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ポンコツハケンとスーパーハッカー

あらすじ

派遣社員の 及川 逸郎と小学生天才ハッカー「僕」のそれぞれの視点でストーリーは展開していく。 及川一郎が設定でミスして ハッキング可能となったパソコンが、学校でたまたま「僕」に割当てられる。 「僕」は 及川への感謝の印として 及川の抱えるトラブルを解決したが、 そのために 及川は ある闇の組織に狙われることになる。 「僕」は、この世界は作り物なのだから戦うことを恐れるなと、及川を説得する。 戦いを経験して 、及川は人生に立ち向かう覚悟を決める。一方、「僕」はハッキングだけの生活から、現実世界の人間になろうとする。

 

本編

1.派遣社員

 10年以上派遣で働いている。
 大学を出て就職したが、残業の多さと人間関係でメンタルをやられてしまい、2年で退職した。数ヶ月は仕事をせずにいたが、流石にこのままでは生活できないと思い、派遣会社に登録した。仕事を選ばなかったので、派遣先はすぐに決まった。

 最初の派遣先は倉庫だった。仕事は商品が入ったダンボールを積み替えるだけだった。単純な仕事だったが、体力は必要だった。なまった体にはきつかったが、心地よい疲れを感じた。しかしその心地よさも長くは続かなかった。毎日とにかく疲れて、これが一生続くような気がして、絶望した。

 しかしその絶望さえも長くは続かなかった。その倉庫の仕事がなくなったのだ。と言ってもただ単に繁忙期が終わっただけだ。

その後、交通誘導員やらピッキングやら、何でもやった。数え切れないほどの仕事をこなした。

 その時の仕事はパソコンの設定だった。一見難しそうだが、マニュアル通りやるだけだ。3人が一組になってパソコンの設定をしていくのだが、3人とも終わらないと次の作業には進まない、という決まりだ。私はパソコンには詳しくないし、キーボードの配列とかもわからないので、他の2人に比べたら作業が遅かった。時々ミスって、社員にやり直してもらったりすることもあった。

 そういう時は他の2人を待たせていることに気が引けた。社員は、作業が遅いことは一向に構わないが、決して間違ったまま作業を進めないで欲しいと言っていた。他の二人も別に私が作業が遅いことにイラついている様子もなかった。ゆっくりと間違わないように作業していれば良かったのだ。にも関わらず、私は慌てていた。少なくとも他の二人を待たせまいと、急いで作業していた。間違いはしなかったが、心には余裕がなかった。

 そしてある時、一工程飛ばして作業を進めてしまったことに気づいた。そのパソコンは、ある市の小学生全員に渡されるパソコンだった。とにかく台数が多かったから焦っていたのだ。次の作業には移ってから一工程飛ばしていることに気づいた。しかしパニクった私はそのまま作業を進めてしまった。

 私はパソコンに詳しくないのでそれが何の設定だったのかわからなかったが、おそらくインターネットに関するものであったと思う。私は迷いながらも、工程表に作業終了のサインをしてしまった。

 それからというもの私は怯えて生活しなければければならなくなった。工程表のサインから私が作業員であることを特定されて、責任を追求されるかもしれない。もし賠償金を請求されたら、派遣社員の私には到底払うことはできない。どうしたら良いのか、わからなかった。その後数回出勤したが、その状況が苦しくなって、派遣会社に連絡して、辞めさせてもらった。

 

 今でもあの事を後悔しています。もしあの時社員を呼んで、設定をやり直していたら、こんなに苦しむことにはならずに済んのに。

 今考えてみても、私はあの職場を結構気に入っていた。鈍臭い私に対して社員は丁寧に教えてくれたし、優しい人も多かった。もうあんないい仕事に就くことはできないと思う。

 私は自分一人では何もできない、最悪に駄目な人間なんだ。


2.ハッカー

 今年から全国の小中学生にパソコンが配給されることになったらしい。配給パソコンなんて、どうせクソみたいに低スペックのタブレット型パソコンだと思っていたが、案の定そうだった。CPUは一世代前のスマホ用だし、メモリーは一桁ギガ、ストレージは32ギガしかない。せめてあのリンゴ製のタブレットだったら軽いゲーム位はできただろうに。しかしこのパソコンでは、ゲーム中にフリーズすること間違いなしだ、ゲームが立ち上がるかどうかも怪しい。

