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お兄ちゃんてこんな人だったっけ。

物心ついた時から、当たり前に家族として存在する人。
だけど仲が良かった記憶はほとんどない。それが私にとってのお兄ちゃんだ。ほんの少し記憶しているのは、小さい頃にお風呂場でビー玉を転がして遊んだりとか。小学生の頃はストリートファイターの相手役にされてぼこぼこにされたとか。覚えているけれど、もうその頃からなぜか既に怖かった。
絶対に逆らえない感。
その明確な理由が何かあったのか、それすら思い出せない。思春期に入ってそれは加速し、漫画の貸し借りさえ機嫌の良い時を見計らって声をかける程、気軽に喋れなかった。
私たちは、そんな風に特別仲が良くない兄妹だったし、今でもそうだ。

放心状態の心を置いてけぼりにして、とにかく半年前に予約した飛行機に乗って実家に向かっている。あ~あ。クリスマスに実家に帰る予定にしといて良かった。
今はそれだけしか考えられない。
空港に着くと、事前に母親から事の顛末を聞いているであろう父親が出迎えてくれた。特に何も言わない父親を車の後部座席から見つめながら、だからこの人のこと好きなんだなあとか考えている。
婚約破棄。
たった4文字の言葉で全て物語ってしまっているその言葉通り、あっけないものだった。
「今日お母さん仕事なんだよ。」
「あー、言ってたね。」
「だから食べるもの買って帰ろう。」
「うん。」
いつまでも子供みたいで恥ずかしくなる。
スーパーでクリスマス仕様らしきお惣菜を買って家に着く。チキンだとかポテトだとかを食べるが、味がそれなり…というかパサパサして美味しいとは言えない。それでも実家にいること自体が、私を救ってくれた。

“いったあー…”
実家に帰って3日目の夜明けに、腹痛がひどくて目を覚ます。すこぶる健康な私にとって、こんなのいつ振りだろうかと思う。ここ2週間、ろくなものを食べていなかったことを思い出す。お腹が空いたら居酒屋でちょっとつまんで、ほとんどは酒を飲んで空腹を満たしている気になっていた。実家では美味しいご飯が出てくるものだから、ついつい食べ過ぎていた。急にたくさん食物が入ってきて、胃袋が驚いたに違いない。その痛みだ、と分かった時にはもう遅い。寝室から出られない。起こしにきた父親に、腹痛を訴える。
「大丈夫かよ。」と胃腸薬を持ってきた父親に続いて、私より少し後に帰省してきたお嫁さんが来る。
「大丈夫?薬飲む前にちょっとでも食べた方が良いよ。」と、カットされたバナナや苺にヨーグルトをかけたものを差し出してくれる。
「ごめんね、ありがとう。」と受け取ると、さっと出て行く。同い年だというのに、なんてできた人なんだと感心している。食べる気はしなかったけど、薬を飲みたいから無理やり頬張る。

2日程経てばすっかり治まり、久しぶりの実家での年末を堪能できた。姪っ子と遊んで、母親と話して。父親とお兄ちゃんとお嫁さんと酒を飲む。温かくて、心に染み入る。みんな何も聞かないし、これまでと変わらず接してくれる。何か思っているかもしれないし、それも伝わるけど、その対応はありがたかった。まだまだ心細さは消えなかったけど、少し心に栄養をもらっていた。

兄家族より一足先に、自分の住む家へ帰ることになっていた。父親とお兄ちゃん、お嫁さん、姪っ子が空港まで送ってくれた。車なのだから、そのまま落として帰ったっていいのに、わざわざ駐車場に車を停めて全員総出だ。
みんなの優しさに、少し恥ずかしくなった。
私は大丈夫だと、みんなに、そして自分に言い聞かせるために、何事もないように振舞えるのは特技のつもりだ。それでも今回ばかりは、見ている人にとって痛々しかったのかもしれない。
「じゃあ行くね。」
ゲートをくぐろうとした時に、お兄ちゃんが言う。
「うちに前使ってた家具とかあるから、引っ越すならいるもの取りに来いよ。」
え…?驚いた顔をとっさに隠す。
明らかによそよそしい。今まで何も言わなかったのに、不器用な彼なりの心配が言葉になって伝わる。
泣きそうになる。
お兄ちゃんてこんなに優しい人だったっけ。

あれは何年前だ。もう10年くらい経つのか。
祖父母が亡くなった時、涙を必死に堪える隣で、真っ先に大泣きしたのはこの人だった。私は昔から、泣くことが恥ずかしくてたまらない。せっかく堪えてるのに何だよ、と素直になれない私は、それを見て泣いていいんだと思ってわんわん泣いた。
結局、兄絶対性を自分の中で作り上げていたのだと思う。それほどに誇らしい存在であったのは間違いない。賢くて、決してかっこ良くはないけれど、そのクールな対応に当時の同級生からは評判だった。

お兄ちゃんは普段冷たい。でも、本当は私なんかよりも温かい人なんだった。それにしても別れ際になって言わないでよ、と思う。
「ありがとう。その時は車で行くわ。」
ゲートをくぐると、目尻から頬にかけて涙が伝っているのが分かる。
恥ずかしい。
人がたくさんいるのに。でもそんなことどうでもいいか。私の心は究極まで我慢したじゃないか。悲しい涙じゃなくて、優しさに触れたときの涙なら、流してもいいよなあ。
飛行機に乗り込む。
窓際の席に座って、窓から覗く田んぼが拡がるいつもの風景を見下ろしながら、涙が止まらない。少しずつ離れていく田舎に、しがみついていたい気分だ。
今は何も考えられない。でもきっと、いつか、この時のことを笑って振り返れる日が来るだろうな。その時、ここでもらった優しさを返せたらいい。実家が遠ざかって行く中、ぼんやりそんなことを思った。

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