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【戯曲公開】口ぶえ

原作:折口信夫『口ぶえ』
脚本:髙橋亜美花

私(男):1名 / お兄さま(性別不問):1名
上演時間:約40分


・音響/照明オペレーションが関わるト書きには#をつけています。
・上演に際して、加筆/修正などは自由です。
・上演の際は、特に何か頂いたり制限したりはいたしませんが、見たり応援したりしたいので、髙橋亜美花X DMまたは takahashi.amika1001@gmail.com までご連絡ください。



#明転。夏の日差し。
#車が走り去る。
手に馴染まない鍵を遊ばせ、大きめの荷物を持った冴えない青年、以降「私」が奥から入ってくる。キョロキョロと見渡してはいるが、やがて庭に目が止まり縁側へ降りる。

私 海、見えないんだ。

靴下を脱いで、庭に裸足の足をつける。

私 (土や草の感触が)久しぶりな気がするなぁ。…冷たい。

#しばしの静寂、やや遠方に波の音が聞こえる。
ふと私は起き上がり、不慣れな手つきで花に水をやる。

兄 …そんなに水をやったら、根がダメになりますよ。

突然、縁側から声を掛けられる。

私 あ、え…すみません…
兄 まあ、1日くらい大丈夫でしょうけれど。
私 ハァ…

私は慌てて、縁側に置いてある荷物に駆け寄り、急いで中から便箋を取り出す。
その時にもう一つ赤い便箋が落ちる。二人とも一瞥するが、手に持った便箋から手紙と地図を取り出し、確認する。

私 え、…ここって、行永さんの、御宅であってますよね?
兄 ええ
私 お医者さまの
兄 お忙しいでしょうに、綺麗にされてますよねぇ。お手伝いさんはいらしてないんですよ。
私 私は、その留守を預かって
兄 伺っております。
私 …
兄 兄さま、と皆さん呼びます。
私 …
兄 あだ名みたいなものです。
私 …にいさま、
兄 …


私はそっと、荷物を手繰り寄せ、縁側に上がろうとする。

兄 足、拭いてください。裸足でしょう。
私 …すみません。
兄 あなたは、謝ってばっかりですね。


兄さまはそっと拭くものを渡し、立ち去る。私は足を拭く不格好な格好のまま話している。

兄 あなたの部屋は一階の階段の横、ええ、きっと見たらわかるでしょう。私は基本的に 二階の自室にいますから、何かあったら呼んでください。…あ、あと、隣のおばあさまが、足をお怪我されていて、代わりに犬の散歩を朝夕、日が出てない時に2回。もう暑いですから。
私 ああ、聞きました。1回十五分以上。
兄 懐っこい子ですし、大丈夫と思いますけど、それも何かあったら言ってください。
私 はい
兄 今朝は、出かける前に行ってたらしたので、夜だけで、大丈夫ですよ。
私 あ、はい。
兄 手紙、忘れないように。汚れますよ。
私 え
兄 さっき、落とした方
私 あ、…はい。
兄 ……
私 あの!海は、見えないんですか?
兄 …ああ、二階からなら見えますよ。ここからは、隣の家との垣根で見えないですが。


兄さまはそのまま居なくなる。私は縁側から庭に落ちた便箋を拾い上げると、荷物を抱えたまま縁側に座る。
便箋は開封されていない。あけることもできずにじっと見つめている。
#二階から音楽が聞こえてくる。兄さまが流しているらしい。

空に便箋を透かしながら、

私 見えない。

(投影/台詞/音楽/録音など手法,読み手不問)

中身が、見えないのって、なんかいやじゃ無いですか。だって、どんなものが入ってるかも分からなくて、でも、開けたくなる。手紙って、あんまりにも自分勝手だ。封の中には目一杯の欲望と幻想が満ちていて、不用意に開けたらきっと、あたりはそれに飲まれてしまう。僕はきっと、その心の残滓に飲まれて溺れ死ぬんだよ。

#電話が鳴る

もっと綺麗なものに浸りたいから、これにはそっと封をして、…

私 (着信音が)うるさい

#着信音が切れる

私 あ~、うん。ついた。ん。…いや、見えないんだよね。あんま。……してるって。わかってる。……におい?海のってこと?そりゃあするけど。…なに。

#じじじ…蝉の鳴き声

私 うん。はい。……(などと適当に相槌をうつ)

