渡部昇一先生の思い出

渡部昇一先生との出会い

渡部昇一先生との出会いは、中曽根政権下の政府の臨時教育審議会の専門委員に共に就任したことであった。臨教審は教育の自由化論の急先鋒で文部省改革派の多い第一部会と守旧派の多い第三部会が鋭く対立し、激しい論争が繰り広げられたが、渡部先生は第四部会の専門委員であったが、自由化論の代表的な論客のお一人であった。
 臨教審の母体となったのは、「世界を考える京都座会」(松下幸之助座長)と「文化と教育に関する懇談会」であったが、京都座会が「学校教育活性化のための七つの提言」を発表し、教育の自由化の具体的提言として大きな反響を呼んだ。この京都座会のメンバーから臨教審第一部会長の天谷直弘氏と第二部会長の石井威望氏、渡部昇一氏と山本七平氏が第四部会と第一部会の専門委員に任命された。
 「七つの提言」とは、⑴学校の設立自由化と多様化、⑵通学区域制限の多い大幅緩和、⑶意欲ある人材の教師への登用、⑷学年制や教育内容・方法の弾力化、⑸現行の学制の再検討、⑹偏差値教育の是正、⑺規範教育の徹底、であったが、渡部先生が「塾を学校にするために、新しい校舎もいらなければ何もいらない。新しく税金を注ぎ込む必要もない」と力説されたことを鮮明に覚えている。

白熱化した臨教審の「自由化」論争

 自由化論の目玉となった「学校設立の自由」「学校選択の自由」「学区制の廃止」などは、学校教育の水準、公共性、継続性が破壊されるとの反論が文部省側から出され、中曽根首相のブレーンであった香山健一第一部会長代理が月刊誌『文部省解体論』を発表し、自由化論争が白熱化した。
 自由化論の急先鋒で理論的指導者でもあった香山健一氏とかつての東大全学連の同志・俵幸太郎氏と第一部会終了後、牛尾治郎(京都座会メンバー)氏が所長を務めた社会工学研究所に移動して、今後の議論の進め方について戦略会議を行ったが、渡部先生とも、自由化論争をきっかけにアンチ文部省派の専門委員として議論する機会が多くなった。
 三年近く毎週三時間、総理府(現内閣府)で教育改革論議に参画できたことは貴重な経験となったが、臨教審の審議で最も強く心に残っているのは、事務局(文部省)抜きの合宿集中審議合宿で「自由化」論者と「反自由化」論者がお酒も飲まず風呂にも入らず休憩なしに激論を戦わせたことである。

ぶっつけ本番のテレビ対談

 安倍政権下の教育再生実行会議では委員の発言時間が制限され、しかも言いっ放しで相互の討論に時間が割かれておらず、実質的には文部科学省がリードしているように見受けられるが、このような審議会の在り方を根本的に変革することを目指した改革派の専門委員であったという共通点から渡部先生とテレビを中心としたさまざまなメディアで議論する機会が増え、テレビ東京の渡部先生の対談番組に何度も出演させていただいた。
 対談内容についての事前の打ち合わせはほとんどなく、ぶっつけ本番で本音トークができたことは私にとって光栄な至福の時であった。渡部先生はいつも収録の直前にスタジオ入りされ、目の前で和服に着替えられ「さぁー、高橋さん始めましょうか」と声を掛けて下さり、核心に迫る議論の口火を切られるのが常であった。その切り替えの早さにはいつも驚かされた。率直で構えがなく、ユーモアたっぷりの話しぶりに魅了された。

