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当たり前に生活の一部になるということ。

え?折れてる…?
眠れないでいる。まさかネックが折れるなんて。初めての出来事に、まだ半信半疑だ。酔って知らないうちに倒してしまったギター。自業自得ではあるが、今まで倒して折れたことはなかったのに。ショックが大きすぎる。

このギターを父親からもらったのは8年前。
人生の全てが上手くいかず、仕事から帰ってきてはライブDVDを食い入るように観ていた日々だった。観ている間は全てのことを忘れられる気がした。というか実際にそうだった。音楽にハマる時なんて、きっとそういう局面なのだろう。とにかく夢中で観て、今となってはそこに何らかの感情が生じた記憶はほとんどないが、当時の私は感傷的に観ていたのかもしれない。
ギター買おうかな。
ごく自然に沸き起こった想い。でも何からしたら良いのか分からない。インターネットで検索しても、どのメーカーが良いかとか、初心者はどれが良いとか、書いているものの現実味を帯びない。
そうか、お父さんに相談しよう。

父親がある日突然ギターを買ってきた夜のことを、鮮明に覚えている。
「ただいまー。」
「(母親)え?」
「4万だよ。」
「買ったの…?」
「へへ。」
そんな両親のやり取りを聞きながら、父親が片手に持っている大きなギターを見つめていた。ギターだ、としか思わなかったし、驚かなかった。父親の仕事が休みである土日には、吉田拓郎をはじめ、井上陽水、長渕剛、オフコース、かぐや姫が大音量で流れていた。ビートルズ、サイモン&ガーファンクル、カーペンターズ等、洋楽もよく聴いた。
音楽を好きな父親。そのことが少し自慢だった。ギターを買ってきてからは、完全に独学の下手くそなそれを伴奏にして歌った。私は昔から歌うことが好きだった。それから父親のギターは何本か変わり、20年以上弾き続けて随分と上手になっている。

電話でギターを買おうと思っている旨を伝えると、
「お前はすぐに興味を持っては失うから、まずはお父さんのをあげるから。それから考えてみたら。」
数日後、ギターケースに入ったアコースティックギターが送られてきた。昔買って、結局あまり気に入らずに弾かなくなったものらしい。メーカーの違いはおろか、楽器に無知な私には全くもって問題なかった。家にギターがあるだけで、これまでの部屋とは違って見えた。なんかお洒落じゃん。ギターと一緒に、入門本も送ってきてくれた。最初に練習したのは、その本に載っていた小林明子の‟恋におちて”だったと思う。コードも分からないから見よう見真似で抑えて、アルペジオもなんとなく弾いた。1フレーズ弾くのにものすごく時間がかかった。できないと大体嫌になる私なのに、何がそうさせるのか、夢中になって毎日弾いた。徐々に自分の好きなフジファブリックの夜汽車、茜色の夕日、GO!GO!7188のこいのうた。繰り返し練習した。なんとなくコードを覚えるようになって、なんとなくなら弾けるようになった。

ギターを弾き始めて5年程経った頃。オーケストラでコントラバスを弾いている知り合いとたまたま出会って、フォーク酒場に誘われた。お酒を飲みながら、1人1人交代してステージで演奏する。たまにバンド演奏も聴ける。黙々と自宅で弾いていた私には、刺激的な場所だった。元々学生時代にバンドを組んでいたような、50~60代の叔父様方、ものすごく歌唱力のある女性。プロで演奏していた人達。様々な人が集まる場所だった。初心者と言っても過言ではない私の下手くそなギターと歌を聴いて、拍手や掛け声をくれる。たまにストロークの仕方も教えてくれる。そんな素敵な場所だった。それから人に聴かせられるには、どんな風に弾けば良いのか考えるようになった。もう少し1弦1弦丁寧に弾いてみよう、とか。コードを押さえる指の力加減とか、他の弦が鳴らないように親指で押さえるとか。細かいところを気にするようになって、少しずつ上達していった。そのわずかな進歩に嬉しくなった。

そんな苦楽?を共にしたギターのネックが折れた。眠れるはずがなかった。現実だと思いたくない。父親からもらい、大事にしなきゃと思っていたのに。次の日、早速楽器に詳しい仲間に写真を送った。
「これはもう修復無理でしょうか…?」
恐る恐る送り、返信を待つ。
「これなら直りますよ。中の金属までは折れていない、オーソドックスな折れ方です。」
…なんと!直るのか!!
ひどく安心する。父親にも謝りの連絡を入れる。でもふと気付く。毎週末弾いてたのに、今ないと困る…!ギターを弾くことが、いつの間にか日常になっていることに気付く。受動的な私が、主体的に弾きたいと思っている。そのことに驚いた。

早速御茶ノ水駅に降り立つ。改札を出ると、すぐに楽器屋が立ち並んでいるのが見える。様々な楽器を背負っている人がたくさんいて、街は賑わっている。実は楽器を自分で見に行くのは初めてだということに気付く。与えられた趣味だと思っていた。それなのに、今はもう自分から‟買ってもいいな。”なんて思っている。何軒か店に入ってギターを眺めていると、同世代くらいのお兄さんが話しかけてくれる。
「今日はギターをお探しですか?」
「はい。ネックが折れちゃって。」
「そうなんですね!(写真を見せると)こりゃひどいですね。こちらはいくらくらいのギターですか?」
「7万くらいみたいです。MORRISです。」
「良いギターですね!どんなのが良いとかありますか?」
「ボディが小さめのが良くて。」
「なるほど。見た目はどうですか?艶があるタイプはこちらだし、ないものもあります。」
「うーん、ないものが好みですね。」
「なるほど。こちらはどうですか?アメリカのTaylorというメーカーです。今はギブソン、フェンダーと並びますよ!」
「へー。弾いてみて良いですか?」
「もちろん!いくつかお持ちします。」
そう言うと、店員が様々なギターを持ってきてくれる。実際に弾いてみると、ギターによって音が全く違うことに気付かされる。これまで父親にもらったギターしかほとんど弾いたことがなかった。使用している木材によっても音は異なるし、ネックの太さによってもコードの押さえ易さが全然違う。これまでそんなことは考えたこともなかった。松の木で作られた、本当に小さいボディーだが音は良く響く、エレアコに惹かれた。アンプにつなげるとまた楽しい。アンプなんて初体験だった。かっこいい。自分が弾いてるのか疑わしいくらいだ。買うつもりで来たわけではなかったが、試しで弾いているうちにものすごく欲しくなる。
散々弾き、「これにします!」とエレアコ購入を決意。初めて自分で買ったギター。それだけでわくわくした。

ギターを背負って自宅に向かう。
ある日友達が私に言ったことを思い出している。
「〇〇(私の名前)はさ、勧められて始めたことでも、自分に落とし込んで自分の趣味にしてしまうところが良いよね。それはもう誰々に勧められたから、とか言わなくていいんだよ。」
ハッとさせられた。
いつも自分発信というものがなくて、私には何もないなと思うことが多い。でも、違うのかも。人から勧められて好きになったことでも、決して自分から見つけ出したことなんかじゃなくても、その後それとどう関わるか。それで良いんだ。私には何もないなんて、そんなこと全然ないんだな。
このギターで来週末から何を弾こうか。何を歌おうか。もちろん父親からもらった折れたギターも修理しよう。大切なものだから。
当たり前に、生活の一部に。私の生活は私が作っているんだ。これまでも、これからも。

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