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コロナ渦とか言いたくなかったけど。

何で泣いてるんだろ。そう思いながらも、何やら喋って涙が止まらない。悔しいような、まだそんなこと言ってる自分が情けないやら、何の感情なのかが分からない。人気のない駅のホームで友人と2人騒ぎながら、友人は困っている気もする。でも酔っ払っているから止まらない。結局色んなコンプレックスを全て誰かのせいにしているだけで、その考えを打ち消すように泣き叫んでいることを、本当は分かっている。情けなくてださい。

2020年、世の中は変わった。日々の暮らしが、仕事の仕方が、人との距離感が。他人との価値観の違いが浮き彫りになったし、今まで無駄だけど誰も言わなかったことを排除する動きにより、効率的な社会に近付いた気もする。悲しいことも多かった。多くの著名な人が亡くなったし、誰かの家族が亡くなって、最後に会うことすらできなかった人達もいる。これからも飲食店や旅行会社、航空会社、エンタメ業界等、先行きが分からない業界だって、私なんかが考え切れないくらいあるのだろう。

新型コロナウイルスがどんなウイルスなのか、よく分からないまま迎えたステイホーム週間。結構楽しめていると思ってた。酒があれば幸せだし、自分のために美味しいご飯を作って、たまに流行りのリモート飲みなんかもして。楽しみにしていたライブはことごとく無くなったけど、ありがたいことに仕事はあったし、家の中でできる趣味を探して実践したり、こんな時だからこそいつもライブと酒に消えていたお金を、家具や雑貨、電化製品に使うこともできた。

でも。緊急事態宣言も終わり、世の中が少しずつ動き出して友人たちに会うと、自分が独りであることを実感した。みんな家族や、会える関係の大切な人がいる。ああ、みんな今日あった何でもないことを話したり、世の中に起きている様々なことをとりとめもなく意見したりし合えるんだな。ご飯が美味しいねって笑ったり、外に出られないから贅沢にあのワインを買おうとか言ったり。何気ない日常を共に過ごすことのできる人が、当たり前に存在する人達。私には縁遠いことだ。そう思うと、今までも時々押し寄せていた孤独に、今度は足元から掬われていくような感覚に陥った。

私は独り…。

それは、これからの人生を真剣に考えなくてはいけないのだと如実に思った出来事だった。どんな生き方がしたいのか。これまでふわっとごまかしてきた問題を、1度考える必要があった。どこで、どんな風に過ごすことが幸せなのか。私の人生に必要なもの、いらないもの。かっこつけている場合ではなくて、恥ずかしいとか言ってられなくて。お前もう何歳だよ!と自分に怒号を飛ばしたくなる。何にも考えずに生きてこれたのは、これまでの日常があったからなんだと思い知らされる。言い換えれば、こんな世の中になったからこそ考えようとしているのだ。だから私は今、いや結局のところ、友人に管を巻いている。私の孤独が誰に分かるか!いやみんな孤独なんだけど。みんなが嫌いなわけじゃない。羨ましい。隣の芝生は常に青い。

この頃の私はなんだかぐちゃぐちゃだった。心が荒んでいたし、本気ではないけど、語弊があるかもしれないけど、死にたいと思う人の気持ちが分かる気もした。これは昔からだけど、この寂しさとか、何か分からない感情が織り交ぜられたものを、それが過ぎ去った後でも忘れたくないと思う。忘れたら私が私でなくなる。何が起こっても、人は生きていく。そんな感じの年だったなあ。それでも笑って、時には一緒に泣いてくれた友人がいて、結局私はまあまあ恵まれている。

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