 しかも、これであの重い教科書から解放されると喜んでいたら、始業式にしっかり紙の教科書が配られた。ランドセルの重さは、小学校低学年でも10キロをゆうに超える。背負いベルトが肩に食込む、夏の暑い日などは地獄だ。大人は考えてみて欲しい、自分の体重の半分の荷を背負って通学するということがどれほどの苦痛かということを。

 電子教科書だったらそんな必要はないし、書き込みもできる。家のパソコンでそれを使えば、配給パソコンを持ち帰らずに家で予習復習だってできる。大人には紙にこだわる頭の悪い人が多いので、小学生はいつまでも行商のような大荷物を背負わされることになる。
 紙の本は場所をとる、つまりショバ代がかかる。不要になればゴミとして廃棄され、処理費用がかかる。データだったら、場所はとらない、データの消去は簡単にでき、空いたストレージに別のデータに入れられる。どちらが優れているかは一目瞭然なのに、未だに紙と電子とどっちが良いかなどと議論している。

 それはともかくとして、この配給パソコンはやはりクソだった。思ったより立上りは早いが、アプリを使うととたんにモッサリした動きになる。ゲームは試せなかったが、PDFを見るだけでも重かった。そんな中で会議アプリだけはしっかりと動いた。いつかまた起こるかも知れないパンデミックに備えているのだろう。


「このパソコンは自分専用になります。テプラで名前貼ってあるから、他の人のと間違えないでよ。テストもパソコンでするから、他人のを使うとその人の点数になっちゃうからね。」
コンピュータのことなど何も知らないような中年の女教師が叫んでいた。 

「先生、テストもパソコンでするんですかぁ?」

「全部じゃないけどね。授業中の小テストとかはこのパソコンでするわよ。」

誰かが教師とそんなやり取りをしているとき、僕はこのパソコンの設定を確認していた。

 インターネットはWiFi接続のみ、セキュリティはガチガチに設定されているだろう。悪い子が危ないサイトを閲覧できないような設定になっている筈だ。そんな想像していた僕は、パソコンの設定を見て思わず息を飲んだ。余りにも驚いて声が出そうになった。

 なんとファイヤーウォールの設定が無効化されていない。つまりそれは、こちらで好きなように設定できるということだ。

(出入り自由ですかぁ?)
僕は思わず声に出して言ってしまった。

そのつぶやきを聞いた教師は、こちらを見て

「授業中は出入り自由じゃないわよ。」
と言った。

ちょっとパソコンを見せてもらえる?

僕は隣の席の子のパソコンを触った。隣の子は、僕がパソコンの設定画面を開いても何も言わなかった。

 やはりファイヤーウォールの設定は無効化されている。きっとガチガチの設定になっているはずだ。このパソコンではどこにも行けない、僕のパソコンは世界中どこにでも飛べる。

 僕は最高の欠陥品を手に入れた。僕は心の中でガッツポーズをした。何というラッキー、超ラッキーだ。自分でファイヤーウォールの設定ができる。自由にどこにでも飛んでいける。

 でもここは落ち着くんだ、僕はそう自分に言い聞かせた。
 これを誰にも知られないまま維持するにはどうしたら良いか、考えるんだ。
 WiFi経由ではサーバーにログが残る、いつかはバレてしますだろう。家からSIMカードを持ってきて、WiFi接続しないようにすれば、P2Pでハッキング可能な環境になる。

 これで家と同じ環境でハッキングできるようになる。ハッキング環境が学校にあるなら、もう学校を休む必要はない。夜中ハッキングに夢中になって、朝起きられなくて学校を休んだことがあった。寝坊で学校を休めば、親には叱られた。

 親は世間体を気にする常識人であったし、僕は自分がタダメシを食わせてもらっている立場であることを重々承知している。少なくても今は親に愛された方が有利だ。戦略として学校にはできるだけ行こうと思う。