私が汗を拭う。うつらうつらとしている間に、気づくと寝てしまっている。

兄 でも、犬がいきたがるでしょう。元気がありあまっているようでしたから。
私 夕方は海岸近くが混んでいるから、朝だけ
兄 近くで見る海はどうですか
私 水、でした。いっぱいの
兄 二階から見ると、だいぶ違うんですよ。私にとっての海はそっちなんです。つまり、水、というより、反射してただそこにある…表面張力のその先まで注がれて。零れ落ちそうな気配もない、ただそこにある…
私 え
兄 お目覚めですか
私 あ、
兄 散歩は行っておきました。
私 すいません!
兄 いいですよ、私も忙しい身ではないので。
私 今は?
兄 もう夕方もいいところですよ。一度起きたんじゃあないでしょうか?
私 そうかも…。起こしてくだって構わなかったのに。
兄 私のせいでもありますからね。
私 ……
兄 昨晩、貸した本はどうでしたか?
私 え、あ
兄 入っても、?
私 大丈夫です
兄 しかし、あなたが俳句なんかに興味があるとは、驚きました。
私 あ、ああ、…父が
兄 …
私 もうだいぶ前に死んだんですけど、
兄 それはそれは
私 頑固な父で。…でも病床では常に句集を読んでいた、気はします
兄 ……
私 今思えば、祖父も歌を趣味程度に詠んでたんですよね。どちらかというと、祖父の方  がそういうのは似合っていたみたいでしたけど。…医者だったんですよ。ここのご主人もそのご縁か何かで。もっと小さな町医者の医者でしたけど、人のために夜も寝ずに働いていた人でした。愛嬌のある人で、祖父が死んだときなんか大勢の人が家まで押しかけたって、叔母も母もそればっかり。父の時は全然でした。私もきっとそうですよ、先生には怒られてばっかりだ。
兄 どうして?
私 遅刻、して。いつも。
兄 ふうん…
私 結局、母と叔母にも嘘をついて出てきました。
兄 電話、してらっしゃいましたね。
私 あ、聞こえてましたか?
兄 ええ。勉強は進んでるのか、とか。…でも、あなたは、勉強ができると思ってましたから、先生に叱られているだとか、お母様に詰められているだとかには、意外でした。
私 お手伝いさんがきている、って言いました。母はぼくが一人だと不安らしくて。アルバイトがてら、遠縁の親戚の家の留守を任されるだけ。
兄 よかったのですか?
私 ?
兄 勉学も忙しい時期でしょう。
私 何をやっても、よくわからないのです。
兄 私たちに、意味なんてないのですよ、多分。なんとなく、なんとなくこうなっているだけ。
私 なんでもないのなら、嘘なんてつかなければよかった。
兄 私がお手伝いしてますよ。
私 何を
兄 犬の散歩と、ここの留守と、をです。
私 ハァ…
兄 ですから、私はお手伝いさんで、あなたは嘘はついていない。でしょう?
私 でも、兄さまがここにいることは、知らなかった。どうして、ご主人たちが言わなかったのかも、私にはわからないけど…。普段はお嬢さんもいらっしゃるんでしょう。一人っ子と聞いていました。お兄さまがいるなんて聞いてない。
兄 いいえ、知っていた。だから、この一軒家にはもう一人いる、と言ったんでしょう?


#静寂。

私 本当は、家を出てこようと思ったんです。
兄 …
私 ここへくるまでは、田舎のガキには大冒険だったんですよ。地図と睨めっこして、それで、何度も道ゆく人にメモを見せた。金曜日のここへの到着さえ遅れたのは、途中で迷ったからなんです。
兄 迷う、ところがありますか?
私 途中、バスの停留所に行くのに、道をどんどん高いところにのぼって行く。…そこでは、山も川も森も野も、目の下に眠っていました。日はきらきらと輝いて、虫一つ鳴かない静かな朝。山の背づたいにはずっと続いている道の先に急な坂が見える。両側には、藪があったり木立があったりして、たまに、あたまの上をばさばさと鳥が飛び立つ。私は確かに、もう家など出てしまおうと、前へ上へと一歩ずつ歩いていたんです。医者だった祖父はもういない。頑固で心臓が弱い父も、もういない。明け方に、目が覚めると、ふと布団へ招き入れ、何やら古池や、枯れ枝に、なんだのと暗唱させる父は、もう顔もあやふやなほど前にいなくなりました。日が強いと、暑くてやってれないと私に店を任せて、奥に引っ込んで寝ている恰幅のいい母が、私が一人で遠くへ出るのを拒んでいる。私はなんのためか、嘘までついて家を出ました。そこまでしたのは確かに、あのボロ屋でも、この素敵な一軒家でもないどこかへ行くためだったはずでした。

兄さまはゆっくりと赤い便箋を拾い上げる。

私 そうして、ふんすとふんぞりかえって、足を踏み入れた先では草木が少し空いている。そこに蛇がいました。情けなく恐怖と戦いながら、とき色の細紐が草のうえになびいているのを、落ち着いてじっと見て、それでも、胸はまだどきどきしている。極端な憎悪に燃えた瞳に、今安らかに一すじ長くとき色の紐が、露深い草むらに流れている。きりぎりすが鳴き出して、昨日のようないらいらする天気に汗が流れて、私は、スッと足を引きました。道は二股にわかれている。一方は、ここへくる道で、もう一方は、ここ以外の何処かへ向かう道でした。
兄 で、ここへきたのでしょう?

