今安琴奈「母と娘、大菩薩道の歩み」一東大出版会編『公共と経営一みんなの幸せがわたしの幸せ』(京都フォーラム)

 今日から3日間講演が続くので、今朝羽田空港に向かう前の時間を使って、昨日のnote拙稿の続稿として、今安志保さんの娘・琴奈さんが『公共と経営一みんなの幸せがわたしの幸せ』(東大出版会編、京都フォーラム発行、2023)に寄稿した「母と娘、大菩薩道の歩み」の一部を抜粋して紹介したい。

●「前世の記憶」「胎内記憶」を持った私

 私は俗世間で言われている「前世の記憶」と「胎内記憶」を持っています。ご先祖様のお声が聴こえたり、宇宙との繋がりを感じたり、不思議な体験をたくさんしてきました。この経験は今となれば「稀有な体験であり、私自身の特別な体験」ではなく「本来、誰一人として例外なく体験できることなのだ」とお伝えできるようになりました。忘れてしまっているだけなのです。母はへその緒を切った瞬間「この子はこの子の人生を歩き始める。20歳になったとき社会にお返しするためにそれまで育てる私担当の子。親の所有物ではない」と感じたそうです。母は”本物”にこだわり、”十分にする”ことを重視し育ててくれました。人として生きるための決まり事として、自と他を分けて受け入れることができ、”聞き分けられる”ように母は、全てを体感させてくれていました。そのいくつかをご紹介します。

⑴ 「ティッシュ箱遊び」1歳6か月の私

 年頃になると、ティッシュ箱からティッシュを抜きたくなる。そこで母は何も言わずに「どうぞ」と笑顔で手を差し伸べる。夢中になる私。気が付けば1箱空けきりました。その瞬間、私の目の前に新しいティッシュ箱が登場しました。驚きながらも「まだいいの?」と嬉しい私はティッシュ箱からティッシュを抜き続けます。1歳6か月ながらに「さすがにやばい?」と思い母の顔を見る私。しかし母は笑顔で「どうぞ」を続け、あっという間に2箱を空けきります。次の瞬間!3箱目がわたしの前に。目が点になる私。笑顔の母。遊びではなく、一生懸命ティッシュを抜く時間が過ぎていきます。3箱目を抜き切った私は「はぁ」とため息をつきました。部屋中ティッシュだらけ、冷や汗をかく私は、さすがにやばいと理解できます。次に母がとった行動は、何も言わず笑顔でティッシュをたたみ始めたのです。「あ、そうするのね!」と私は母の真似っ子をし始めました。3箱分のティッシュを折り終えました。すると初めはキュッと圧縮されているティッシュが一度空気を含むので大きく膨らみます。それを見て母は一言「ね!?楽しいことはこ~んなに膨らむんだよ」とニッコリしました。社会の仕組みの一つを覚えた私です。

⑵ 冬眠がしたい

 2歳の頃の話です。リビングのテレビからは、ディズニー映画が”環境ビデオ”のように流れている毎日でした。特に好きだったのは「くまのプーさん」です。プーさんは冬眠はしません。ですが、テレビで見た熊は冬眠するのです!疑問に思った私は母に「冬眠したい」と伝えました。「わかった!!」と母は答えてくれました。冬眠の約束を次の日の朝に取り付けました。朝ごはんを食べ、父を見送り、私はワクワクドキドキしてその瞬間を待ちます。母は何やらせっせと用意をしています。9:30頃「冬眠するよー!」と母の声で、カーテンを閉め、部屋を真っ暗に、さらに布団に潜り込み冬眠しました。朝ごはんを食べた後だったので、トイレに行きたくなり、「ママ、おしっこ行きたい」と言うと、「冬眠だから行かないよ?」と母は答えました。何もすることがありません。「ママ?」と呼ぶと「冬眠中だよー」と母。「この親本気だ!」ということを痛感したと同時に、冬眠に飽きた私から「ママ冬眠終わろう.もう充分分かった。」と提案しました。そこから「おしっこ―!!」とトイレへ駆け込みました。

⑶ 「洗濯物と琴奈の違いは何?」

 4歳の私はある日「なぜ、洗濯物は濡れていてもいいのに、私は濡れた服を着たり、雨の日は傘をさして濡れないようにしないといけないのだろう」と疑問に感じていました。母にそのことを伝えると、「よし!じゃあお洗濯物の気持ちになってみよう!」と湯船にお湯をため始めた母。しばらくして、洋服を着たまま2人で湯船に入りました。不思議な感覚に楽しくなりしばらく遊びました。「さぁ!出ようか」と母が言い立とうとした瞬間、立てないのです・・・何とか手すりに捕まり立てたものの重くて上がれない。「うううう」となっている私に、「ね!こっちゃんはお洋服を着たままお湯につかってしまうと重たくて、大変でしょ?だからこっちゃんやママたちは乾いたお洋服を着るんだよ!」と母。また1つ覚えました。なので、服を着たまま川に入ることも無いですし、濡れないように気をつける癖がつきました。
 まだまだたくさんエピソードはありますが、母はこのように全て、一緒に実践をして娘の私に体感させてくれました。これらは後に、三輪清浄の姿を表し如来道を生きることに直結しています。

●「母と子の物語」から「母と子のネットワーク」へ

 5歳の時に意味もわからず口にしていた言葉
『十句観音経』
  南無大慈大悲の観世音菩薩
  種々(四重)重罪五逆消滅
  自他平等即身成仏
 (大慈悲心の観世音菩薩に帰依いたします/この世から出家者の4つの重罪と出家在家を問わず5つの重罪が消えてなくなりますように)は、口癖のように唱えておりました。大悲を大楽にする女優になることを5歳の頃に阿頼耶識で示唆していたことになります。
 如来の生き方の道を貫こうとする私は、女優としての菩薩道を生きる道ㇸと進化、深化していたのです。これからもひとりの日本人女性の生き方として、女優として仏の道を生き続けます。倦まず弛まず一歩一歩励みます。「世々代々のパブリックヒストリーを生きる」という人生の道を共に開きましょう!
 ここに語る「母と娘の物語」は、大いなる宇宙の時間軸、歴史から見れば、ほんの一瞬、まばたきほどのこと。この「まばたき」ほどの点の事柄をあちこちに増やすことで、点と点は線へとつながり、母と子のネットワークの線は、やがて面を構成し、いつしか大きな風呂敷と形成される。それが、地球を包み込む愛となります。愛とは宇宙最大のエネルギー。「母と娘の物語」は、宇宙最大の愛を創造し、共鳴し合う交響詩となり、地球と共鳴するダイナミックハーモニーを創り出すでしょう。
 
●むすびに

 今朝、東の空が紫色からオレンジ色へと変化し、次第に輝きを増していく空間「夜明け」を体感しました。宇宙の愛のエネルギーを感じ、魂が震え、涙が頬を伝います。1300年も前に生きた歌人、柿本人麻呂はこう残しています。「東の野にかぎろいの立つ見えて 返り見すれば 月傾きぬ」と。万葉集がいまも言葉を残すということは、地球が静かに生命の営みを守り続けているということ。その愛は変わらず降り注がれているということ、その恩恵の中で生かされていることを、我々は決して忘れてはならないのです。

*こども大綱は「こどもまんなか」「こどもの自己選択、自己決定、自己実現の主体」を強調するが、この「母と娘の物語」に学ぶ必要があるのではないか。この「母と娘の物語」は「こどもまんなか」「子供の最善の利益」とは何か、について再考を促す鋭い問題提起を含んでいる。


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