 僕にとってくだらない授業よりもハッキングの方が大事だ。しかしこのパソコンを手に入れた以上、もう休む必要はない。学校にいる間でも思いっ切りハッキングできるのだ。

 それにしても、どうして僕のパソコンだけがそうなっていたんだろうか?きっと日頃の行いが良かったのだ、だから神様がご褒美をくれたのだ。

 僕の未来は希望に満ち溢れていた。


3.ファイヤーウォール解除

 あのパソコンを手にしてからというもの、僕は問題なく学校に通えるようになった。これは当たり前のことのようだが、とても重要なことだ。

 僕にとって学校は苦痛以外の何物でもなかった。退屈な授業、くだらない同級生、ジコチュウな教員たち、効きの弱い空調、学校にあることすべてが、僕にとっては地獄だ。それに比べて、インターネットの世界は刺激が満ち溢れていた。

 あのパソコンが手に入らなかったら、僕は遅かれ早かれ、学校には行かなくなっていただろう。小学生が学校に行かないというのは、何かと問題がある。長い人生をスムーズに生きていくためには、普通に生きている振りをしなければならない。


 僕のパソコンが特別な仕様になっていること、それが僕が上手く生きられる理由だ。

 だからちょっと調べてみることにした、一体誰がこんなドジなミスをしてくださったのかを。おそらく犯人探しなら、直ぐにできるだろう。それくらい朝飯前である。


 あのタブレットは中国製だ。日本の代理店はA社で、A社は設定をB社に委託している。どちらもパソコン業界では知られている会社だ。

 もし設定をミスったとしたら、B社の作業員ということとなる。

 まずB社のサーバーに侵入して、このパソコンがどこで誰に設定されたかのデータを探してみる。この時期に小学生用のパソコンを設定したのは、かなり高い確率でS県にある工場だった。パソコンの製造番号から責任者、作業者を見つけ出す。この作業者というのはB社の社員で、実際に設定したのはもっと下っ端のはずだ。もっと深い管理データに入って製造番号から検索してみると、ヒットした。


及川逸郎
おそらくこいつがミスった犯人、いや僕にとっては大恩人、救世主様だ。

 さらに政府の個人情報管理サーバに侵入して、及川逸郎について調べた。

 及川逸郎は簡単に特定できた。同姓同名が3名いたが、S県及びその近辺に住んでいる者は一人だった。そして他の2名は、S県とはかなり離れたところに住み、労働者として高齢過ぎた。

 及川逸郎は運送会社に就職したが、2年で退職している。ここ10年は派遣会社勤務、時々社会保険が切れているので、仕事は一定してないようだ。

 そして彼は、おそらく健康面でのトラブルを抱えている。それと彼のクレジットカードにはスキミングされた痕跡がある。

 彼の人生は詰っている、でも詰んでいるわけではない。ゴミを取り除けば、また流れるようになるだろう。

 僕の使命は確定した、僕は救世主様を救い出すのだ。


4.及川逸郎

 学生時代は真面目に過ごしてきた、と思う。地方から東京の大学に進学したつもりだったが、1,2年の授業は隣県のキャンパスだった。隣県キャンパスと東京キャンパスの両方に通えるアパートを借りて、そのまま今も住み続けている。18歳から、かれこれ17年以上住んでいることになる。実家にいた時間とほぼ同じ年数をこのアパートで過ごしていると思うと、ちょっとやるせなかった。     

 

 大学まで出してもらって今のような状態でいることを、親には申し訳ないと思う。その気まずさと、金がないのと、体調が悪いのと、ただ単に面倒臭いのと、そんないくつかの言い訳を自分にして、実家にはもう何年も帰っていない。時々母親から着信やメールがあったりするが、それも無視している。


 新卒で入った会社が駄目だったと思う。選択ミスだった。その業界はこれから伸びていく分野だと言われていた。新人の時は東京のきれいなオフィスに勤務していたし、不満はなかった。研修ばかり受けていたが、これでお金が貰えるなら楽なものだと高を括っていた。

 私は、新人とはいえ本社から来ているので、いきなり現場社員の管理を任されていた。
 現場は荒れていた。
 システマチックな部分と人海戦術エンヤコラの部分がまぜこぜになっていて、混沌としていた。
 システムに乗らない例外事項が多すぎて、それをいちいち覚えておかねばならなかった。

そこ例外だから覚えておいて!

