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タイの若者のタイ文字は日本人には憶えやすい

 気がついたら、4ヶ月もnoteを放置していた・・・。

 ふと、妻とのLINEのやり取りで思ったというか、思い出したというか。タイ文字の学習について、わりと若いタイ人とやり取りしていた方が習得しやすいのではないかなと思った話を。

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 基本的に、ボク自身のスタンスとしてはタイ文字は難しくない、と思う。日本語でいうところのひらがなしかないようなものなので、ちょっと勉強すれば簡単に読めるようになる。

 ただし、あくまでも「読める」ようになる、である。結局のところ、タイ文字そのものを憶えても、単語の意味がわからなければ話にならない。たとえば、下記のようにカタカナで書くと同じになってしまうが、タイ文字で表記するとちゃんとした文章になる。

■マイ・マイ・マイ・マイ
■ไม้ใหม่ไม่ไหม้
■新しい木は燃えない

 最初のマイは正確にはマーイと書くと発音に近づく。うしろのふたつのマイは声調がまったく同じだ。だから、カタカナではマイと書くしかできない。

 それでもタイ語にするとちゃんとした意味になる。このように、タイ文字学習においては文字そのものを憶えても、漢字と同じような感じで、最終的には綴りを憶えないといけない。

 でも、果たしてそうだろうかとボクは思う。そりゃあ公式文書やタイ語学校のテストでは正確な綴りは必須でしょう。しかし、日常でそこまで緊張を強いられる必要があるのでしょうか。憶えたてのときにもそこまでがんばらないといけないのでしょうか。

 言葉は繰り返しの積み重ねで習得されるものだ。正確な綴りが書けないからとそこから離れてしまっては経験を積むこともできない。

 というわけで、別に間違ってもいいから発音し、そして文字をどんどん書いていくこと。これが重要である。最近なら手書きなんてほぼしないだろうから、SNSでもなんでも、タイ語学習者はタイ語で文章をじゃんじゃん打っていけばいい。

 もちろん、意味が通じないこともあろう。そんなときは、タイ人が指摘してくれるでしょう。年寄りなんかは頭が固いので、ちょっと間違っているとなにが言いたいのか理解してくれやしない。でも、普通に考えて、そんな頭の固い人とつき合っていく必要だってないでしょう? 間違っていても理解してくれる、あるいは指摘してくれる人とつき合っていくこともまた、タイ文字習得の近道だ。

 タイの若者と文字のやり取りをすることのメリットがほかにもある。それは、わりとタイの若者は間違った単語でも会話全体を理解しやすい傾向にあるということだ。簡単に言うと、タイの若者はおふざけではあるものの、SNSやLINEのやり取りでは発音に従った表記をすることもあるからである。

 これはわりと最近の話ではなく、20年くらい前にはすでにあった、タイ的なジョークというか、若者らしい遊びだ。最近のネットスラングでは上の画像にある「555」がわかりやすい。日本の「www」と同じで、笑いを表すことはタイ語ができなくても、タイ好きなら知っていることでしょう。タイ語で5はハーなので、555はすなわりハーハーハーと笑っていることを表す。日本と違うのはwと一文字では表せないので、だいたい3つ以上つくことか。

 間違っていても通じれば、学習意欲も出てくるし、正しいことはのちのち憶えればいい。そういったメリットが若い人とのやり取りで出てくると思う。

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 妻とのやり取りでも(といっても妻ももう41なので若くはないが)、発音を重視した文字を送ってくることもある。ボクの「もう出たの?」に対する答えだ。

ช่าย

 発音的にはチャーイと表記する。これは「ハイ」を意味する「ใช่(チャイ)」のことだ。より強く答えるときにタイ人は短母音ではなく、チャーイと伸ばす。その音をそのまま書いている。

 こういうこと。タイの若者はわりとこういう書き方を友だち同士の中でやっている。ほかにも例を挙げてみる。

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 馬刺しを食べた話の中での返信だ。

อร่อยมะ

 アロイ・マと書いてきた。これは「おいしいですか」の「อร่อยไหม(アロイ・マイ)」のマイの口語をそのまま文字にしている。そうですか、などを意味するチャイ・ルー・プラーウを若い人は「チャイ・パ」と言う(あるいはそう聞こえるくらい短く発音している)。そんな感じの略し方をマイでもしている。

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 娘(中3)に学校がワクチンを出してくれるということで連絡があったのだが、保護者の大半が断ったようで、妻も断ると。そのときのもので、

ม่ฉีดวัคชีนนะ

 マイ・チート・ワクチン。つまり、ワクチンは打たないと返ってきている。ちなみに、画像内では象のCh(ช)が鎖のS(ซ)になっている。単に打ち間違いだ。タイ人でもこういう感じなので、学習者の我々はガンガン間違っていけばいい。

 さて、ここではなにが普通と違うのか。

 頭の「ม่」は本来、これだけでは発音できない。母音記号がないからだ。本当は「ไม่」と書き、これでマイになる。でも、会話上、そこを入れなくたってわかるだろ、ということで。こういう省略のケースもある。

 ちなみに、東北地方のイサーン語の否定形のマイは「ボ」という。これは人にもよるが、若い人は多くが「บ่」と表記する。これも母音記号の省略であるし、おそらくม่もここから来ているのかなとボクは思っている。

 逆のパターンになるが、水、すなわちナーム・プラーウを若い人は「ペーラー」と言うことがある。ま、この例は20年以上も前からあるので、いわゆる死語になっているかもしれないけど。なぜペーラーなのか。これまでの例は発音を文字にしているケースだが、これは逆で文字を発音に変えたケースである。

น้ำเปล่า

 水の綴りは上記になる。「น้ำ」だけでも水ではあるが、これは水全般を指すので、純粋な水という意味で「เปล่า」をつける。要するに飲み水だ。

 タイ文字は子音が重なって読むケースがあるのだが、特にRとLに多い。このเปล่าもそうで、ป(P)にล(L)がくっついているので、プラーウと読む。

 しかし、これを母音記号にくっつけて分解すると、「เป」と「ล่า」と読むこともできなくはない。これが、เป(ペー)、ล่า(ラー)になったというわけ。

 こういう言葉遊びをしているので、若い人の方が日本人の稚拙な、あるいは憶えたてのタイ文字でもなんとなく発音から理解してくれやすい。もちろん、最終的には綴りもちゃんと憶えた方がいいけれども、経験を積んでいけば無理にがんばらなくてもだいたい書けるようになるものだ。とにかく、書きまくること。それでタイ文字は憶えられる。

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