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無音

私は無音が好きなのだと気付いたのは、人と一緒に暮らすようになってからだ。確かに音楽やラジオが好きで、通勤等の移動時は、ほとんど欠かさず聞いている。
でも。昔から、何も聞きたくない時がある。その時はただ電車内でぼんやりしたり、スマホを見ている人たちを眺めたりする。気力がないというよりは、体の中に、自ら選んだ音を入れたくないという感覚、とでも言おうか。

彼と一緒に暮らし始めて、音楽の趣味が合う人なのに、彼の周りから聞こえる様々な音が、ものすごくうるさく感じるようになった。彼はとても楽器を弾くのが上手で、毎日のように弾く。別々に暮らしていた頃は、時々聞くその音色をカッコいいとさえ思っていたのに。

私のことだから、上手に楽器を弾けて、たくさん音楽を知っていて、自分で録音できる機材を持っている彼が羨ましくて、嫉妬からうるさく感じるのかと思ってみた。自分のせいなのかな、と。だけど、何かそれでは説明できていない気がした。なぜ。

そういえば1人暮らしの頃は、もっとぼーっとしていたな。読みたい時に、読みたい分だけ漫画や本を読んで。ちょこっとだけお茶を飲んで。好きなタイミングで布団に入って、衝動が訪れると物を書いた。横目で植物を愛でて。その中に、その生活の中にあった、何も入れたくない時の、無音。

嫌なことがあったわけじゃなくて、何も考えたくないとかじゃなくて、何も入ってくれるな、と思う時間。刺激はいらないよ、今は。のやつ。それが無音。
しんとして、何をしてもいいんだなと思う。私の世界。

わたしはそれをたまに、欲する。
確かな理由はない。本能的、とでも言うべきか。

彼と暮らして、無音の時間が失くなった。私は今まで、自分のタイミングでお風呂に入った。食べたい物を、食べたい時に食べた。たまには手を抜いて。自分が欲しくない時、コーヒーはいらない。アイスは必要。ごろんと寝ること。好きな天気予報士から明日の天気を聞いて。たまにはベランダの窓を開けて、外の空気を吸ったりする。でも寒くなってすぐ閉めたり。それと同じで、音も。ミュートしてきたのだ。

自分で全てのタイミングを牛耳れる暮らしとは違うのだ。なんだかそれが、とっても悲しい。2人でいる幸せと、引き換えなのか?おかしな話だな。

私は今日も、無音を探る。

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