そういうふうに度々言われた。そして度々ミスった。

 その手の作業が身につくには、ある程度の経験が必要だ。新人には難しい。私がミスると、ベテラン社員が鬼の首を取ったかのように嬉しそうに指摘していた。その様子に私は心穏やかにいられなかった。


 現場社員の中には、なるべく楽な仕事をしたくて、管理の人間と仲良くなろうとする者がいた。そういった人物に、ちょっとでも配慮するととたんに槍玉に上がることになる。
 そして私がそれをやってしまった。頼まれて、ある女性従業員のシフトに手を加えたのだ。人の妬みとは恐ろしいものだとそのとき知った。

 最初は、影で噂され、やがてそれに尾ひれ羽ひれが付いて、実しやかに脚色されていく。上司の耳に入り、呼び出されて、謂れなき説教を食らうことになる。

 そうなると現場社員には無視され、仕事は上手くいかない。職場は針の筵のようになる。

 辞めた時はメンタルやられて、かなりひどい鬱病になってたから、しばらく働けなかった。そうなると日本では再就職はできない。精神科通院歴がある人物を中途採用する会社など存在しない。その現実に気づいた時は、もう手遅れだった。

 結局正社員採用はどこにも引っかからなかった。

 それでも生活はしていくためには、働かなくてはならなかった。家賃や生活費がかかる。大学進学で借りた奨学金も返さないといけない。

 正社員の頃に作ったクレジットカードからは毎月、光熱費やらスマホ代やらが引かれていく。ショッピングには使わない。使い過ぎが怖いからだ。節約しているつもりだが、クレジットカードの引落しの金額はあまり減らない。いつも同じような金額なので、明細は確認していない。

 節約することにはもう慣れた。何しろ収入が少ないのだから、節約するしかない。

 ポイント欲しさにマイナンバーカードも作った。ポイントはありがたく使わせてもらった。

 とにかく生活費を稼がねばならならので、働ければどこでも良かった。とりあえずのつもりで働くようになった派遣会社でもう10年以上働いていることになる。

 1日1万円、月20日間出勤できれば、御の字だ。しかし現実は厳しく、1日8000円で15日くらいしか働けない月が多い。月収12万円では、家賃と光熱費を払ったら、食費さえも残らない。固定費を減らすために引っ越そうともしたが、貯金がないのでそれもできない。

 自分はもうダメだと思う。復活できない。今まで活躍したことなんてないけど、せめて普通の生活をしてみたい。だけどそれさえも実現不可能だと思える。眼の前に絶望という壁が立ちはだかっているように思えてくる。

 その日も仕事が終わって、いつものように疲れた体で帰ってきた。するとアパートの階段に腰掛けている小学5·6年生くらいの男の子がいて、こっちを見た。そして僕にこう言った。

「オジサンが及川逸郎?」


5.かかえるトラブル

 「オジサンが及川逸郎?」

そう言ってから「さん」くらい付けたほうが良かったかな?と思った。何しろ生きた中年のオッサンと話したことなどほとんどないのだから、多少間違っていたとしても仕方あるまい。

 オジサンでいいよな、35歳だし。35歳にしては、ちょっと老けてるかな、でも健康に問題はなさそうだな。


 「君、どうして名前知ってるの?」

及川逸郎は不審そうに僕を見てそう言った。しかし僕は無視して話し続けた。

「あなたのクレジットカードが不正使用されてますね。投資教材のサブスクで毎月300円引かれてます。」

「それとマイナンバーカードは誰か他人の保険証と紐づいてますね。病気のおじいちゃんの保険証とね。市役所に行って直してもらった方がいいよ。」

 及川逸郎はますます怪訝な顔付きになったが、僕は構わず話し続ける。

「サブスクの方はねぇ、クレジットカード明細あまり見てないだろうリストっていうのがあってさ、どこかの悪徳業者がそのリスト使って自分ところの商材を買わせる手口なんだよね。微妙に少額だから、明細見なきゃわからない。クレジットカードの情報をネットに流したことあるでしょ?」


