週刊タカギ #19

こんばんは。高城顔面です。
帰省中です。実家はご飯がおいしいのでありがたい……!(おかげで呑み過ぎて更新を忘れてた)


本日は、5/3(金)。一首評を掲載します。

たましひをいくつも載せてかへるべき港をもたず軍艦巻きは

千葉優作『あるはなく』(青磁社,2022)

わたしは、昨年立ち上げられた出身大学の短歌会(北海学園大学短歌会、OBも参加可能)に参加するまで、どこの結社や団体に所属するでもなく、いわゆる「野良」の状態で札幌で短歌を作ってきた。

そんな活動をしていた中で、はじめて著者の方から「謹呈」という形で歌集をいただけた。それが、同じ道内出身の千葉優作さんの第一歌集『あるはなく』であった。

千葉さんは、気配りの方である。実際にお会いしたのは片手で数えられる程度で、年齢も歌歴もわたしより少し上の先輩にあたるのだが、お会いするたびに気さくに接してくださっていて、とてもうれしい。

そんな千葉さんの歌には、独特の感傷がある。それも、一枚の画になるような感傷だ。『あるはなく』一冊の中だけでも、いくつものハイライトが存在しており、起伏に富んだ歌集だと感じた。その道筋をいくつか追っていければと思う。

あの夏のきみにまつはる思ひ出のすべてが夏の季語だつたこと
すぐそこに海、僕たちは知つてゐる青は進めと云ふ決まりごと
カミソリに負けてる僕が「付き合つて」なんてあなたに言へるはずなく

歌集序盤に置かれている相聞歌を引いた。繊細なガラス細工のようなバランス感で成り立っている歌が多く、下手な手つきで触ってしまうと、粉々に砕け散ってしまうような、きみ(あなた)との関係性が展開されてゆく。実直だが、あと一歩を踏み出すのに躊躇してしまう、主体の不器用さがにじみ出る歌群だ。

リンス・イン・シャンプーの香につつまれて硬派になんてなれないおれだ
労働の合間はひとり死んだものばかりを詰めた弁当を食ふ
やまひだれに春つて漢字はないですかもうこの仕事やめていいですか

労働の周辺にまつわる歌を引いた。職場や労働と相性があまりよくなく、日々ギリギリのラインを乗り越えてゆくような主体像が見え隠れする。しかし、そのような状況下でも、いかに詩として現状を昇華させてやろうか、という鋭い眼光や、歌人としての矜持を感じさせられる。

スピードを上げて寿トンネルを抜ければ父の故郷である
印象派絵画のごとく頓別の原野に楡の五、六本あり
出棺を見送る父のこれ以上先へゆけないこの世の岬

個人的に一番、ひしと感じるものがあったのが、祖母との死別を詠んだ一連である「星かちり、かちりと震ふ天北の」である。一首目の「寿トンネル」は北海道の道北・中頓別町という小さな町の市街地の入口に実在する短いトンネルである。私事で恐縮だが、わたしの祖母は中頓別町の隣町である、浜頓別町という町に住んでおり、この「寿トンネル」や「頓別の原野」の風景は、わたしも幼少期から幾度となく目にしてきた。そのため、「あの寿トンネルを詠むとは……!」と初読の時に鮮烈な印象を覚えた歌である。また、わたしも一昨年に祖父を亡くし、この一連とかなり近い状況(免許を持っていないので、住んでいる札幌から浜頓別町までは公共交通機関で移動したが……)を経験したこともあり、ひとしお、身に染みるものを感じさせられた。三首目の生と死の境を見ている「父」の喩は、母親(父から見て)の死に対して、この上ない挽歌だと思う。

たましひをいくつも載せてかへるべき港をもたず軍艦巻きは
冷蔵庫のなかを覗けばああこれはをととひ歌にした絹豆腐
星型の穴を通つて来たことも忘れて溶けてゐるマヨネーズ

最後に飲食の歌を見てみよう。今回の表題歌(?)的に選んだ一首目は、魚卵の「たましひ」や「軍艦」というもののはたらきを、ひとつの軍艦巻きのなかから掘り起こして展開させるという、一歩進んだ飲食の歌の姿が見える。二首目の、生活に近接した、食材としての「絹豆腐」ではなく、歌の題材としても「絹豆腐」を見るという、生活即短歌的な主体の姿勢を感じさせられる。三首目の、不定形なマヨネーズの、一瞬のかたちをとらえる眼も鋭い。いずれにせよ、味や食感ということにとらわれない、その食材が持つテクスチャーや様態にもう一歩踏み込む、というユニークな視点の飲食の歌がわたしはとても好きだ。

これまで、仕事上の都合で北海道内を転々としていたという千葉さんだが、X(旧Twitter)のタイムライン上で、東京へ転居するということをつい先日知った。きっと、新たな人々や風景との出会いが多くあり、この転居が、この先の千葉さんの歌にさらに広がりをもたらしてゆくのだろう。そうなっていくことを、北の地から、微力ながらも願っています。


次回更新予定は、5/10(金)。短歌を掲載します。


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