ガブリエル・クビー『グローバル性革命一自由の名によって自由を破壊する』⑴

ジェンダー理論の先駆者・バトラー 

ジェンダー理論の先駆者は、1956 年に生まれたジュディス・バトラーである。 彼 女は米国で、ハンガリー ロシアの系ユダヤ人の学者の家で育った。 1984 年に は、ジュディス・バトラーはヘーゲル哲学の欲望に対する概念をテーマにした論 文でエール大学において博士号を取得し、米国カリフォルニア大学バーク レー校で比較文学と批判理論プログラム担当教授。 また、 2006 年からは、スイス所在の欧州大学院で哲学の分野ハンナ・アーレント議長 も務めている。 このように両性の性同一性と地球上の文化的伝統の全体を攻撃 し、揺り動かそうとする人は甘く見るべき人ではない。
  レズビアンのジュディス・バトラーは両性性別の体制を、自由を制限する刑務 所であると思い、自然による差別であると感じている。彼女は、自分の細胞と体 の構成、体の器官や声が女性的ということと、誰もが彼女を女性として認識して いるという事実よりも、ある時は男として、ある時は女性としての役割をするレ ズビアンとしての経験がより強く自分の本性を決定しているように見える。
 1990 年に出版された彼女の著書『ジェンダー問題:フェミニズムとアイデン ティティの転覆』(Gender Trouble Feminism and the Subversion of ldentity) は、ジェンダーイデオロギーの基礎となる著書である。 性別の秩序を不快に思 ったジュディス・バトラーは、その著書の序文で説明するように、この性別の秩 序の問題を指摘したかった。 彼女の質問は、「ジェンダーの位階秩序と強制的な 異性愛を支持する性別の分類に問題を引き起こす可能性が最も良い方法は何か」 であった。
 続いて「この質問の役割は、男性中心主義と強制的異性愛のように 固定的に定義された制度に焦点を合わせることでもあり、焦点を分散させてし まおうとすることであった」と述べた彼女は、「性別を区別することを急進的に 批判した結果、どのような政治的可能性が開かれるのか」を問わなければならず、 また「性同一性という共通的な基盤がフェミニスト政治学に対する談話をそれ 以上制限しないとき、どのような新しい政治的形態が出現するのか?」に関する 研究してみなければならないと述べた。
 バトラーの意見は、固定的な性同一性 の分類が言語を通して「構成されたもの」であるため、言語に対する政治的変 化が性別の秩序の解体するために重要な役割をするというものだった。 ジュディス・バトラーは、後期構造主義哲学者として体制の転覆的な混乱を引 き起こし、性同一性の多様化を通して、人類秩序の基礎を揺り動かそうとする目 的のために自分が作った哲学的言語を使用した複雑な理論を立てたのであった。
 彼女の視点を単純で易しい言語で表現した場合は、誰も彼女が現実感覚を失っ てしまったというであろう。 しかし、自分の破壊的な考えを理解することが難 しい高度の哲学用語で包装したために、読者や視聴者は尊敬してやまないよう に首を縦に振るようになる。 バトラーはこう言った。「つまり、性は時代を経な がら強制的に具体化された理想的な構造である。性は単純な事実や不変なる肉 体的な状態ではなく、一つの過程であるが、この過程において、規制と規範が性 別を具体化させ、これらの規範の強制的な繰り返しを通して性別の具体化が生 じる」。

