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MOON CHILDとぼく。

僕が大江千里さん大好きマンなのは過去のnote記事でも散々書いているし、今後もきっと綴るのだろうけれど、僕を形成した音楽の中には他にも忘れてならない音楽、バンドがある。
「MOON CHILD」である。
千里さん並みにMOON CHILDには思い入れがある。だから、今回のnoteも長い。

ムンチャ、ムンチャイ、人によって略し方が違うので、オフィシャルな略し方はどっちなんだろうと気になるバンド。

1997年。
中学生だった僕が初めてMOON CHILDの音楽に触れたのはやはり「ESCAPE」であった。ドラマ「FiVE」の主題歌だ。
オリコンランキング1位を獲得したその曲は、ドラマを観ていなかった僕の耳にも何度も届いた。
だがこの時の僕はまだMOON CHILDにハマる前。カッコいいしキャッチーだったけれど、MOON CHILDをもっと知りたいとはその頃まだ思っていなかった。
が、ある時テレビから聞こえてくるCM音楽に振り返った。「ESCAPE」に続いてリリースされたシングル「アネモネ」だ。
なんという最高のメロディとコード感だろう。
そうか、MOON CHILDの「アネモネ」か。
すぐにCD屋に駆け込んで「アネモネ」の8cmシングル(短冊)を購入。
その頃の僕が放課後の根城にしていた祖父母宅のハナレで再生させると、部屋のスピーカーか流れる「アネモネ」に痺れ、カップリングの「夏草の想い」にひれ伏した。
何て素敵な音楽なんだろう。MOON CHILDをもっと知りたい!
すぐに「ESCAPE」も買った事は言うまでもない。
そして、1997年にリリースされたシングル「微熱」「ESCAPE」「アネモネ」「Hallelujah in the snow」が収録された2ndアルバム「MY LITTLE RED BOOK」の初回限定版を購入して聴き込んだ僕は、1stアルバム「tambourine」や過去の8cmシングルを買い求め、「hallelujah〜」に続くシングルたちも買い求め、MOON CHILDにズブズブとのめり込んだ。MOON CHILDが特集されている「月刊 歌謡曲」(通称「ゲッカヨ」だ!)も買った。
特に「MY LITTLE〜」収録の「ストロベリーアイスクリームソーダ」を聴きながら、13歳だった僕は、文庫本をジーパンの後ろポッケん中に入れて、すぐにでも家を飛び出してバスに揺られたい気分に何度も浸った。

1stアルバム「tambourine」では、死にたくなくなる程大好きな「瞳とじれば」に出会った。

MOON CHILDの曲がリリースされる度に、誌面に載るから、先述のゲッカヨを毎回購入し、その歌詞とコードが載ったページと、巻末のコード表と睨めっこしながら一生懸命MOON CHILDの楽曲の謎解きをして勉強した。
そんなムンチャ(イ)ライフを満喫していた中学2年生の一月、突如としてMOON CHILDが解散を発表。
今思えば、最後の渋谷ライブに行けば良かったと悔やまれるが、当時の僕は大江千里さんの所謂「コンサート」にしか行った事がなかった為、「ライブ」に行くのには気持ち的なハードルが高く、MOON CHILDの最期を見届ける事はなかった。
今思えば高くも何ともない、何ならハードルは低かったはずなのに。

高校生になって同級生と組んだバンドは、当初oasisみたいな音楽がやりたくて、何曲か英詞の曲を書いていた。
でも間もなく、「やっぱりバンドやるなら、MOON CHILDみたいな音楽やりたい!」と思うようになり、MOON CHILD解散後に発表されたベストアルバムに収録された未発表曲の「GOLD」を耳コピーして一生懸命演奏した。
が、僕を含め余りにもバンドの技術が無さすぎて数回のリハーサルで断念。MOON CHILD路線も諦めて、別の音楽性でバンドを続けた。

それくらい、僕はMOON CHILDが好きだ。
MOON CHILD解散後のオサムさんとワリッチさんのバンドSCRIPTもインディーズ盤から買い求め、よく聴いていた。SCRIPTもかなり聴いたものだ。
そんなある時、僕のバンドを良くしてくれていたライブハウスでSCRIPTがワンマンライブをやるという事で、お邪魔させて頂く機会があった。
ライブは勿論最高で、オサムさんもワリッチさんも初めて生で拝見できてもう感激。
しかも、ハコ側の厚意で、終演後オサムさんに挨拶までさせて頂いた。
「生ササキオサム」のオーラのすごい事すごい事。何を話せば良いのか分からず「ずっと好きでした」とかなんとか言っちゃってたと思う。「”エンドルフィン”が大好きです」と伝えると「きみ、なかなかマニアックだね」と返してくれたオサムさんの笑顔を僕は忘れない。

それから何年も経って、2017年3月、MOON CHILDがオリジナルメンバーで復活、Do As Infinityと2マンライブ。
これは行かなければきっとずっと後悔する。
今度の僕は迷わずに、渋谷O-EASTのチケットをゲットした。
ライブ当日、黒山のフロアへ歩みを進め、鳴り始めた最初のナンバーは「WILD CHERRY」。あっという間に僕は13歳のあの頃に引っ張り込まれて、続けて「グロリア」。
「選ばれた場所」を聴きながら何故だか涙が出てきて、「ああ、ずっと僕はMOON CHILDがこんなに好きだったんだなぁ」とビシビシ感じたのであった。
そしてアンコールには大好きな「瞳とじれば」。この夜の感動はきっとこれからも忘れないと心に誓った。

しかし2017年、この年、僕の感動はまだ続いた。
感動のライブから数ヶ月後の8月、これまた良くしてくれていたライブハウスの計らいで、何とササキオサムさんと一緒にイベントに出演させて頂ける運びとなった。
もう、どうしよう。こんな事あったらダメだよ、ダメ。口では言いながら、ライブの日までほぼ毎日小躍り状態だった僕。

ライブ当日に実際にオサムさんとお会いすると、緊張と感動でうまく言葉が出てこない。
ずっとオサムさんの音楽を聴いてきた事、新宿のSCRIPTワンマンの後にご挨拶した事、O-EASTのライブに感激した事、ちゃんと言えたか定かではない。「言いそびれたこと しゃべりすぎてしまったこと 肝心なこと何一つ言えないまま」だったかもしれないとも思う。
それでもオサムさんは、とても気さくでカッコよくて、オサムさんのステージでは「コウスケくんのために歌うぜ!」と「Happiness」を歌ってくれた(自慢)。
終演後には、僕が持って行った「アネモネ」の8センチシングル(短冊)に、「ササキオサム」サインに加え、「MOON CHILD」時代のオサムさんのサインもしてくれた。

当時「SNSに載せていいよ」と仰ってくれたので、自慢込み込みでここにも載せる。
オサムさんの左手にあるのは、僕の「アネモネ」。宝物が家宝になった。
そして、最後に一緒に写真も撮ってくれた。

タカハシコウスケとして、ソロになって活動する中で、途中で挫けたりしなくて良かった、と強く思った日だった。
写真を見た僕のサポートメンバーの先輩たちが「タカハシってこんな顔して笑うんだね」と言った。
確かに、そうですね、自分でもそう思いました。
またオサムさんとご一緒出来るように、僕も頑張るぞ〜っ!と、この記事を書きながら改めて思っている。

そういえば、オサムさんに「ムンチャ」と「ムンチャイ」どっちがご本人たち的に正解だったのか聞くのを忘れてしまった。

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