「流れてきたクレジットカード情報からの明細データを全部抜いて、いろんなリスト作ってるよ。高額商品購入者とか、マニアックな商品の購入者とか。情報抜くのはやり手のハッカーじゃないとできないね、クレジットカード会社って、結構セキュリティ厳しいから。」


「明細見ない人リスト、実際に半分以上が全然明細を見ない人だから、少額でも結構集金できるんだよね。利用者が明細見てクレーム入れてきたら、利用履歴から適当なこと言って、お詫び料金込みで返金するんだ。そうすると大体クレームは収まるんだな、これが。」


「それとマイナンバーカードの方はね、これが全然単純な話で、保険証登録するときに、ログアウトしないまま登録して前の人のIDカードと紐づいちゃったわけ。ものぐさ役人が派遣会社に丸投げして、実際には派遣社員がパソコンで適当に登録するから、そういうことが起きたわけだね。ほら、派遣社員ってポンコツじゃん。」


ここで、及川逸郎は口を開いた。


「俺もその派遣社員さ、ポンコツのね。」


「そうそう、あなたがポンコツだったおかげで、とても助かってますわ。今日はその御礼がしたくてここに参上したってわけ。」


「及川さん、B社でパソコンの設定してたことあるよね。その時1台設定飛ばしたでしょ?」


及川逸郎はビックリしたような表情をした。


飛ばしたこと気づいてたんだ。


「その失敗作を僕が使ってま〜す。とても快適で〜す。」


6.トラブル解決

 「その失敗作を僕が使ってま〜す。とても快適で〜す。」


「遅くなるとママに怒られるから、今日はもう帰るね。じゃあ、またね。」


 少年はそう言うと、足早に駅の方へ行ってしまった。私は仕事の疲れと突然の出来事で頭が混乱して、少年を追いかけることができなかった。

あの少年は一体何者なのだろう?

 私がB社でパソコンの設定を一箇所飛ばしてしまったことを知っていた。なぜそのことを知っているんだ?

 もしかしたら少年はB社の社員の子どもで、親の持ち帰った資料から、失敗したパソコンのデータを盗み見したのかも知れない。

 そして、今そのパソコンを使っていると言っていた。社員が不良品を買い取ったということなのか?


 さらに私のクレジットカードが不正使用されているとか、IDカードが間違って紐づけされているとか言っていた。

 

 まさかと思いながらも、私は部屋に帰ってクレジットカードの明細を確認してみることにした。クレジットカードの請求書は、封も切られていないまま何ヶ月分も溜まっていた。封を開けて数ヶ月分を確認してみると、確かに身に覚えのない300円の請求があった。その300円は、全く知らない会社から請求されていた。

 いつから300円が引かれていたのかは、全然わからない。手元にある5年前の請求書には既に記載されていた。クレジットカード会社に連絡して、請求元の会社の連絡先を教えてもらった。

 その日のうちにその会社に連絡して、身に覚えのない請求がある旨を伝えた。電話口で女性のオペレーターが私に言った。

「お客様のIDはおそらくメールアドレスになっていると思いますが、そちらを教えていただきますか?」

私は自分のメールアドレスを伝えた。

「お調べします。少々お待ち下さい。」

保留の音楽が鳴り始めた。暫く待っていると、音楽が止みオペレーターが言った

「お客様は10年ほど前に、弊社の教材をサブスクで申し込まれてます。300円はその料金でございます。」

10年前と言ったら、私が派遣社員としてとして働き始めた頃だ。その頃は精神的にまだ回復してなくて、お金のことなど見るのも嫌だった。そんな精神状態だからクレジットカードの請求書など見る訳もない。私は愕然とした。たとえ

