日本を取り戻す土台は「家庭基盤の充実」

昭和46年6月、文部省の中央教育審議会は「今後における学校教育の総合的な拡充整備のための基本的施策について」答申し、明治と戦後に続く「第三の教育改革」の施策を提言した。この中で、「家庭教育に期待すべきもの」として、家庭は「人間としての精神的成長の基盤であることにかんがみ、基本的な生活習慣と行動の節度を学ばせることによって自制心を培うこと、・・・親密な家族生活の間におのずから人に対する敬愛の念と敬虔な心とを養い、生活と勤労に対する真剣な態度などを体得させること」と明記した。
 同答申で最も注目されるのは、学問的に根拠のある見通しに立って、子供の発達段階に応じた新たな学校体系の先導的試行について提言していることである。「先導的試行」の実施に当たっては、「科学的な実験計画を立案するとともに、その成果については、教育者・研究者・行政担当者の協力による専門的な組織によって継続的に厳正な評価が行われるような体制を整備する必要がある」と指摘し、幼小・小中・中高の連続性について発達段階に応じた教育内容・方法の究明が必要(この視点は極めて重要で、大きな影響を与えた」とした。

●『家庭基盤の充実』(大平政策研究会報告書

 この46答申を高く評価した学習院大学の香山健一氏が幹事としてまとめたのが「大平総理の政策研究会報告書ー3『家庭基盤の充実』」(昭和55年)であり、臨教審論議にも受け継がれた。「親学」の源流の一つは同報告書にあり、親学関係者必読の書であるが、絶版で入手不可能なため、要点を紹介したい。
 同報告書はまず「21世紀へ向けての提言」(総説)として、提言のベースとなった「近代を超える」文明史観と「文化の時代」の到来と提唱される歴史観について説明し、「物質的・経済的豊かさ」にとどまらない「精神的・文化的豊かさ」を求める「日本文化の特質」の再発見・再評価に言及しつつ、「家庭は人間社会の最も大切な基礎集団」であり、「家庭基盤の充実」は、人間の生命を尊重する「新しい世紀を先取りする試みである」と述べている。
 人間関係を大切にする「日本文化の特質」と「自助努力」を支援する先駆的な「家庭基盤の充実」施策の5原則は、「自立性強化」「多様性尊重」「地域特性尊重」「助け合いと連帯」「総合性」であり、近代を超える「文化の時代の経済運営」の基本理念は、「人間性」「自主性」「創造性」「地域性」「国際性」である。
 「人と人との間柄」を尊重する「人間性の回復」が求められており、「国際化」とは、「自らの文化を相対化し、相手の立場でものを考え、世界各地域の文化や伝統に根差した特性を相互に理解し、尊重しつつ、相互の交流を深めることである」と定義されている。日本文化の特質を、全体と個の調和を図り、個の独自性と多様性を尊重し、「しなやかな」分散型構造として捉え、全体と個の調和を図る“holonic path”(包括的な途)と呼んでいる。
 近代科学技術は対象(全体)を要素(個)に還元する「アトミズム」を基礎として成立し、全体との関係における調和よりは個や要素を追求したために、地球環境の破壊や「家庭崩壊の危機」などの様々な地球的問題を惹起した。この問題を解決するためには、人間関係や人間と自然との調和を重視する日本の「伝統」的価値観を見直し、「風格のある家庭」や「美しき老年」などの「日本型成熟社会の創造」を目指す必要があるとした。

日本文化の最善のものと克服すべきものを見極める

 今日の「家庭崩壊の危機」を克服するためには、「日本文化の特質」すなわち「伝統」の価値観とは何かを再発見・再評価する必要があり、全体と個、独自性と多様性を包括的に捉えて尊重する“holistic path”と結びつけて考察している点に注目する必要がある。
 「多様性はアイデンティティーの本質そのものであり、分離ではなく包含の要因である」ことは2001年のユネスコの「文化の多様性に関する世界宣言」でも認められている。また、2007年に開催されたユネスコの「持続発展教育(ESD)」国際会議の基調講演で提起された「交響的創造」や同会議で採択された「ホリスティックESD宣言」における次の指摘に留意する必要があろう。
 「何が子供の全人的な発達のために適しているかを注意深く考え、学びの環境をデザインしていくことが持続発展教育の目的を実現する」「伝統文化を創造的に継承していくためには、その文化の最善のものと克服すべきものを見極めていく眼を持つことが大切である」「伝統と現代の融合(syncretism)」「子供たちに伝える前に、大人たちは持続発展教育文化を自ら体現して生きなくてはならない。そのような大人の存在そのものが、子供の存在を育てる」
 「大人が自ら体現して生きる」ことが「親学」の基本理念である「主体変容」に他ならない。大人(親や教師)の「主体変容」の生き方を子供に率先垂範して示すことが「師範力」となるのである。親学や師範塾に10年以上に亘って取り組んできた私の思想的原点はここにあるといっても決して過言ではない。まず大人が「自らを育む」=「育自」によって、「子供を育む」=「育児」が可能となるのである。