私はふと、手元の本へと目を落とす。

私 昨晩、兄さまに借りた本は幼い頃に布団の中で口に含んだものがそのまま、吐き出されていたから。いろいろ悩ましいと頭をひねる格好(フリ)をしながら、ぼうっと海を眺めていたんです。

兄さまは私が見ている、ページを指差しながら詠んでいる。

兄 吉野山やがていでじと思う身を
私 西行だとか芭蕉だとか、そういう人たちが歩んだ道が確かに僕も前に白々しく続いていて。そこへ、足を踏み入れようと思ったらば、どこからともなく、とき色の蛇がチョロチョロと這い出してきて、行手を阻んだきた。先週の頭、学期試験の終わった日。受け取ったこの馬鹿みたいに赤い封筒は、中身だって生々しくテカる、赤黒い感情と欲望が渦巻いていると、運動が得意な彼の、私の数倍がっしりとして色づいた手が物語っていました。それを開けてしまったら、あの小さな木造校舎でどのように手を振って歩くのか、わからなくなってしまったんです。あの、とき色の蛇はそんな手紙を開けられもしなければ捨てることも燃やすこともできず後生大事に持ってきた、私を嘲笑いにきたのです。
兄 あなたは、色白ですからねぇ
私 兄さまには言われたくないな
兄 私は今朝、ええ、久しぶりに外へ出ました。
私 あ、散歩…、すいません。
兄 海は、近くで見ると水だと、いっていましたね。
私 あ
兄 私は今日散歩をしながら、あれは何だろうと思ったのですよ。
私 兄さまにとって海は、うつくしいものでしたか?
兄 さあ、なんというか、先ほども言いましたが、ただそこにあるものでした。ほら、私の部屋から見える海。ただのうつくしい水に見えますか?私には、それよりもっと……海は、全部が始まるところ。わかるでしょう?生き物も、海からハイハイ上がってきたじゃあないですか。水が溜まって、蒸発してまた溜まって、そして蒸発して。
私 …
兄 海には、何があると思います?
私 …
兄 何にもないんですよ。
私 ?
兄 二階の書斎から見た海には何にもない。春も冬も夏も秋も何もない。他の山は、桜色に染まり、青を茂らせ、赤く色づき、白く雪に埋もれるのに。海には、何もない。白い波を立てながら、ただただあそこにあるだけで何もない。
私 …
兄 海には入りました?
私 いや
兄 犬の散歩で行くでしょう?
私 ここら辺は、岩場ばかりで、とても入れなかったですよ
兄 砂浜は、ないんですね
私 …
兄 日が暮れてきました。散歩に行ってきましょう。
私 あ、私が
兄 あなたには、これ。あと、勉強をしなさいね。


私は本を兄さまに返し、引き換えに赤い便箋を受け取る。兄さまは出て行く。

私が縁側に腰掛け、赤い便箋に目を落とすと、白い便箋が重なってる。赤い封筒を乱暴に開封する。

私 …先週の頭、試験の筆を置いてから、数学の口うるさい教師の代わりに私を束縛していた、あの男から解放された。

しばらく、天井を見ている。
#波の音と秒針が聞こえる。
ここへきた時に水をやった花が萎れ始めている。その近くへ寄ると、もう一つの手紙を開けた。

私 ⋯⋯静かな書斎の窓ぎわ、月光の中でひろひろと寝ていると淋しくもありますが、世の中から隔ったという心もちがしみじみと味われます。わたしは心からあなたに一緒に残って欲しい、と思いますが、と同時に、いていただいたところで、私自身の思っていることの万分の一もいえないだろうという心がかりがあります。やはり手紙で書きましょう。ということで、あなたがここにおられる最後の夜である今夜、これをお渡ししたわけです。
どうしたというのでしょう。わたしはあなたとおはなしをしていると、なんだかこう…、わくわくしておちついた気になれないのです。こう書いて見ると手紙がまた非常にもどかしい。どうすれば、いいのでしょう。わたしには判断が出来なくなってしまいました。


