人類はどこへ向かうのか:真のwell-beingを求めて

 人類の文明体系が自然の生態系に介入することで引き起こしている地球規模の問題群の原因や解決方法を総合的、学際的、倫理的、行動的に究明し、それを共有し、協働していくために設立された地球システム・倫理学会の第18回学術大会が慶応義塾大学で開催された。
 同大学の長谷山彰名誉教授の「テクノロジーと人類は調和できるか~コロナ禍の大学が経験したこと~」と題する基調講演に続いて、シンポジウム「人類はどこへ向かうのか:真のwell-beingを求めて」が次の5人によって行われた。
 ・モデレーター:鈴木寛慶応義塾大学大学院政策・メディア研究科教授
 ・パネリスト:前野隆司同システムデザイン・マネジメント研究科教授
 ・パネリスト:宮田裕章同大学医学部教授
 ・パネリスト:内田由紀子京都大学人と社会の未来研究院教授
 ・コメンテーター:服部英二地球システム・倫理学会

●前野隆司教授の問題提起

 まず最初に登壇した前野隆司教授は、ウェルビーイングが最近、幸せという意味で使われることが多くなった理由の一つは、「主観的幸福研究」という心理学の分野が進展したことが挙げられるとした。
 アンケート調査によれば、利己的な人は幸福度が低く、利他的な人、地球環境を何とかしたいとか、皆のために頑張りたいと思う人は、幸福度が高いことが判明した。
 人類史の視点から見ると、1回目の定常期は、原始宗教やアートが生まれた時期で、2回目の定常期は、高等宗教や思想、芸術、文化が生まれた。そして、日本は世界に先駆けて次の定常期に入ったといえるとした。
 この3回目の定常期には、過去に原始宗教、高等宗教ができなかったことをすべきであり、創造性や知性や感性を重視した新しい生き方に移っていくべきである。人口のすさまじい増加から定常に転ずるという大きな過渡期、変曲点なので、非常に大きな混乱が起きているのが現代と言える。
 自国中心主義、自分中心主義が台頭し、これからの倫理的世界はどうなっていくかが問われている、と問題提起した。

●宮田裕章教授・鈴木寛教授の問題提起

 次に登壇した宮田裕章教授は、ウェルビーイングとサステイナビリティについて整理し、次のように説明した。いわゆる人間(じんかん)というか、人と人の間を大きな概念で動かしていく時代が長く続いた後、産業革命によって、大量消費、大量生産、産業で経済力が大きくなり、経済が先にあるような形で人生を位置づけてきた。
 そうではなく、これからは人が生きるということが先で、それを響き合わせて社会をつくっていくという意味で人間中心主義、ウェルビーイングという言葉を当てているのであり、つながりの中で我々の豊かさを考えようということなのである。
 人と人、人と世界がつながる中で、経済の位置づけ方そのものが変わっていくし、人権、自由、健康、命、環境負荷など、多様な影響を可視化しながら、利己的だけではなく、つながりの中で未来の社会をどう作っていくかが問われている。地球システム・倫理という枠組みの中でウェルビーイングや持続可能な未来について論じることが大切である。
 この問題提起を受けて、鈴木教授はフッサールが、人間と人間の主観的なつながりの中に、主観と主観の間、「間主観性」まさに「人間(じんかん)」を主張したとコメントし、法華経にも「一乗」という考え方があり、近代化は「個の確立」と言いながら、個ばかりが増殖、加速するシステムを作り上げ、つながりが進化せず、インターネットが出てきたが、社会システムが整備されいないと指摘した。

●内田由紀子教授の問題提起

 次に登壇した内田由紀子教授は、私たちは、一人ひとりの多様なウェルビーイングを認めるような社会をどのように作っていけるのかということを深く考えねばならない、と前置きした上で、次のように指摘した。
 日本とアメリカの比較研究によって、日本的なウェルビーイングは「協調的」だということが、多くのデータから明らかになった。様々な自然災害や困難を協力し合うことで克服する能力は、他国と比較して、日本には豊かにあり、この協調性の強みで、新たな幸福や利他性、つながりの再認識などを基盤とする日本型ウェルビーイングを世界へ発信していく必要がある。
 これからは自分の幸せとともに、他者への良い影響をもたらすようなウェルビーイングが循環しながら実現する場所やシステム作りが必要であり、個別に働きかけるだけでなく、職場、地域、教育の場をどう作るか、人々が楽しく集い、それらが長く持続するような場所作りについて検討していくことが、つながりや利他性、そして自分がよりよく生きることにもつながるのではないか。
 音楽にはユニゾンという、同じフレーズを皆で歌うのと、テノール、セカンドテノール、バリトンとバスと、違うフレーズを一緒に歌い、そこにハーモニー(調和)が生まれるコーラスがあるが、オーケストラは個人演奏のユニークさが光りながら、きちんとお互いに調和を取ることができる。
 つながりと協調を保つには、多様な人々の参加と、出入りの自由さが必要であり、求められているのは、他地域の人も祭りに参加し、一緒に活動できるような、参加が自由で開放的なつながりである。

