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村上春樹の卒論のエピソードが凄過ぎた

 卒業論文は大変だ。文系大学生の僕がこんなことをいうと、理系のみなさま方にトゲトゲのボールを背後から投げつけられそうで、怖いけれどあえて言おう。卒業論文は大変だ。

一つの事柄に対して、知見を貯めるために参考文献を読み漁らないといけないし、Youtube等の手頃な娯楽が僕らの作業をこれでもかと止めにかかる。そして気づけば、ゼミの日になり先生からの厳しいフィードバックを受けて、手頃な娯楽に現実逃避。卒論の日々は怠惰な自分と向き合う日々でもあった。

 と、そんな卒業論文に悩まされながら、なんとか筆を進めている時に、僕はなぜか偉人がどんな卒業論文を書いたのかを検索するというヘンテコな趣味を患っていた。この疾患が卒業論文の執筆を1ヶ月半は遅らせたことは言うまでもない。

歴史上の偉人の卒業論文はやはり素晴らしく、一時が万事ということわざ通り、金太郎飴みたいに偉人はどこを切り取っても偉人なのだと、自分で勝手に調べておいて、勝手に落ち込むという愚行をひたすらに繰り返していた。

 その作業(偉人金太郎飴確認作業)の途中、村上春樹さんの卒業論文のエピソードを僕は知ることになる。簡単に紹介しよう。

早稲田大学に入学した彼は、学生時代の途中愛しい女性ができ結ばれる。いわゆる学生結婚をしたのだ。そして、家族を支える主として、大学生ながらジャズ喫茶を経営する日々を送った。7年間大学に通った彼だったが、ジャズ喫茶が忙しく、卒業論文になかなか手をつけられず提出の一週間前になってしまう。しかし、そこからの1週間で彼は原稿用紙100枚分を一気に書ききる。参考文献を1冊も使わずに。

さぞ適当なものだったのだろうと思ったが、そうではない。その論文を読んだ教授に、「君は物を書く仕事についたほうがいい」と言わしめるほどの物だったのだ。

しかし彼のその文才はすぐに花開くわけではない。大学卒業後、ジャズ喫茶の経営を続け、なんとか安定してきた30歳。その時に始めて小説を書いた。そして、その小説が新人賞を受賞。そこから村上春樹の小説家人生は始まった。

 ため息が出るほどに天才であり、カッコ良くて美しい。ちなみにこのエピソードをwikipedia先生に教えてもらった僕は、村上春樹の人生があまりにも知りたくなって、彼の自伝的エッセイ「職業としての小説家」を読んだ。

その本の中で、繰り返し強調される村上春樹さんの物事の考え方に、とてもいいなぁと感じさせられた。


 彼は作中で、自分のことを普通の男であることを繰り返し強調し、世間の考えるイメージを客観的に把握しながら、あくまで0から自分なりの考えを論理的に持とうとしていた。

最近いいなぁと思う人の本。例えば見城徹さんの「編集者という病」でも、ーあくまで判断軸として自己があり、周りに世間の客観的なイメージや常識なるものが存在するー同じような考えが散見される。

僕なんか普通に生きていると、普通に生きれてしまう人間からすると、日常はそういうもんかでビュンビュン過ぎていく。けれど、彼らのような”才能”からすると、日常にはいくつもの違和感があり、それらと自分との距離を図り、きちんと自分を日常から形成していっているのだろう。

 僕も日常の違和感から、僕という人間を削り出せるように、日常を生きたいなぁ。今日はこれから映画「パラサイト」を観にいく。SNSのタイムラインでたくさん流れていて、観たくなったから行く。これまたなんと凡庸であろうか。ほとほと自分が嫌になる。


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