服部英二氏の「とこわか(常若)の思想」

●AIができない「人間力」 

 日本の15歳は数学と理科は優秀であるが、私立文系を7割の高校2年生が選択するので、高2、高3と数学を勉強しないため、15歳時の世界1の数学力が剝落する。2012年には、読解力は優れていたが、その後下落した。その原因は非常に明快であり、日本の子供だけ、記述式問いに対しての無回答、白紙答案が劇的に多かった。
 この調査によって、人から与えられた選択肢を一つずつ、重箱の隅をつつきながら消去法で答えるマークシート試験が下落の背景にあることが明確になった。フランスのバカロレア試験は、「自由とは何か」などの哲学問題から始まり、4時間で3問について本格的に論述することが求められる。
 英オックスフォード大学教授で日本のAI(人工知能)ベンチャー、エクサヴィザ―ズの顧問も務めるマイケル・オズボーンによれば、人々の6割が今、存在しない仕事に就くことになるので、起業家に求められる非認知能力が重要であり、学問の原理原則を学び、アートを学び、非連続的なイノベーションを起こせることが求められる。何かに夢中になることが重要であり、とりわけ、芸術、哲学、考古学、神学をやらないといけないという。
 もう一つはヒューマン・コミュニケーションである。他者との協調、説得、交渉などが残る仕事はAIにはできない。医者でも、診断技術はAIの方が優れている。一方で、診断をAIがやるかもしれないけれども、重大な病気が見つかって「手術をしましょう」という話になった時に、このロボットに「手術した方がいいですよ」と言われたって、我々は決断できない。最終的なところでは「人間力」が求められるからである。
 AIを駆使できて、AIができない課題に対応し、その欠陥を最小化したり、リスクをゼロにするだけではなくて、失敗を許容し挑戦を応援することが重要になる。
 憲法第26条には「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」と定められているが、日本の教育があまりにも形式的平等主義に陥ってしまった弊害を克服し、公正な「個別最適化」を実現しなければならない。それぞれにとって最善の教育を保証するためには、多様性に寄り添い、文理分断から脱却して、文理双方から学び、文理融合を図っていく必要がある。
 note拙稿連載で紹介してきた東大大学院道徳感情数理工学講座の光吉俊二特任准教授や鄭雄一教授、京大大学院人文学研究科哲学専攻の出口康夫教授の『AI親友論』の研究はその先駆的研究と言えよう。
 さらに小学校から異文化コミュニケーションをプログラム化するとともに、2000年までの300年間の近現代史を重視し、世界史と日本史を融合して教える必要がある。

●トインビーとガンディーの警告

 イギリスの知の巨人、トインビーは著書『人類と母なる大地』(1979)において、「地球の子供である人類が、もし母殺しの罪を起こすなら、もはや生き残ることはあるまい。それに対する刑は自己崩壊であろう」と警告した。近代文明は人間の価値を「存在to be」から「所有to have」に転じた。限りない強欲の世界が市場原理主義から生まれ、地球資源を簒奪している。
 インドのガンディーは現代の人間社会が犯している以下の7つの大罪を指摘している。
 ・理念なき政治
 ・労働なき富
 ・良心なき快楽
 ・人格なき学識
 ・道徳なき商業
 ・人間性なき科学
 ・犠牲なき信仰
 元ユネスコ事務局長官房特別参与・麗澤大学教授の服部英二氏は、このような社会が出現した人類史の最大の出来事は、17世紀の科学革命に起因する人間の「自然との離婚」であると指摘し、次のように述べている。

