中年おばさんの奮闘記 in デンマーク!27

通常営業

 オープニングも無事(!?)に終わり、あーちゃんとゆうこさんと3人で通常営業について話し合った。まずは一番重要なメニューである。オープニング前はデンマーク人の好みがよくわからなかったので、3人で色々考えてはあーでもない、こーでもないと話し合っていたが、オープニング後は、はっきりとデンマーク人の好みがわかったので、すぐにチキン丼、焼き肉丼、カレー丼の3つを作ることに決まった。この他にベジタリアン用に何か一つ丼を作った方が良いねという話になり、以前優子さんの自宅に遊びに行った時に彼女が作ってくれたきのこ丼をメニューに加わえることにした。営業時間に関しては、3人とも小さな子供がいるので無理せずに毎週金曜日12時~19時半の間だけオープンすることにした。

 通常営業日前日、オープニングの時にお客さんが沢山来てくれたので、私たちは通常営業でもお客さんが沢山来てくれることを期待し、20合炊きの業務用の炊飯器2台と沢山の食料を購入し、準備万端で営業日である金曜日を迎えた。しかし、お昼はXの人が数人来る程度だった。"ヤバい!"私は他の人とおしゃべりをしながら心の中では"このままだと大赤字になってしまう!どうしよう~!!"と、とても焦っていた。しかし、夕方になると少しずつお客さんが増えていき、17時半~19時の間はとても忙しくなった。気が付いたら100食以上の丼を販売していて、用意した食料も残りわずかだった。キッチンをクローズした後、私達はヘトヘトだったが、今回もたくさんお客さんが来てくれたので皆テンションが高かった。3人で賄いを食べながら、私が「フードビジネスって博打みたいだよね?お客さんが沢山来てくれると儲かるけど、お客さんが来ないと赤字になっちゃうもんね~。」と言うと、2人とも「そうだよね!博打ヤバイねー!依存症になっちゃうかも!?アッハッハッハー!」などと言って大声て笑った。
 この日キッチンをクローズした後、私達は感想や反省点などについて話しながら掃除をしたが、まだ興奮状態が続いていたせいもあり、何を話しても楽しくてしょうがなく深夜遅くまで大声で笑っていた。

 フードビジネスを始めてから気が付いのだが、フードビジネスで一番大変な仕事は掃除である。キッチンを綺麗にすることはもちろんだが、私たちが使用しているキッチンはシェアキッチンなので、翌日他のグループの人達が使えるようにしなければならない。なので、自分達の物は全て専用の棚に戻す必要があった。3人がかりで掃除しても終わるのはいつも23時を過ぎていた。クリーナーを雇うことが出来れば良いのだが、ビジネスをスタートしたばかりの私たちにはそんなお金があるはずもなかった。正直フードビジネスがこんなに大変な仕事なんて想像もしていなかった。フードビジネスを経営している人は一体どんな経営をしたら黒字になるのか当時の私はとても不思議だった。

現実

 初の通常営業を終えた後、ゆうこさんは3週間日本へ一時帰国した。これは元々決まっていたことなので、私とあーちゃんと2人で頑張るしかなかった。しかし、あーちゃんは妊娠していて無理は出来ないので、私が出来る限りのことをしていこうと決心し、気合を入れた。最初は週に1回しかオープンしないんだから、大丈夫だと思っていたが、2週連続で沢山お客さんが来てくれたことを考えると、果たして2人だけでキッチンを回せることが出来るのか?とても不安になった。そこで私は木曜日に買い物を済ませ、その日に出来る限りの仕込みをし、2回目の通常営業に挑んだ。
 結果は雨だったということもあり、全くお客さんが来てくれなかった。沢山用意した食料も余ってしまった。キッチンをクローズした後、あーちゃんと2人で落ち込んだ。「これが現実なんだね。でも、一人じゃなくて良かったね。」と言って2人で慰め合った。2人で賄いを食べながら冗談を言っている間、私はどこかで出資金を取り戻さなければと考えていた。シェアキッチンのカレンダーを確認すると、運よく明日は誰もキッチンを使用しない日だった。私は、明日もキッチンを開けることを思い付き、あーちゃんに伝えた。しかし、あーちゃんには予定があったので、私一人でキッチンをオープンすることにした。とにかく、今日かかった分の食糧費だけでも取り戻したい!自分のお金がかかっている私は必死だった。帰宅後エミールに今日の売り上げを報告し、明日もキッチンをオープンすることにしたから家族の時間を持てないことを伝えると「子供たちのことは心配しないで大丈夫!ミノなら出来るよ!精一杯やっておいで!」と言われた。私のことを信頼し、協力してくれ、凹んでいる時に必ず助けてくれる人がパートナーで本当に良かったと思った。

