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上を向いて歩こう

「上を向いて歩こう涙がこぼれないように」
坂本九さんのこの歌は気がついたらそこにあった、そんな歌ではないだろうか。
私自身、まだ生まれていない時代のレコードだが、年配の方々から若い世代まで、知らない人はいないのではないかというくらいの国民的ソングだ。

かくいう私も、生まれる前に流行ったはずのこの歌を、ふとした時にくちずさんでいるのが不思議だったりする。

楽曲のレコーディングにあたっては多くの出来事が背景にあったとのことであり、世界各国で各々の言葉に翻訳されて愛唱されている。
しかしながら、詳しい背景抜きにしても、この歌が心に染み入るのはなぜだろう。

悲しいのに苦しいのに「幸せは空の上に幸せは雲の上に」という希望があるからではないだろうか。

この歌が単に「上を向いて歩こう涙がこぼれないように泣きながら歩く人ぽっちの夜」で終わっていたらそこまで人の心に残り、誰しもがくちずさむものになっていなかったかもしれない。「一人ぽっちの夜」でこの歌の詞が完結していたとしたら、ただの哀れな歌でしかない。
「幸せは空の上に幸せは雲の上に」というフレーズがあることで、希望が見出せるのだ。

誰でも涙につぶれそうな日や悲しみの日、どうしようも行き場のない思いの時があるのが「人生」というものだろう。
けれどもなんとか耐えることができるのは「幸せは空の上に」という希望を心のどこかで信じたい気持ちがあるから、人様には打ち明けることのできない慟哭の中でも生きているのではないかと私は思うのだ。

ご存知のようにこの歌は永六輔の作詞だが歌詞の素晴らしさだけではなく、作曲の中村八大のメロディーの美しさにも注目したい。
この歌のメロディーが暗い雰囲気のものであったとしたら、おそらくくちずさむ人は少なかったであろう。
悲しみのさなかにある歌詞であるのに、メロディーはとても軽快だ。
そこに私たちは「幸せは空の上に」とくちずさみながらも、その「空の上」が遠い遠い向こうではなくて、上を見上げれば見出せる幸せへの希望に思いを馳せることができる。

さてここからは、まるっきりの私見だが「空の上・雲の上」には私たちが意識してはいなくても「揺るぎのないもの」があるのではなかろうかと思うのだ。
揺るぎのないものがないのならば空模様に幸せが左右されてしまう。空と雲の上には揺るぎない天が開けており、だからこそ「一人ぽっちの夜」さえも明日への希望につながっていくと考えるのだ。

そしてもうひとつ、これは余談になるが、上を向いているのが習慣化されると、笑顔体質になるという説がある。笑いは上を向いている状態でないと生じないといった科学的根拠があると落語家の立川談慶が語っていた。

だから、上を向いて歩こう。希望があることを信じて。
♬幸せは空の上に幸せは雲の上に♬

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