「地域学入門」読了

「地域絶対主義」とでも言えるような印象を受けた。今の都市化が進んだ世の中で「地域」はどこまで重要なのかが疑問だ。もはや地域学は機能しないのではないかとさえ思っていた中で、やや偏った内容かなという印象を受けていた。

しかし、3章の「歴史と文化の章」にある重要な指摘から、地域学が必要性を感じた。

子どもたちにはいまや、地域の人材であるよりは、国家にとって必要な人材になることが、以前以上に求められている。(p249)

上記のような状況の中で、今後は我々はますます国家に依存する教育がされるべきなのだろうか。著者はそうではなく、地域学にこそ豊かさがあり、さらには主権を持つ可能性が残されていると主張する。

いまの実態は、地域の人々がなんでも行政に委ね過ぎているという感じがある。(p252)

今後、未来を生きる中で上記の指摘は非常に重要だ。

インターネットが普及し、スマホやSNSを誰もが使う中で、個人のデジタルデータが着々と蓄積してくる。私たちは自分のこと(自分のデータ)は自分で管理しなければならない未来がやってくることが指摘されている。日本ではまだそうした意識は少ないが、欧米ではデジタルプライバシーに関する意識は高まっている。

地域学はそうした時代に、我々が自己主権を確立するための一つの手法なのではないかと読めてきた。

著者は私たちはすべて文化によって生かされているという。そしてその文化は「すべて加工されている」。

地域学はその加工の仕組みを学ぶ方法だ。

現在の都市ー地域の関係では、地域はどこも同じで、人口規模での違いでしかないと私は考えてきた。実際にそうなっているのだが、著者は、地方が国家に一律的に従属してしまったことによって一気に衰退してしまっていることを危惧する。その衰退を止める方法としての地域学なのだ。

中央任せにしない「地域ナショナリズム」を確立し、自分の地域を守ることが自分自身のためになり、ひいては、世界を救うことになると本著は説いている。

ただ、その地域ナショナリズムを構築することが単に社会・文化・生命といった大枠の歴史を知るという提示には無理があるような気がする。そうした社会や文化、生命に物足りなさを感じたからこそ、「都市ー地域」といった二元対立を産んでしまったのではないかと思うからだ。

今の私たちには地域の他にメタバースといったデジタル空間も居場所として存在してくる。

おそらく今後は「地域」という括りでは私たちは暮らしていけない。個人が主権をもち、それが緩やかにつながるコミュニティを持つこと。「地域」もあるし「デジタル世界」もあるし「習い事」、「仕事」と多くの選択肢を持つこと。それらをより強固にしていくことが重要なのではないだろうか。

https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480074294/

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?