 翌日、私は朝早くから出勤した。あーちゃんが朝早くからface bookに"Tokyo Kitchen は今日もオープンします!"とアップしてくれた。さらに天気が昨日と変わって晴天だったということもあり、"きっと今日はお客さんが沢山来てくれる!"と一人で期待しオープンした。しかし現実は、通りすがりのお客さんがちらほら来てくれる程度だった。夕食の忙しい時間になっても、お客さんが現れることがなかった。現実を突き付けられた私は何をするわけでもなくキッチンの真ん中の椅子に一人でポツンと座っていた。この時私は、寂しさというか、落ち込むというか、納得感というか、屈辱感というか、無気力感というか、とにかく何とも表現しがたい感情に胸をギューッと締め付けられいて何も動けなかった。この時の気持ちは今でもはっきりと覚えている。

 優子さんが日本から戻って来た頃、季節はすっかり秋になっていた。外はどんどん暗く寒くなり、それに伴い来客数は減少していった。それでも私たちは継続して毎週金曜日キッチンをオープンしていた。週1回しかオープンしていないと書くとなんだか怠け者のような感じがするが、当時の私は、月、火曜はデンマークの語学学校へ通学、水曜日はヤコブさんに会計のやり方を指導してもらい、木曜日はキッチンで営業の準備、金曜日は営業、土曜日は補習校の準備、日曜日は補習校で授業、この他に空いている時間にメニューの作成や各所問合せや調べもの、さらに4歳と2歳になったばかりの2人の子供の育児と家事といった具合に私なりに忙しい日々を過ごしていた。そんな慌ただしい日々を過ごしていた当時の私には、ゆっくり読書する時間やビジネス講座を聞きに行く時間がなかった。しかし、少しはフードビジネスに関する知識を身に付けた方が良いと考え、家事をしながらビジネスに関するyoutubeを見まくることにした。ここで得た知識はキッチンで仕込みをしながら皆とシェアした。この学習方法は私だけではなく他の2人も行っていた。皆それぞれ役に立ちそうな情報を話してくれるので、知識を得るにはとても効率が良かった。例えば、今はSMSがあるので、良いお店は自然に口コミで広がるから、宣伝費にお金をかけるより、食材にお金をかけた方が良いこと。新商品の開発も重要だが、今売っている商品でどうやって勝負出来るのか考えること。人気店の真似をすること等である。さらに、私は最初フードビジネス、経営に関する動画を見ていたが、そのうち心理学に関する動画なども見るようになった。そうするとビジネスに役に立ちそうな人の心理についても少しずつわかるようになった。例えば、人は3種類~8種類の選択肢が一番選びやすいということ。人は自分の名前を呼んでもらえると嬉しいということ。さらに、料理の説明は文字で書くよりも写真を載せた方がお客さんにとってわかり易いことなどである。そして、得た様々な知識の中で自分たちで出来そうなことは、とにかくやってみた。そもそも私たちは素人のおばちゃん集団なのだから失敗して当たり前である。 失敗は何も怖くなかった。お客さんがいない仕込みの時間や掃除の時間、私たちはずーっとおしゃべりしていた。Youyubeからの情報はもちろん、ネット記事、世間話、新しいアイディアや新商品、どうやったら問題点を改善出来るのかついて話していた。
 私たちはおしゃべりをしながら少しずつフードビジネスについて学び、改善出来るところは改善していった。そしていつの間にか「また、良くなっちゃったねー!」が私たちのいつものセリフになっていった。

最愛なる子供たちへ

 ママは30代前半の時に「40代になったら職業を代えなさい。」といった内容の本を読んだことがあります。この本を読んだ時ママは、"職業を代えると視野が広がる"という意味だと思っていたのですが、実際に自分が41歳で新しい分野で仕事を始めてから気がついたことがあります。それは"素人の強み"ということです。その分野に関しては素人なので、基本知識を知らなかったり、失敗したとしても全く恥ずかしくないのです。
 ママはあまり性格が良くないので、ある程度長い期間同じ仕事をしていると、プライドも段々高くなり、知ったかぶりをしてしまうことがよくありました。しかし、40歳を過ぎて今まで自分が経験してきたこととは全く異なる分野で仕事を始めると、謙虚になって素直に人の話を聞いている自分がいました。
「プライドが無いことが私のプライド!」この言葉を堂々と言えるようになったのもこの頃からです。

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