300円とは言え、10年間も知らないまま請求されていたのか。

 私は少し語気を強めて、オペレーターに言った。

「これは、クレジットカードの不正使用なんじゃないですか?私はそんな教材を買った覚えはないです。」

オペレーターは慌てた感じもなく、相変わらず冷静な口調で言った。

「責任者が対応いたしますので、少々お待ち下さい。」

こういったクレームには慣れている対応だ。一分ほどしてから、電話には責任者と言われていた男性が出た。

「この度は大変ご迷惑をおかけしております。弊社はお客様宛にメールを毎月送っておりまして、そのメールに貼られたリンク先にアクセスして頂くと、弊社の教材をダウンロードするようになっております。」

「そもそも最初からそんな契約してないですけど。」私はそう言い返した。

「そうおっしゃられても困ります。 弊社には記録が残っておりますので。しかしながら お客様がどうしてもそう 主張なさるのであれば、 仕方ありませんね。契約期間の半分に当たる 3600円の5年分、18000円をお返しいたします 。」

「それでは 納得できない。 全額返してください。」

私はそう 主張した。

「仕方ありませんね。 それでは 10年分 36000円 とお詫び分も含めて、5万円をお返しいたします。」

 今の私にとって 5万円は大きかった。 心が動かされる金額ではあった。どうしたものかと少し迷ったが、結局それを受け取ることにした。

「それでは指定の口座に明日5万円 振り込ませていただきます。 この件に関してはなにとぞ穏便にお願いいたします。」

5万円の臨時収入は、ちょっと私の心を動かした。そんな金額では納得できないと突っぱねることもできたが、やはりそれはしなかった。


 次の日は平日だが、仕事がなかったので、 私は市役所へ行った。 窓口で 番号札を取るとすぐに私の順番になった。

「私の マイナンバーカードが 他の人の保険証と紐付いているみたいなんですが。」

窓口対応の女性は少し戸惑った表情で言った。

「ただいま確認いたします。 マイナンバーカードはお持ちですか?」

私は カードをその女性に渡した。 女性はカードを端末に差し込み、 パソコンの画面を見た。 そして慌ててこう言った。

「係の者を呼んできますので、少々お待ちください。」

 女性は奥のデスクの方へ行き。上司らしき 人に声をかけた。 上司は、明らかに落ち着きがなくなった。 上司の周りの職員たちも慌ただしい雰囲気になっている。上司は一人の作業服を着た職員と話を始めた。 1分くらい話をした後、 3人がこちらに急いで向かってきた。

 上司は言った。

「 この度は大変ご迷惑をおかけして、誠に申し訳ありません。 どうも こちらの手違いがありまして、 このマイナンバーカードは他人の保険証と紐づいていたようでございます。 ところで、及川様はこのカードを保険証としてお使いになりましたでしょうか?」

上司は、 丁寧に 、しかし慌てている様子で話した。

「いや まだ使っていません。」

私が使うわけはない、 ID カードが保険証として使えることさえ知らなかったのだから。

「 それは良かった。もし使ってしまうと、 他の人の保険証 使用履歴に残ってしまいますので、それを訂正するのは大変なのものですから。」

そう 上司は言った。 作業服の職員が1枚の紙を示しながら、 私に言った。

「こちらが間違って 紐づけられた方の通院履歴です。こちらの医療機関に、ここ数年でかかられたことはありませんか?」

私はない、と答えた。 もう何年も 医者 など行っていない。 体だけはなぜか丈夫だった。 作業服は言った。

「こちらのカードが他の方のマイナンバーカードと紐付けられていることをどのような経緯でわかりましたか?」

私は少し戸惑った。 まさか知らない小学生が現れて教えてくれた、とは言えないだろう。 「えーっと、知り合いで教えてくれた人がおりまして。 」

「そうですかマイナンバーカードのアプリで確認したってことですかね?」

アプリ の こと はなんとなく知っていた。

「そうです 。 アプリです。知り合いに設定を頼んだときに、わかりました。」

「及川様が気づいてくださらなかったら 、このまま他人の保険証使用履歴が及川様の使用履歴として残ってしまうところでした。 今回の件に関しましては、100% こちらに 責任でございます。 ただいますぐにカードを訂正して参りますので、少々お待ちください。」