●『諸君!』論文「萬犬虚に吠えた教科書問題

 私が渡部昇一先生の言論活動に最初に注目したのは自由化論ではなく、昭和57年の教科書誤報事件に関するものであった。文部省検定で「華北への侵略」を「進出」に書き換えさせたという誤報が一斉に報じられた教科書誤報事件の際に、渡部先生が真っ先に月刊誌『諸君!』10月号に「萬犬虚に吠えた教科書問題」と題した論文を発表され、大反響を呼んだ。この論文を読んだ時に受けた衝撃が私が後に教科書問題に深くかかわるようになった決定的な契機となった。
 この論文を皮切りに、産経新聞は9月7・8日付けで、フジテレビも9日夜11時のニュース番組で誤報の詳しい経過とお詫びを述べたが、他の新聞各紙やテレビ局のニュース報道は誤報の事実を黙殺し、お詫びはおろか訂正もしなかった。
 この渡部論文に触発されて私は教科書問題について強い関心を持つようになった。後に、高校の日本史教科書『新編日本史』の検定や採択をめぐる問題について『諸君!』に巻頭論文を連載したり、中公新書から『教科書検定』を出版するに至ったのもすべてこの論文が契機になったといえる。
 この教科書誤報事件が中国・韓国の反発を招き、宮沢官房長官談話から「アジアの近隣諸国に配慮する」と明記した近隣諸国条項へと発展し、中韓による「外圧検定」が恒常化するに至ったのである。このような危機的状況を背景に、西尾幹二・藤岡信勝氏と協議して「新しい歴史教科書をつくる会」を設立したが、今日の教科書正常化運動の原点は渡部論文にあったことを忘れてはいけない。

還暦でご一緒した靖国シンポジウム

 平成22年11月20日に、今はもうない九段会館大ホールで、靖国神社崇敬奉賛会主催の公開シンポジウム「生きるということ~改めて英霊を想う~」で、渡部先生と御一緒させていただいたことも忘れられない思い出である。
この日は偶々私の60歳(還暦)の誕生日であったが、シンポ前の控室で「私が20歳の時にあなたが生まれたんですね」と言われたことが強く心に残っている。私が臨教審専門委員に任命されたのは34歳で最年少であったが、当時渡部先生は54歳で臨教審で論陣を張られた頃のことが懐かしく、40代の委員はいなかったので、渡部先生は臨教審専門委員の中では若い方であった。
 このシンポジウムで渡部先生が熱く語られた東京裁判と靖国神社への首相参拝問題の核心に触れた講演内容も印象的であった。サンフランシスコ条約11条には、「日本は東京裁判及びその他の軍事裁判のジャッジメンツを受諾し、それを実行させる」と書かれているが、日本政府がジャッジメンツを「裁判」と訳したのは誤訳であることを強調された。
 また、東篠内閣の外務大臣の重光葵はA級戦犯で有罪禁固7年であったが、鳩山内閣の副総理、外務大臣になり、日本が国連に加盟する時に日本代表としてニューヨークの国連総会に出席して、「日本はこれから東西の架け橋になる」と演説して大喝采を受けた。このことはA級戦犯なんか国際的に存在しないという一番の証拠だ、と渡部先生は力説された。

読んでほしい著作のベスト3

 なお、教師や若者に是非読んでほしい著作のベスト3として、①『渡部昇一の少年日本史』②『「修養」のすすめ』③『エマソン 運命を味方にする人生論』を挙げたい。いずれも致知出版社であるが、①は86歳で逝去された渡部昇一先生が若者に向けて綴った日本通史の決定版であり、「歴史とは、単なる事実の積み重ねではなく、歴史的事実という水滴を、日本という場所、現代という時代から、日本人の目を通して眺めた時に見えてくる『虹』のようなもの。それこそ日本人にしか見えない虹、国史(=国民の歴史)である。自分の目に虹として映るような国を持てるということが何よりも幸いである」と著者は述べている。
 私が日本史に関心を持つようになったきっかけは、高校時代に父から勧められた平泉澄『少年日本史』であったが、是非本書によって「日本人にしか見えない虹」を発見してほしい。また教育基本法第9条は、「学校の教員は、自己の崇高な使命を深く自覚し、絶えず研究と修養に励み、その職責の遂行に努めなければならない」と定めているが、「教養」ではなく「修養」の書として②を推薦したい。
  最後に、渡部昇一先生の退職記念パーティーが赤坂のホテルで開催されたが、ご子息が様々な演奏を担当し、錚々たる参加者の中に一群の赤坂芸者のテーブルがあったことは、先生ならではの粋な計らいと印象深かった。最期にチャンネル桜の番組で対談した光景も忘れられない。

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