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ウズベキスタン、行ってきたん(4)~シルクロードをつっきるウズベク新幹線に乗ったぞ! ブハラ後編~


 ブハラでミナレットをのぞみならチャイハナ(お茶休憩)。

 砂漠の砂が入るのを防ぐためか、こっちの茶店にはこのキングベッドみたいな座敷がいろんなところに置いてあります。こんなかんじで、人々は頻繁に休憩をとるわけです。なにせ暑いので。


 ブハラの宿で出た朝ご飯はこんな感じ。とにかくトマトが生で出されます。ウズベクサラダといえば生トマトに生タマネギ。

 朝ご飯は中庭でいただく、というのも、一年のうちでほとんど雨が降らないお国柄ならでは。

 ブハラのナンのほかに、もっちりパンケーキみたいな甘いパンがありました。

 どこの建物も、こんなふうにいまでも錠前が大活躍。びっしり彫刻の施されたドアは、新しく建ったホテルにも再利用されて、オリエンタル・ビンテージの雰囲気を醸し出していました。

 はいはいはい、来ましたよシルクロードの歴史といえば!!

 ブハラといえば、この城。

 アルク城。

 代々ブハラのハーン(藩主)の居城でした。見よ。この「絶対登らせねえぜ」という強い意志をもつ角度を!


 門の前では当時の民族衣装を着た門番さんがお出迎え。

 その昔、19世紀にナルスラー・バハドゥールというブハラの王様がいて、この王様がそりゃあ残虐なことをやった人で、このレギスタン広場では有名なイギリスの探検家や軍人が処刑されています。

1834年に「ブハラ踏破記」を出したアレクサンダー・バーンズが、乙嫁のスミスさんのモデルなのかな、と思うのですが、この人もアフガンで殺されてる……。まああんまり素行の良いひとではなかったようなので、彼が残した記述のみ参考にされてるのかもしれません。


「Travels Into Bokhara: Being the Account of a Journey from India to Cabool, Tartary and Persia 」

 ↑ここで読めるよ。

 父親も兄弟も殺害というのはイスラム王朝では珍しくない話ですが、この王様はさすがにたくさん殺しすぎて、当時のヨーロッパではブハラのネロと呼ばれていたんだとか。

 イギリス人だけでなく、いろんな罪人を塔の上から突き落とすことで有名だったそうで、広場はいつも血で染まり、その臭いを消すために毎日砂が撒かれたという記述もあります。

 そんなわりとヤバイ王様がいたころもありつつ、南下したいチンギスハーンや、おとなりのヒヴァハン国やコーカンドハン国とドンパチを繰り返しながら、紀元前4世紀から存在し続けた、シルクロードの雄。ブハラ。

 やっぱり南下したいロシア帝国も、ブハラのムスリム国家としてのまとまりは驚異だったようで、あくまで保護国として、国自体は存続させました。


……なんだけど、ソ連はそんなの関係なかったよね。レッツ・ボルシェヴィーキ!!

 とつぜんロシア帝国が真っ赤に染まって、赤いやつらが戦闘機飛ばして空爆してきやがりまして、アルク城もほとんど壊滅状態。

 なんてことするんだボルシェヴィキの野郎!!!おそロシア!!

 歴史あるブハラ・ハン国(当時はもうモンゴル系ではなかったので、ハンではなく王様はアミールを名乗っており、ブハラ・アミール国ともいう)は1920年をもって消滅。




 おそロシアの爆撃を逃れ、かろうじて現存する玉座の間。

 どこかコリント式を思わせる木製の柱。彫刻が見事です。


 ウズベク中たくさんいて、観光客も安心の、ウズベク観光警察の制服。

 場内には当時の衣装の展示がたくさんあり、目の保養。ブハラは当時の中国とも交易をしていたので、どこか中国風に感じるのはそのせいかも。なにせシルクロードのどまんなかです。

 こちらは突然のうちの家。ブハラの画家さんから買った植物の絵です。変にオリエンタルを意識した図柄より、きっと描いた人が息抜きに好きなものを描こうとしたのだろうな、と微笑ましくなり、お買い上げ。家にあった額にぴったり。

 ブハラは当然古い街なので道路は十分に舗装されておらず、気を抜くとガクッといく。

 突然の同行者負傷につき、ブハラで突然薬局へ。これはブハラのサージカルテープと湿布。

 ブハラのあげ餃子と蒸し餃子。ヨーグルトをかけて食べる。

 ちなみに、この皿の模様はウズベクではごくごく一般的な図柄だそうで、同行のハラダさんが「これがほしいの~!!ポットごとワンセット買って帰るのーー!!」と旅行中ずっと言っていた。向こうの人にとっては特別な柄ではないため、意外と観光客用の店では売っていないのです。


 ブハラの青は、サマルカンドより少し優しく、マイルドな感じ。



 そうそう、当時はサマルカンドもブハラ・ハン国の都市だったんですよ。

 どうでもいいですが、平たい顔の民族の女が二人、木陰でHPの回復なのためぼんやり座っていると、大量のギャルがやってきて、「キャーー、いっしょに写真とってくれませんかーーー??!!いい?おK?やったーー良いってよーー、みんな撮ろう撮ろう!!」と代わる代わる写真を撮っていく。そして、一人okすると、周りのウズベク人が「おい、あいつら、写真okらしいぜ?」と反応し、わざわざ後ろに並んで写真待ちをしていた。

 なんで?

 どうも、日本人がぼんやりしているとみんな同じ目に遭うらしい。

 ウズベクでは、遺跡で結婚式を挙げるのがブームらしく、こういったメドレセやモスクは、いつも綺麗に着飾ったギャルたちの笑い声であふれていました。

 どうでもいいけど、なんで……?

ハ「いったいなんだったんだ……」

私「なんだったんだろうね……」

 40数年生きてきて,一度たりともギャルにもてたことがないゆえ、いつまでも狐につままれた顔をしていた私とハラダさん……


 死ぬほど予約がとれない高速鉄道アフラシヤブ号に乗って、サマルカンドへ移動です。

 ちなみにアフラシャブというのはサマルカンド近郊にある、紀元前6世紀ごろの有名な遺構のこと。


 中はこんな感じ。ゆったりだし綺麗だし、なんと頼めばガラスのおしゃれなカップで本格的なカフェラテを飲める。天国か。

 途中の駅があまりにもザッツ共産圏だったので、かわいくて撮ってしまった。ナボーイの駅。


 そういえば、この特急に乗っている間、最初の駅とブハラの間に、街の廃墟がありまして。

 それが、工場の廃墟じゃなくて、あきらかにひとつの街全体が廃墟のようでして……

 グーグルマップを見ても、のってない。

 検索しても出てこない。

 なんだったんだあの街。


 例えるなら、007で突然ヤバイブツと人質とかを交換するシーンのロケに使われそうな廃墟です。

 なんだったんだ、幻かな……

 でも、確かに見たんだよ。街はあったんだ!!



 次は、ついにやってきたぞ。世界遺産、サマルカンド!!

 久保田早紀の異邦人を歌いながら、土煙のスゴイ街を行くぜ!!



 続く(のかな)





いつもは本や映像や舞台にするための物語をつくっています。 ここでは、もう少し肩の力をぬいて、本などの形に仕上げることを考えず、気楽になにかを発表していきたいと思います。 ぶっちゃけサポートほんとうにほんとうにうれしいです。ありがとうございます。お返事しています。