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居場所を探して

縁もゆかりもない場所で、闘病の身となった。
もう帰省しようと思っても身体がいうことをきかない。
もっとも、実家の母から
「離婚歴があったり、なおかつ病身の娘とあらば、世間に恰好がつかない」
と言われているので実質は「帰省するな」と釘を刺されているようなものなのだ。

両親から愛されることなしに育ち大人になり現在に至ることは、このnoteでも綴ってきた。私は今、住んでいるこの街で奮闘中であることも綴ってきた。

二週間ほど前に、母からまたしても不意の電話。
その電話越しに放たれた言葉に茫然とした。
母とは喧嘩しているわけでもない。
なのに、不意の電話で、不意の言葉を投げられたのだ。
「病気で身体が不自由なあんたなんか、どうしようもない人間になったんだもの、施設に入ったら?」
悪気はないのだろう。
「あんたもお父さんのように施設に入れ、入れ」と言って母は笑った。

しかし、仮にも母親が娘に言う台詞だろうか。悪意がない言葉だとしても、あんまりだ。
その台詞を放られて以降、情緒不安定になったのは言うまでもなく。


子供の頃から心の居場所を探してきた。大人もいいところの年齢になった今は、私なりに模索しながら、そうして闘病しながらも必死に生きているつもりだった。
「あんたなんか施設に」の言葉には落ち込みをとおりこして、心が折れた。

“居場所がない”……まさに、それだ。

けれども、ある人から教えていただいた。
「居場所とは、生き方そのものだ」
居場所を求めるのならば生き方を定めることである、と。

両親がどうあれ、
母親から「あんたなんか施設行き」と言われようとも、
病気であろうとも、役立たずの身であろうと、
私はこれから先も笑顔で生きてゆく。
笑顔でいることこそが、私の居場所になるだろう。

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