庭にいる私を見ている兄さま

兄 わたしはあなたとおはなしをしていると、なんだかこう…わくわくしておちついた気になれないのです。
私 …私は、…兄さまと話していると、


兄さま、赤い封筒を拾い上げ、よみあげる。この間、私は兄への情欲に飲まれている。

兄 わたしは、君と話しているとぞくぞくと、心の歓喜がせなかを駆け上り、もうこの時がおわらなければいいと、思っていた。君の手を握ると、細くて柔くて、きっと僕なしでは何もできない。いや、何もできなくあってほしいと、何もできなくしてやろうと、そう思っていた。のに、きみはどこまでも自由で、わたしの握力などなにも気にしないように、するりと抜け出て、どこかへまた歩いて行ってしまうのです。わたしは、そんなきみの手首に残された赤い鬱血に、心の中でそっと口づけをしました。わたしは、あなたが吐き出す言葉のすべてに口づけをして、何度も口づけをして、そして丹念にじっくり口の中に溶かしている。あなたの言葉だけが、ぼくに与えられた、あなたの蜜で
私 ちがう、ちがうちがう
兄 あなたがもらった手紙でしょう
私 私は、
兄 私の口から、あなたの口に、ながしこんであげればいいですか。私の中身を。
私 違う
兄 表面張力なんかよりもっと、器の限りまで満たされた私の
私 ちがう!


兄さま、私を強く制す。(キスはしないでね)
  
私 こういう、むさいところで生まれた言葉が、あなたからわたしへの

言い訳を続ける私に兄さまは写真をぶちまける。または、わたしの懐から写真があふれ出してくる。降ってくる。など。とにかくなんらかが露呈し、兄さまによってひきずりだされる、醜い(とおもっている)感情。
拾い上げて隠しても隠しても、どんどんと眼前に写真は見せつけられて、あふれて止まらない。

兄 握ってください

と言って手首をさしだす。

私 あ、

そっと、握る。
兄さま、するりと抜けようとする。私は反射的に、力を籠め、ぐいと引き寄せ全身で搔き抱く。

私 私は、兄さまと話すと、あてこすられているのではあるまいかと思っていて、それは多分。赤い封筒に押し込められた、あの人の欲望とそう遠くないんだろう。こういう心で、浄らかな人を見るということが、なんだか兄さまを汚す。この醜い言葉の羅列が、兄さまのこの小さな口と結びつけられないのである。昼ざかりに自分が枯らした他人の庭の花の下で、汗を流しながら、もの思いに耽っているこういう私にこそ、ふさわしい。どうしたというのだろう。…そう、どうしたというのでしょう。

いつの間にか、腕から抜け出し、彼の羽織だけが手に残っている。
私は手を伸ばして花を摘む。花を地に叩きつける。そうして心ゆくまで蹂躪る。五つの指には、その花のにおいが、いつまでもまとわっていた。

#いつの間にやら、あたりは明るくなっている。
しばらく、その場で思案している。
#階上から音楽が聞こえる。

兄 手紙は、読みましたか?
私 ハァ…
兄 こちらにおいで


二人は並んで、縁側に転がる。

私 …なんですか
兄 いえ
私 なんですか、それ
兄 最後ですから、ゆっくりするのもいいでしょう
私 いつもどこで寝てたんですか?
兄 書斎です
私 ……縁側が冷たくて気持ちいい


#音楽と秒針はズレたテンポで鳴り続けている。

兄 ねぇ
私 はい
兄 大人の人はみんな、死にたくない死ねないといいますが、わたしは死ぬくらいなことはなんでもないことだと思います。死ぬことはどうともないけど、一人でいいから、だれかが知っててくれて、いつまでも可愛相だとおもってくれる人が一人でもいたら、今すぐにでも、その人の前で死ぬんだと思います。そうでもないと、私は、寂しい。
私 …答えを、待っていますか。
兄 ………
私 海へは、いきましたか?
兄 今日は犬が行きたがりませんでした。
私 花は散ってしまいました
兄 水をやりすぎてはいけないとは言いましたけど、水をやるなとは言ってないですよ。
私 はい
兄 …私たちの海へ、行きませんか

#二人は二階の書斎へ向かう。

兄 ここから見える海は、いつも変わらないと言いましたが。やはり春の海は、なんとも言えぬ暖かさと情動を孕んでいたように、今は思います。
私 今の、夏の海はどうですか?
兄 冷たそうですね。ただただ、冷たいのではないのか、と思います。
私 …美しいですか?
兄 どうでしょうね
私 …
兄 動悸がしますか?


兄さまはそっと私の胸を抑えると手を取る。

私 兄さまと見た、夕日はきれいでした。花も、きれいです。言葉もきれいでした。お話は楽しくて、お風呂は広くて、布団もふかふかで、でも、この海はどうにも、美しいものなのか私にはわかりません。

#夕焼けの色も沈んでしまった。赤さも白さも失ったただ真っ暗闇の海に向かって、二人は一歩を踏み出していく。

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