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おかあさん、やっと一緒に帰ってこれたね

お話としてお読みいただければ幸いです


私は、明らかに
今世の記憶としてではない二つの異なった時代の記憶があって
いろいろなものに遭遇した時にフラッシュバックのようにそれを思いだす。

いや、思い出すというより入ってくるという感じかな

一つは赤い土壁の洞窟で、千人規模で暮らしていた僧侶(修行者集団)の時の記憶なんだけど、そのお話はまたの機会に譲るとして・・
今回はもう一つの、ほんの短い命であったころのささやかな記憶について

産まれて、はじめの記憶はどこからあるか?
ということを、小学校時代に友人たちで話題になった時みんなの記憶が3歳ごろのことが多く、あまりにも遅いのにびっくりしたことがある。

わたしのいちばんはじめの記憶は天井を向いて寝かされたいた時、そう明らかに乳児の頃、うすらぼんやりする周囲を眺めながら「今度は、どこだ?」「今度は、成功か?」と思ったことだった。

多分、幾世代も男性として産まれ、修行する者として生きてきたわたしは、その生を終える時に「次に生れる時にはぜひ女性として生まれて、子供を産んでみたい」と強く願った。でも、女性として生まれてかつ生き残ることには何度か失敗していたようだ。

今世のひとつ前、わたしは満州かシベリアらしい極寒の場所で開拓民の子として産まれた。女児だった。そこがどこだったかはもちろん定かではない。ほんとうに幼い頃、逃げて移動中の母の背中で人生を終えた記憶だけはある。薄れゆく意識の中で「今回は失敗だった」と思った。

 そして母が泣きながら、わたしを土に埋めたこと、その土は掘るのも大変だったこと、そこには、わたし以外にも数人が埋められたこと、場所はどこかは定かではないけど、そこに行くと、ああ私はここに埋められている。と、いうことがわかるだろうなぁと思っている。

はじめてそれに気がついたのは23歳の頃、飛行機でシベリア経由でヨーロッパに行った時、永遠と続くシベリア大陸の大地を眼下を眺めながら、ああ、この地のどこかにわたしが埋まっている、と脈絡もなく入ってきたのだ。

何?この感覚は
それは、妙に生々しいものであった。

それからも、戦争に負けて大陸から引き上げてくる人のドラマ、映画、ドキュメンタリー等を見るたび、また満州やシベリアから引き上げてきた人の話を聞くたびに(また、その話を聞くのが好きだった)心の震えが起こるのを感じるようになる。それは可哀そうとか、怖いとか等ではなく、他のどんなものに接しても起こらない感覚だった。

そして、そこには、なにかを探すわたしがいた。

「お母さん」

お母さんは無事、日本に帰っていったのだろうか?


   純ちゃんとの出会いは、共通の友人が彼女を連れて家に遊びに来てくれたことだった。彼女は名古屋を中心にいろいろな事業を展開する若い女性実業家だった。

数回目に、ひとりで遊びに来た時
純ちゃんが、韓国の旅行で感じたことを話はじめた。

3日間の韓国 ある夜、私が 寒さ対策のために おしゃれ度ゼロの下着を来て 部屋を歩いてたら、二人に そ、そ、その恰好なに?
とつっこまれる。

わたしとしては、極寒韓国でもし、何かあって 寒い中しのぐことになっても大丈夫なように対策したきた。 
(もう、今思い出して書いてるだけでも自分がおかしすぎる)
二人は、あんな寒い場所にうすっぺらい服 
でもおしゃれ で過ごしていた。。。。

で、ゆりちゃんが言う
「純ちゃんの 食べることへの執着 もし何かあったらという不安は なんだろうね」って。。。。

その問いにハッとした。
食べることへの執着、もし何かあったら への不安と対策、これは何を意味するのか

そんな問いをお持ちながら 韓国を歩いて、また 二人に 飲む? 
って水筒を出したとき

【あー、自分が飢えるのも怖いけど 周りが飢えるていく
 自分が 周りを助けれない というのが怖い】

ということに気が付いた。

それを、ゆっきーに伝えたら
「大丈夫 純ちゃんが助けなくても 私死なないから」と言われ ((笑)ものすごく安心した


なんかわたしの抱えているものと重なるものがある・・・・



わたしは、それまで誰にも話したことのない、逃げるように移動する極寒の地で母の背中で死んだ自分の前世と思える話を彼女にした。

そしてふと
「たぶん 前世で 純ちゃんは 私のお母さんで そのシベリアで 寒くて飢えた お母さんの背中で死んだ気がする」という言葉が口から出た


ふと
いおりさんが
「たぶん 前世で 純ちゃんは 私のお母さんでそのシベリアで 寒くて飢えた お母さんの背中で死んだ気がする」と言われ
私、その話を聞いたとき
身体ごと 後ろに持っていかれて 倒れそうになった。

思い出した。
私は、子どもを助けれなかったこと。
その後、私も寒さと飢えで死んだこと。
だからなのか、寒さが以上に怖く
そして、常に食べ物がないと落ち着かない。。。

それから2人で近くの東谷山に登った
ちょっと暖かい冬の日だった

でも、もう 大丈夫なのだ。
たぶん、大丈夫なはず 
って思っているときに
いおりさんに 山歩きしましょうと誘って頂いた。

いおりさんに会うときは、他の方もだいたいいて
二人きりになることはなかったのに
山歩きは 二人。
近所の山だけど 体力のない私には キツイ。
頂上の清々しさもよかったけど

下るとき 
いおりさんの背中を見てて
下りきったとき
あーーー いおりさんと戻ってこれた・・ って
泣きそうになった



ふたりは、あの前世のつらいつらい記憶のやり直しをした


純ちゃん、あの時、背中で寒さと飢えで死んだ子は
こうしてちゃんと大きくなって
お母さんの前を元気に走っているよ


お母さん、やっと一緒に帰ってこれたね〜




純ちゃんサイドからのこのお話は、
こちらのブログで読んでくださいませ
コトノハ食堂の祈り






時々、時間と空間が交錯して
今では無い時空に入ってしまうことがある

そこには、かならず
奇跡とも言えるレベルの
こころの解放を伴う


2018/7/12






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