●「生物学的な男女は存在しない

 これを簡単に紐解いて言えば、以下の通りである。 男と女というものは存在 しない。 一人の性別は幻想に過ぎず、あまりにも頻繁に繰り返されて、私たち が信じたことに過ぎない。 ジェンダーは、生物学的な性と一致せず、生物学的 な性はどんな役割もしない。 生物学的な性とは言語によって作られたものであ り、人々が継続的に自分の脳裏に入ってくることを信じているので存在してい るだけなのである。
 バトラーの観点から、性同一性は流動的で変化可能なもので ある。男性的、或は女性的な存在となく、ただ男らしい、或は女性らしい行動が あるだけであり、その行動はいつも変わることがある。 バトラーにとって近親相姦のタブーは、男、或いは女という性同一性の幻想か ら始まったタブーであり、同性愛をタブーにした原因である。従って、これ らの禁止は必ず撤廃されなくてはならない。
 バトラーにとって「近親相姦のタ ブーはタブー視される欲望を禁止し、強制的な同一性のメカニズムを通して特 定の性別を持った存在にするための方法である」。それで、彼女は「近親相姦の タブーは、同じ血族メンバー間の性的な結合を禁止するだけでなく、同性のタブ ーも含まれている」と付け加えた。
 ところが、もし性同一性というものがない場合は、女性の優位性のために戦う フェミニストは深刻な悩みに陥ることになる。 彼女たちは、男性の犠牲を代価 に女性の権力を拡大すること、或は両性の性同一性を完全に廃棄し、それを唯一、 個人の選択に任せることの中で一つだけを選択することができるだけである。
 バトラーは、その問題を意識して、「フェミニスト政治学を女性という性分類に 属するテーマでなくても行うことができるか」と尋ねる。 彼女自身が女性という性の一つの部類をなくしてしまうことをしているが、 「女性に代わって代表的な主張をするために、女性に言及することは依然とし て戦略的に、または過渡期において理にかなったことである」と言い、同僚の フェミニスト活動家たちをなだめる。

●「性同一性の完全な解体」が目的

 しかし、彼女の本当の目的は、性同一性の 完全な解体である。なぜなら、その目的を達成するまでは、個人が自然の支配から 解放され、完全な選択の自由といつでも自己を再創造することができる 能力を 実現することができないからである。ただ、女性という性別が存在するために女 性が抑圧を受けるのである。 ただ「強制的な異性的正常性」が存在するため、 他の形態の「性の欲望」がすべて排斥されるものである。
 バトラーは、政治的利害関係が成立するためには、性同一性がまず打ち立てら れなければならず、その次に政治的な行動が可能であると仮定する傾向がある 同一性政治学の根本主義者的な論理を批判する。 バトラーの立場はこれとは全 く異なるもので、彼女の主張は、「行為の背後には、行為者の必要性はないとい うことである。むしろ、行為者は行為の中において、行為によって多様に構成す ることができる」と述べる。
 これらの考えの終着点は、世の中には、わずか 2 つの性のみではなく、個人の 性的指向に基づく多くの性が存在するという主張に至る。 ジュディス・バトラ ーも同一性というものが存在する。 しかし、それは、男と女で決定されたもの ではなくクィア、レズビアン、バイセクシュアル、トランスジェンダー、間性(生 物学的に男女を区別することが困難な性)、または、その他、すべての性的部類 の中でどこに属するかという性的指向によって決定されるものである。
 バトラーは、人間の同一性を性別のみならず、家族、文化、宗教などの数多く の影響によって形成されることから、自由に選択されて変形される性的指向に 制限してしまったのである。 バトラーによると、家族は配偶者と子供の組み合わせで形成されるもので はなく、一時的な所属という恣意的行為によって形成されるものである。

●「クィア理論」の最も重要な実践家

 バト ラーの実存の世界では子供たちは妊娠によって与えられるものではなく、設 計やデザインされるものであり、精子と卵子の寄贈、代理母、人工子宮、遺伝子 操作などの人工的な技術の助けを借りて再生産されるものであるという。 バトラーは、「クィア理論」 の最も重要な実践家でもある。     「ジェンダー」と 同様に「クィア」という言葉も意味的な変化を経験している。 LGBTI 活動家た ちは、クィアという単語が異性愛に反対する概念に捕らわれてしまうことを 克服するために使用している。クィアは異性愛のみ以外のすべての性を意味す る。クァア理論によると、異性愛と同性愛の二重性は性同一性の完全な解体のた めに必ず除去されなくてはならない。
 なぜならば、そのような時においてのみ、 強制的な異性愛の主導権が完全に克服され、人々が自分を創造することができ る完全な自由を得ることができるためである。 オックスフォードの辞典によると、「クィア」という単語は、一時期、同性 愛者を意図的に侮辱し攻撃する単語として使われたが、今は、「同性愛者」また は「ゲイ」に代わる単語として同性愛者たちが使っている。
 歳を取っている人た ちは 1960 年代に肯定的な呼称として呼ばれた用語が、特に若い人たちには「ク ィア」に代わる軽蔑的な呼称となった。一時期、否定的な単語が大学においてジ ェンダー研究の分派として「クィア研究」という理論的学問に使用された高尚な 用語となったのは奇妙なことである。