日本の伝統の創造的再発見・再評価

 今後の家庭教育支援法・条例の審議にあたって、こうしたユネスコの持続発展教育国際会議の本質的な問題提起や大平政権の同報告書の包括的な視点を踏まえる必要があろう。日本の伝統を自主性や多様性を否定する「封建的道徳」という固定観念でイデオロギー的に捉える浅薄で硬直した批判が目立つが、「しなやかな」「包括的な(holonic)」視点から伝統の創造的再発見・再評価をする必要がある。
 日本の「伝統」の「最善のもの」と「克服すべきもの」の光と陰の両面を曇りのない眼で見極めることが大切である。封建的で差別的な偏見や偏狭なナショナリズムは日本の伝統的価値観とは「似て非なるもの」であることを明確にしなければならない。伝統的な家族・地域共同体の崩壊の現状を踏まえて、「伝統と現代の融合」をいかに図るかが問われている。
 道徳の教科化や家庭教育支援法案批判にも、この点を誤解した旧態依然とした的外れのレッテル張りが散見されるが、自主性や多様性を尊重するバランスのとれた「しなやかな」「包括的な途」こそが日本の本来の伝統的価値観であることを見落としてはならない。
 その意味で、同報告書は包括的に家庭教育政策を論じるための必読文献の一つといえる。同報告書に明記された家庭基盤の充実」施策の基本理念や後述する具体的提言は多様性を尊重する「しなやかな」「包括的な」視点に立脚していることを十分に踏まえて議論する必要があろう。
 同報告書は前述した5原則と近代を超える「文化の時代の経済運営」の5つの基本理念に立脚して、包括的な「家庭教育基盤の充実のための12の提言」を行い、子供・婦人・高齢者のための家庭基盤の具体的な充実策について、次のように提言している。紙面の都合で、<子供のための家庭基盤の充実>を中心に紹介し、その他については、最後に、注目点を抜粋する。

家庭基盤充実のための12の提言

⑴    住宅・居住環境の質の改善―空間的基盤の充実
⑵    ゆとりと活力ある家庭生活―経済的・時間的基盤の充実
⑶    健康で生命力あふれる家庭―健康のための家庭基盤の充実
⑷    未来のための育児と家庭教育―子どものための家庭基盤の充実
⑸    婦人の生きがいと生活設計―婦人のための家庭基盤の充実
⑹    高齢者の健康と老後設計―高齢者のための家庭基盤の充実
⑺    自立に困難を抱える家庭への支援―心の通い合う暖かい福祉基盤の充実
⑻    文化活動と多様な生涯教育の充実―文化・教育基盤の充実
⑼    家庭に対する情報の提供―情報ネットワーク基盤の充実
⑽    家庭とコミュニティーの連帯―コミュニティー基盤の充実
⑾    国際的に開かれた家庭―国際交流のための基盤の充実
⑿    政策の総合的推進体制の確立―家庭基盤充実のための行政基盤の充実

子供のための家庭基盤の充実

⑴    幼児教育・家庭教育の質の向上―幼児教育とは父親・母親教育、家庭教育の質を決定するのは親の見識と能力―親になるための知識や技術の修得が必要
⑵    家庭に関する研究・教育の充実―総合的な講座や研究所を含む学際的共同研究や教育を促進する組織の拡充、家庭科の内容の見直し➡良い親となるために必要な知識、技術を身に付けさせるよう学校教育の改善、充実を図る
⑶    母と子の健康の確保―産後休暇の大幅延長、母性の健康確保のための施策の充実、心身障害の予防・早期発見
⑷    育児休業制度の拡充―3歳までの教育が極めて重要➡有職婦人が育児に専念したい場合には主婦専業となれるよう育児休業制度を充実する、10年以内なら無条件に職場復帰できるように保障
⑸    出生率低下の外的要因の軽減―扶養手当の増額など
⑹    育児経験の交流
⑺    保育所の役割=「あくまで家庭の機能の一部を代替し補完するものである」➡「親の都合によって、親の権利でもあり義務でもある養育やしつけを、保育所に転嫁する傾向が一部に見られることは残念である。また、保育所による集団保育も、家庭における養育、しつけや教育との結びつきをもってはじめて、その機能が発揮されることを忘れてはならない」
⑻    子供の躾と教育―家事の積極的分担、親子の触れ合いのある弁当の再評価、子供部屋への配慮(親の目や人と人の触れ合いにも配慮)、「教育(充電)と文化(放電)は車の両輪」、「各家庭は挨拶の仕方、返事の仕方など礼儀作法の型を教え、しつけを確立していくことが大切である」、ボランティア活動への積極的参加、「弁当の日」の増加

●「日本型福祉社会」と家庭基盤の充実

<婦人のための家庭基盤の充実>
●夫人の育児活動に対する社会的評価―母親としてのプロ意識、専業主婦の自信と誇りの確立
<高齢者のための家庭基盤の充実>
●三世代同居の条件整備
●一人暮らしの孤独死への対策
<家庭基盤充実のための行政基盤の充実>
●縦割り行政を見直し、各省庁の連絡調整を緊密にし、総合的展開を図る➡内閣総理大臣を本部長とする「家庭基盤充実対策本部」を設置

 同報告書の前年に自民党が出版した『日本型福祉社会』も必読文献である。同書は第1章で香山健一著『英国病の教訓』で紹介している『英国衰亡論-明治138年日本高等小学校教科書』を取り上げ、「イギリスについて診断された英国病の原因は今日の我々に思い当たるものばかりであって・・・我々はこのイギリスの経験を見て、『前車の覆るは後車の戒め』としなければならない」と述べている。
 さらに第6章「日本型福祉社会を目指して」では、「家庭機能の見直しと強化」について論じ、最後に「結論」として、「日本型福祉社会を目指すための基本的な目標」を次のようにまとめている。
⑴    個人が自由に、多様で合理的なライフ・サイクルの設計をすることができるような、自由社会の様々なシステムを堅持すること。
⑵    個人を包む最小のシステムである家庭の基盤の充実を図り、安全保障システムとしての家庭の機能を強化すること(以下、略)。


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