ユネスコ「世界の記憶」に登録された「南京大虐殺」資料を検証し世界発信を!

●『日本のホロコースト』に掲載された虐殺写真
 4月4日と6日のnote拙稿で取り上げたリッグ著『日本のホロコースト』において、最も力を入れたと思われる第5章「南京レイプ」には、13枚の写真が掲載され、詳細な説明と所蔵場所が明記されている。また、南京の日本陸軍司令官・松井石根大将が中国へ出発する前に、皇居で裕仁天皇に内密に謁見し、その際、「天皇は『南京を占領することで中国政府の抵抗の意志を打ち砕け』という命令を彼に課した」と明記されている。
 これらの写真の多くは私が月刊誌やユネスコ宛の意見書で反論してきた写真であり、その問題点について再反論しないが、最も有名な「ニセ写真」は、「ニュース映画」のウォンが1937年8月28日の日本軍による上海南駅爆撃を撮影した写真で、線路上で泣き叫ぶ赤ん坊の近くで母親が死亡し、「この赤ん坊が、駅への攻撃で生き残った唯一の人」(米国立公文書館、カレッジパーク所蔵」と明記されているが、実際には、この場所に赤ん坊を運んできて撮影したことが写真によって立証されている。
 さらに、次のような説明書きが明記されている。
⑴ 南京の日本軍将校が中国人から切り落としたばかりの首を誇らしげに見
 せる。彼が生首と血まみれの剣を持って微笑んでいる様子に注目してくだ
 さい。中国南京第二歴史資料館と日中戦争の真実を守る同盟
⑵ 切り落としたばかりの中国人男性の首を抱えて誇らしげに立つ日本人船
 員。米国立公文書館、カレッジパーク
⑶ 1937年12月、南京で日本兵によって虐殺された赤ん坊。日本兵は、罪の
 ない子供を殺すことに関して道徳的な基準を持っていないようだった。中
 国南京第二歴史資料館と日中戦争の真実を守る同盟
⑷ 1937年12月、南京の路上で日本兵によって強姦され、殺害され、冒涜さ
 れた女性の死体。日本陸軍がこれらの女性を殺害した後、時間をかけて膣
 に棒を押し込んだことに注目してください。
⑸ 1937年12月、南京で中国国民を斬首する日本兵。数人の日本陸軍兵士が
 カメラで写真を撮影していることに注目してください。大日本帝国陸軍で
 は犯罪の写真を撮影するのが一般的だった。中国南京の第二歴史公文書館
⑹ この写真は中国のチャンキングのもので、日本軍の爆弾が避難所に直撃
 して民間人が死亡したものだと主張している。女性の多くが裸で地上の階
 段の上にいることから、これは南京のものであり、強姦と殺人の証拠を示
 していると思われる。1937年12月、米国立公文書館、カレッジパーク
⑺ 南京の長江岸に積み上げられた日本陸軍兵によって殺害された中国人の
 死体(村瀬守安氏の写真)。1937年12月、中国南京の第二歴史公文書館
⑻ 川岸にある南京の犠牲者の遺体、1937年12月(村瀬守安の写真)、同上 
⑼ 1937年12月、南京で日本陸軍兵によって中国国民党捕虜兵士が処刑され
 た。これの人々は、日本が署名した1907年のハーグ条約に明らかに違反し
 て殺害された、同上

●ユネスコ「世界の記憶」に登録された「南京大虐殺」資料
 ところで、ユネスコ「世界の記憶」に登録された「南京大虐殺」資料に誰もアクセスできないという異常事態が続いていたが、中国の南京出版社より全20冊が発刊された。「前書き」には、虐殺被害者は30数万人と明記されている。中国は申請資料の不備により、ユネスコから追加資料の提出を求められ、同「前書き」によれば、ソ連が1945年8月に中国の東北地方に出兵した時に捕え、1950年7月20日にソ連から中国に引き渡され後、「偵察的尋問と教育的な改造を経て、1956年6月に中華人民共和国最高人民法院の特別軍事法廷の裁判を受けた969人の日本人戦犯」の供述書を追加申請した。
  しかし、「中国共産党が調査した、戦犯日本兵の供述書」は関係者の証言などから信憑性に乏しく(『元兵士102人の証言』の証言者の再ヒアリングの調査結果が集大成された東中野修道『南京「事件」研究の最前線』展転社、参照)、30数万人の虐殺があったという学術的根拠を立証する資料もなかった。
 この資料集の内容を初めて紹介、分析し、全20冊に収録された資料一覧に解説を加えて、史料批判を試みた考察が、歴史認識問題研究会(西岡力会長)発行の『歴史認識問題研究』第7号に掲載(長谷亮介「資料解説」参照)された。

●信憑性ない日記や伝聞
 同「資料解説」によれば、資料は114点で、①戦時中に作成され日本の研究者から反論が出ていないものが11点②反論が出ているものが19点③戦後作成された資料が67点④作成年不明が18点で、30数万人の「大虐殺」を証明できる資料は皆無であった。
 戦後作成された資料の大半は、中国国内で行われた聞き取り調査であるが、被害申告者名や目撃者名が書かれていない極めて粗雑な報告書である。
 まず、第1集の「前書き」に、ラーベ日記の原文にはない文章が偽造されて、証拠資料として提示されている。映像資料は米人牧師ジョン・マギーが撮影したマギー・フィルムだけで、南京の戦犯法廷で傍聴人の前で上映された、戦線記録映画『南京』は収録されていない。
 マギー・フィルムに「日本軍に暴行された中国人が映っている」と主張しているが、暴行場面はなく、マギー自身も東京裁判で、実際の目撃は「殺人1件」と証言しており、東京裁判でも虐殺の証拠として提出されなかった。また、南京占領直後に日本軍の許可の下で行われた戦争の人的・物的被害の調査報告書であるスマイス報告書の本体も全20冊に収録されていない。
 南京市国際安全区で働いていた中国人女性の程瑞芳日記の記述は、当時行動を共にしていたミニ・ヴォートリンの日記と比較すると真逆の内容で信憑性がない。「殺人・強姦等の暴行を実施した」と明記した金陵大学の文書は、単なる「被害額一覧表」にすぎず、日本軍による殺人・強姦を立証するものではない。
 私は同資料が「世界の記憶」に登録される3カ月前にパリのユネスコ日本代表部を訪れ、英文反論資料を手渡し、ユネスコ本部に反論文書も提出したが、登録を阻止できなかった。最大の失敗因は、外務省が積極的な働きかけはかえって反発を招くことを懸念して、事実に踏み込んだ反論をする姿勢に欠け、事前審議で「仮登録」という評価を下した登録小委員会への働きかけが中国に比べて欠落していたことだ(拙稿「歴史戦争の敗北はなぜ繰り返されたのか」『正論』平成27年12月号、参照)。

●検証結果を世界に発信せよ
 従来の論議の土俵を作り直し、「南京大虐殺はなかった」と主張するのではなく、「30数万人の大虐殺があった」と主張して、「世界の記憶」に登録申請した中国側に挙証責任があるという前提に立って、その主張の論拠を学術的に検証し、世界に問う必要がある。
 長谷の試論はその貴重な第一歩であり、戦時中に作成された資料で日本の研究者から反論されていない資料は11点で全体の1割にすぎず、この資料についても「30数万人の大虐殺」を証明できるものは皆無であることが判明した。
 ユネスコ「世界の記憶」の制度改善について、30数カ国で構成されるワーキンググループでの協議を経て、執行委員会で決定されたが、この論議とは切り離して、「南京虐殺」登録資料の学術的検証結果を世界に発信する必要があろう。

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