●「ジェンダー理論」とは何か

 ここで、ジェンダー理論とは何を言うのかを整理してみよう。この理論による と男性、或いは女性という個人の生物学的な性は、彼らの同一性とは無関係であ る。むしろ、生物学的な同一性は自己に対する自らの定義に反する自然の独裁で あり、必ず、解放されなければならない独裁を意味する。その代わり、一人の人 間の同一性は、その性的指向によって決定される。
 従って、これは、柔軟で、 変化が可能で、多様である。両性という錯覚と幻想は近親相姦のタブーによって、 そして、男性、女性、父、母など、自由な自我の創造のために必ずなくならなく てはならない言語学的な名称によって創造された。社会の異性愛的な表徴はす べての領域において必ず除去されなくてはならない。男性と女性、結婚と家族、 父と母、性生活と出産は自然なることではない。 むしろ、それは作られたもの であり、女性の上に君臨する男の主導権は、すべての形態の性関係の優位にある 異性愛的性関係を強固にするものに過ぎないものである。
 従って、これは、 その根本から破壊する必要があるというジェンダー理論である。 ジュディス・バトラーは、1999 年には、グッゲンハイム・フェローシップを 始め、2001 年にロックフェラーフェローシップと 2004 年の「レズビアンとゲイ の研究」で、特別な成果を成し遂げたことを記念し、エール大学のブルドナー賞を受賞した。
 また、2008 年にはアンドリューW.メロン賞を受けたが、この賞 の受賞者は、150 万ドルもの賞金を受け取り、より友好的な条件の下で教え研究 することが可能となる。 2012 年 9 月 11 日、彼女は 5 万ユーロのテオドール W. アドルノ賞も受賞しており、2014 年 11 月にはゲイの権利とイスラエルーパレス チナ紛争(ジュディス・バトラーはユダヤ人であるが、ハマスを支持し、イスラ エルをボイコットすることを主張する)に政治的に参加したという理由でフリ ーボルグのスイスの大学から名誉博士号を受けた。

バトラーの「転覆理論

 最も驚くべきことは、ジュディス・バトラーの「転覆理論」が、彼女の師匠 や同志たちの理論と共に世界の学界のエリートたちに歓迎されており、彼らに よって実践されているという点である。 19 世紀と 20 世紀には、このような転 覆活動が支配階級を目指して行われたが、当時のエリートたちは戦もせず、 放棄しようともしなかった。
 今日では、国連、欧州連合などの国際機関や数十 億ドルを持っている財団は、自らこの転覆行為を誘導するだけでなく、全世界に 強要している。 何が彼らをそのようにしたのか? ジェンダー理論が影響力のある理論になるまではわずか 20 年程度しかかから なかった。 政府が支援する「ジェンダー能力センター」は、その理論の政治的 実行の場となった。 大学では、「ジェンダー/クィア研究」という新しい分野が 確立されて教授陣も拡大され、若い世代はジェンダー理論を近代的な思考の成 果として学んでいる。
 公共機関、企業、教育機関の職員は、ジェンダーによって 形成される。これは、何の公的な議論もなく行われている。ジェンダー理論が何 であるかを知る人は殆どいない。しかしこれは主流となった。この恐ろしい過程 がもたらした影響を第7章でみることができる。 

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