「日本列島回復論」読了

自分自身が地方に住み続けるにあたって、地域との関わり方、今後の生き方の示唆を得るために選んだ本。

中央志向が続くほど、とにかく働かなければいけなくなるという現在の社会について、「山水郷」に注目することで解消できるのではないかと提言している。

現在の中央志向型の社会構造では稼げば稼ぐほど、さらに稼がなければいけなくなる。稼ぐことに制限がなくなり、疲弊し、いつまでたっても安心を手に入れられなくなる、という主旨には仕事にやりがいを見いだせていな最近の現状から同意することが多かった。

著者によると、安心は「人のつながりと山水の恵み、そしてその恵みを生かすため力が揃って初めて安心がえられる」という。これらが最低限あることでセーフティネットの構築につながる。

セーフティネットに「山水の恵み」が必要なのは、現在は環境や災害といった、私たちが生きていく上で必要不可欠な資源となってきているからだ。しかし、ただ目の前に資源があったとしてもそれをうまく使いこなす力が必要であり、人の繋がりが安心感を醸成する。

都市では人の繋がりと恵みを生かす力、というのは得られそうだけれど、「山水の恵み」は得られない。

日本古来の「山水郷」を見直すべきという論点自体は、同意できるものであり、近年の足利市での山火事など自然災害を見ると、セーフティネットもしっかりとした管理が必要だという認識は生まれてきているだろう。

ただ、そうは言っても、都市の利便性を享受した私たちにとって、田舎や地方の重要性を自分ごととして動こうという気持ちになるかは別だろう。

そこで著者は「山水郷に住むことに合理性を見いだせないと思ってしまう感覚は一度疑ってみる必要がある」という。

私はこの「山水郷の合理性を疑う」ことを促すことに本著の他の田舎礼賛的な主張とは異なる点だと感じた。

「合理的=便利=いいこと」という考え方を変えないことには地方や田舎はいつまでも都市より劣ったものだと見られてしまうからだ。さらに合理性を追求することが成長を実感することに繋がり、充足感につながっている。ここを変える必要がある。

この考えを社会全体で変えていくために、著者は中小企業の動きを促す。

コマツや山形県鶴岡市では、地方にいるからこそ、イノベーションが起こせるという事例を紹介する。

ただし、著者の主張で若干の違和感を感じたのは、「成長」に関する記述だ。

「私たちがいまだに明治の物語に縛られているのは、それ以上に心を揺さぶられる物語と出会えていないからです。それはとどのつまり、”成長”以上に価値があることを見いだせず、成長の中以外に自分達の居場所を見つけることができてこなかったことを意味します」

企業は基本的に収益を追うために成長していかなければいけない。そうしないと生活が成り立たないからだ。

地方に山水郷に注目してもらうために企業に移転してもらう必要があるが、成長以外の視点が必要とはしているが、それを打開する解決策は示せていない。

著者が示すヒントは2つある。一つが「古来と未来」の断絶をつなげることだ。「私たちがどこからきたのか」を示す古来のテクノロジーと「今後どうあるべきか」を示す未来のテクノロジーをつなげること。2つめは均一な成長を目指さないことだ。

振り返って何があったのかがわからなくなることを防ぎつつ、新たな価値観を作っていく。具体的な手法は今後、読者の私たちが作っていく必要があるだろう。

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