●服部英二「とこわか(常若)の思想」声明

<理性のみが神とされ、自然と対峙する姿勢が生まれました。主客が分離し、自然は非生命化され、母なる大自然も簒奪されるべき資源となったのです。人間の理性を対象となった自然から切り離す、この存在の二元論は、科学技術を発展させ、物質文明を飛躍的に高めたものですが、それが諸刃の剣となり、地球環境を危機状態に陥れているのです。
 現在の文明は「所有の文明」であり、「存在の文明」ではありません。「所有」とは、本来の自己ではない外なるものを自己の物とすることです。それは簒奪であり、維持出来る(sustainable)発展ではありません。人類と母なる地球が危機を迎えるにあたり、国連ではSDGsという救いの目標が立てられました。
 SDGsとは何か?その答えは皆さんが今立っている伊勢の地と森にあります。すなわちここにWorld of Sustainableの一つのモデルが見られるのです。
それを私は「とこわか(常若一髙橋注)の思想」と呼びたいのです。以下の文章は、私が2016年、この地で行われたG7サミットに寄せた声明です。

「・・・19世紀から20世紀にかけて頂点に達した機械論的科学主義は、研究対象をあくまで理性に徹した観察者の外に置く主客二元論であり、そこから生まれた盲目的な進歩の概念が物質的な文明論を生み出しました。そのため今日では、二つの対立するイデオロギーが生まれています。文明のグローバル化の中に「成長」を見る科学技術的な見地と、反対に文化的独自性とその価値を尊重し「多様性」を守ろうとする立場です。こうした根深い対立思想の背景には、科学と文化伝統は本質的に相容れず、越えがたい深淵に阻まれている、といういわれなき思い込みがありました。
 この二つの明白に相反する立場の出現は、過去300年ほどの間一一それは実は人類史の2万分の1の時間帯に過ぎないのですが、一一西欧発の科学が古来のホリスティックな(全一的な)、自然観から離れたことによります。
 しかし最近、量子力学をはじめとする最先端の科学は、宇宙には科学が放棄した先人たちの宇宙観に近いある種の全一的秩序一一ホールネス一一が存在することを発見するに至りました。万有の相関と相互依存を説くその新しい全一論によれば、全は個に、個は全に遍照するのであります…」(「東京からのメッセージ」UNESCO 1995)
 この新しい存在論では、人間は大自然の一員として母なる地球と共に永遠の死と再生を繰り返す存在として再把握されるのです。それは「ともいき(共生一髙橋注)」の思想であり、生きとし生けるものの相互依存の実相の把握であります。
 伊勢はサステイナビリティの象徴であり、神社そのものが20年に一度白木で蘇る式年遷宮は、石にも金にもまして、永遠のいのちを語っています。
 ここを訪れたフランスの文化大臣・思想家のアンドレ・マルローは、「ピラミッドよりも、カテドラルよりも、伊勢は雄弁に永遠を物語っている」と述懐しましたが、彼はまさに「とこわかの思想」を読み取っていたのです。
 アーノルド・トインビーは伊勢を訪れた時の感慨を次のように書き留めています。「この聖なる地で、私はすべての宗教に通底する一なるものを感じる。」>

 これは『地球システム・倫理学会』会報18号(2023、10,25)に掲載された服部英二氏の「特別寄稿」から引用したものであるが、服部氏は次のように締めくくっている。

<諸君は世界の様々な文化を代表しておられます。
 したがって私は最後に国際社会が創りあげた大切な生命を引用したいと思います。それは、2001年の9,11という大事件の直後にユネスコ総会が満場一致で採択した「文化の多様性に関する世界宣言」です。
 この宣言は人類の生存には多様性と互敬の精神が大切である、と説いたものです。その第1条はこう明記しています。「様々な交流、刷新、創造の源泉として、文化の多様性は自然界に生物多様性が必要であるのと同じく、人類にとって不可欠である。その意味で文化の多様性は人類の共有遺産であり、現世代と未来世代のために認識され、肯定されねばならない。さらに第7条は、こう明言します。「創造は文化の伝統に根付くものであり、それは他の文化との出会いによって花を咲かせる。」>

 なお、ホールネス(全一的秩序)について詳細に解説したJ.Cスマッツ著『ホーリズムと進化』(石川・片岡・髙橋共訳、玉川大学出版部、2005)を参照されたい。同書には特殊な専門用語が多く訳出に数年を要し大変苦労した。同書の意義について私が解説した「訳者あとがき」もご一読賜れば幸いである。
 
 


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