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「真に受ける」

発達障害でよくいわれる「真に受ける」という言葉。

私もASD臭いので、昔は「文字通りに受け取る」のはまあまあ酷かったし、今も言葉の裏を読み取れるかというと全然なわけだけど、それでも「褒め言葉は素直に受け取っておくと、本当に褒めてくれた人は喜んでくれるし、皮肉で言った輩は気まずくなって撃退できる」程度の理屈はわかるようになった。

しかし「文字通り受け取る」は、どうやら「真に受ける」の一部の現象に過ぎないらしい。「生真面目」「堅物」もそうだ。

「真に受ける」というのは、ゴミな情報も重要な情報も全て同じ重みにしかみえず、全部にまともに引っかかってしまう、ということなのだそうだ。

これを教わったら、腑に落ちたことがたくさん生まれた。

「真に受ける」人は、世の中の情報量に圧倒されるのはもちろん(これは正直わかる)、その中での優先順位がわからないため、複数の選択肢から「いやそれは選ばんやろ」というものを選んでいく。

成功体験を積むには「簡単なところから手を付けよう」とはいうものの、「簡単なところ」からは「これをやったら人生に悪影響がある」とか「倫理的にありえん」といった有害な選択肢は暗に除外されているものだ。
そんな何らかの問題があり誰も手を出さないことを、「自分だけが見つけた冴えたやり方」と思って手を出して爆死する。

「真に受ける」がこのくらいの粒度で世の中の事象を信じることなら、その反対は「何も信じられない」になってしまう。

詐欺師にとっては、検討能力が低く、他人を頼って問題を解決することもできない人物は、いいカモになるだろう。ほんの少しでも「こいつは信用できる」と思わせたら、簡単に囲い込めるもんね…。

「同じ失敗をし続けて自ら自分を追い込んでしまう人々は、どうしてそう浅はかでいられるのか?」というのは以前から考えていたが、体感として「浅はか」がわからないなら仕方がないのかもしれない。

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