上司はそう言うと、 作業服を伴っては奥のデスクへ 慌てて戻って行った。 端末を使って何か作業している様子が見えた。

 女性は 窓口に残って、申し訳なさそうに事の経緯を説明をした。

「この事象は全国的に数百件 報告されておりまして、原因は 保険証の紐付け作業する時に、ログアウトせずにしてしまったために、前の方の ID と紐付いてしまったのが原因でございます。誠に申し訳ありませんでした。」

 それは 例の小学生に聞いて知っているとも言えず、無言で頷いた。 数分すると上司と作業服かやってきた。

「この度は大変ご迷惑をおかけしました。マイナンバーカードは 訂正してあります。 また 間違って 紐付けられた方には、これから経緯を説明し、謝罪するつもりでございます。」

「それとこれはお詫びの印と言っては何ですが、 市で配っております ノベルティ でございます。 また市の名産品のジャムと牛肉の缶詰セットを入れてございます。 どうぞ お持ち帰りください。」

 私はマイナンバーカードと、ノベルティ やら 名産品やらが入った紙袋を受け取った。 考えてみると、昨日は現金5万円、今日はノベルティのクリアファイル、 万歩計、そして名産品の ジャムと肉の缶詰セットをもらった。 ちょっと嬉しくなってる自分がいるのを感じた。


7.ハッキングレベル

 及川 逸郎に会った 数日後、僕は彼が2つのトラブルを解決してることを確認した。 彼にしてはいつになく 迅速な対応だな、及川は基本 真面目なやつだから 、具体的な課題に対しては動きが早い。 能力だって決して低くはない。 大学 だって出ている。 文章が読めて、その意味をおそらく半分以上解っている。 むしろ優秀と言っていいくらいだ。 それなのにこんな 詰まった生き方をしているのは、人生に対する意欲の欠如のせいでもあるが、社会の不条理なところにも原因があると思う。 日本は失敗が許されない国だから、一度転ぶと二度と立ち上がれない。まあ、しかしそれは仕方がないことだ。 僕の彼に対する義理は果たした。 あとは 彼次第だ。

 と思っていたところ 新たな トラブルが発生したようだ。 例の 架空請求の会社、まあまあ 筋が悪かったようだ。 他にもかなりやばい 架空請求をしているようで、クレジットカード会社から契約を解除されていた。

 翌日 及川のアパートに 行くと、 定時で上がって帰ってきた 及川と遭遇した。彼は僕を見ると、ぎょっとしたような顔をした。

  「 新しいトラブルが起きたので、お知らせに来ました。 例の会社、ちょっと筋が悪かったみたいだね。」

「どうして君は私の名前や住所を知ってるんだい?」

及川は言った。

 「それは、僕がハッキングが得意だからなんだ。 日本国内の情報ならだいたいわかるよ。 マイナンバーのサーバーは、簡単に侵入できるからね。しかも痕跡を残さずにね。」

 「でもアメリカの政府系サーバーへの侵入は難しい。 まだ僕には きっとできない。マトリックスのなかで、トリニティは 国税局のサーバーに侵入してるけど、 痕跡を残している。」

「それは 映画の中の架空の話なんじゃないのかい?」
「架空かどうかなんてどうでもいいんだ。 どの道この世界は 架空なんだから。」

僕はポツリとそう言った。

 及川は、こいつは何を言っているんだ、という顔で僕を見た。 僕もちょっと言い過ぎてしまったようだ。

僕は話題を変えてようと、こう言った。

「 僕は生きてる人間は苦手だから、実際に悪い人たちがあなたのところに来ても手助けはできないよ。 リアルな暴力が起こったら、それは自分で戦ってね。 僕と大人では体重差があるから、戦うのは無理だからね。」
「でも、ネットの中なら誰にも負けない自信がある。世界中の誰にも負けない。」

今日はこのまま帰るわけにはいかない。及川に具体的な策を授けなくてはならない。


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