●多様なbeingの違いを活かし合いながら「共活」「共創」社会を実現

 宮田教授はこうしたつがりを、共に創る「共創」と表現し、アーティストとCo-Innovation Universityという新しい大学を作る中で、Co-Existanceという生物的にただ互いに存在するという「共生」ではなく、むしろお互いに利用し合うようなCo-Being(大阪万博のパビリオン名)を目指しているという。持続可能なウェルビーイング、分かち合う価値を共に創りながら、そこに向かっていく「共創」社会の実現こそが時代のニーズと言えよう。
 私が「共創」という言葉を初めて使ったのは、臨教審専門員であった頃、文科省に依頼されて、虎ノ門ホールで開催された全国の新任中学校長を集めた研修会であった。「教員の研修には研究はあるが、修養が欠落」している。21世紀の教育改革の理念は「共創・共活」「主体変容」だと強調したが、「共創」は「競争」、「共活」は「恐喝」と誤解した人もいて、説明に苦労したことを鮮明に覚えている。
 「共活」は「共に違いを活かし合う」という意味であり、「主体変容」はホリスティック教育の概念で、師範塾や親学、髙橋史朗塾では「心のコップを上に向け、自分が変わる」ことと説明している。青少年健全育成の基本理念として「大人が変われば子供も変わる」というスローガンとして全国的に定着した。
 経済成長の時代はdoingの時代、成熟の時代はbeingの時代、これからはco-beingの時代へ向かうのが歴史の必然であり、「主体変容」をベースにして、多様なbeingの違いを活かし合い補い合いながら、co-beingの新しい秩序を共に創っていく「共活」「共創」社会の実現を目指していく必要がある。ウェルビーイングを目指して、co-beingを大切にしながら生きることが求められている。

●9,11直後に「文化の多様性に関する宣言」が満場一致で採択された意味

 参加者からの「ウェルビーイングな世界が大半を占めるためには、どのようなことが必要か」という質問に対して、内田教授は、人々が自身が間接的にも利他的な影響を与えていると気付ける仕組み作りが必要ではないか。各国が自身の豊かさを追求し、それに基づいて良いものを互いに提供する形になれば、それは競争ではなく共創の仕組みになり得ると思う。これには仕組みを変えるだけでなく、私たちのマインドセットの変革も必要だ、と強調した。マインドセットとは「主体変容」に他ならない。
 シンポジウムの最後に、服部英二氏が次のように締めくくった。「他者に感謝の気持ちをもつこと、これがウェルビーイングの中で大切なことで、そのためには、2001年にユネスコ総会が満場一致で採択した『文化の多様性に関する世界宣言』の全文を読んでください。これはものすごく重要な宣言で、私は世界人権宣言に次ぐ、ではなしに、人権宣言を上回る重要性を持っている宣言だ…まず生物多様性ですね。そして人類の生存には文化の多様性が必要なのだと断言したのですよ。いいですか。これが2001年10月30日にユネスコ総会で採択されたということに、皆さんは注意してください。なぜなら、その年に9,11が起こったのですね。崩壊するツインタワー、アルカイダ、驚愕してブッシュ大統領が全世界に対して『アメリカに付くか、テロリストに付くか』と選択を迫った1ヶ月半後に、ユネスコは全会一致で、この文化の多様性に関する世界宣言で採択している。この意味を考えてほしいのです。世界はアメリカに追従しているように見えますが、ニューヨークとパリでは、すでにこれだけ差があるのですね。そういうことを考えると人類の理性には希望が持てます。最後に、この宣言に明記された『他者がいるおかげで私もいる』という考えが非常に重要で、日本では『ありがとう』『おかげさま』という言葉になっているんですよね。アフリカでも『ウブントゥ』という言葉は『君がいるから私がいる』という意味で、ちゃんとそういう倫理観が存在します。そういうところに目を向けて、異文化を尊重する、おかげさまでという心を見つめ直し、すべての存在は、われわれが生きている、という中の重要な存在なのだと認識する、その認識を深めてくれた1日であったと思いました。」
 ロシア・ウクライナ戦争、イスラエル・ガザ戦争の真っ只中で日本が果たすべき役割は何かについて、改めて問い直す必要があるのではないか!
  また、閉会の挨拶を行った地球システム・倫理学会副会長で「共生科学部」がある通信制大学の学長も兼任する山脇直司氏が、かつて宮沢賢治が『農民芸術論』の中で述べた言葉を少し変えて、「世界全体のWell-beingが達成されないうちは、個人のWell-beingはあり得ない」というテーマになるのではないか、co-being,co-creationに加えて、一人ひとりが新しい気づきや感性や意識を「共に生成する」という意味でのco-becomingが不可欠、とまとめられたことも心に強く残った。

 


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