンガポールで仕事をしていたときです。

現地でUSCPAの資格は、思った以上に魅力的に見られた。
(当時の日本人、英語×会計が分かる若手が、それほどに不足していた)

・難易度は、圧倒的に日本会計士>>>>>USCPA
・ビジネスで注目されるのは、USCPA>>>日本会計士
このパラドックスを身をもって体感しました。



この時気づいたのは、
「努力が報われるという考えは学校教育・受験のみ。」
→目的を持たない受験闘争は無価値。
昨今、N高や秋田国際教養大学が台頭し始めてきましたね。

「努力・難易度と成果は比例しない」
→努力も、方向性を間違えれば無効果。恋愛と同じです。
原理原則は有機的であって、公式のような無機質なものではありません。

「才能・強みを世に出すというのは、
常に”どこへ打ちだすか”を見るべきで、”何をするか”だけではダメ」
→ビジネスでいうPMF(Product Market Fit) 相手があってこその評価。

これは起業界では当然とされるルールだけど、
その時の自分は知らなかった。


結果として、冒頭の行動ファイナンスに基づく損切りは、
自分にとっては、正解であった。
損切りを恐れるな。イマという時間軸を切り離す。


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20代前半、東南アジア諸国で、
海外で様々な事業が速い速度で立ち上がったのを見て、
自分は海外志向になっていきました。

日本で売れないから、世界で売れないわけじゃない。
イマが時期でないなら、場所をずらせ。時期をずらせ。

流行りのものに乗っかるのではなく、
本当に好きなものを追いかけろ。
好きなものを信じ続けろ。

このころから、自分の目標は、
「日本発で、世界に打ち出せるイベントを作ること」になりました。

次世代のあふれる才能、クリエイター・イノベーターたちが、
世界で活躍できるような地盤や実績を作り続けられるように。

高度経済成長期に、手探りながら東南アジアの工業団地を開発して、
現代の生産拠点の礎を作った、商社マネージャーたちのように。

僕たちは、それを現代のイベント界で挑戦しよう。
それが、いまでも自分の人生の目標。



でも、この時は本当の意味での「海外」をまだ知らなかったと思う。
イビザ島に出会い、フィリピン駐在をするまでは。。。

その4に続く









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