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ひきこもりおじいさん#49 濁った湖面

「ん?どうした?俺の顔に何か付いてる?」
隆史の視線に気付いた信之介が真顔で聞いてくる。
「いや、あの・・・松田さん、少し痩せました?」
思い切って隆史が聞いた。
「そうかな?自分では痩せたとは思ってないけど。気のせいじゃない?」
「そうですかね・・・」
「あ、そうだ!忘れてた。はい、これ」
話題を切り替えるように、信之介がペットボトルホルダーに掛けてあったビニール袋の中から、まだ温かいペットボトルのお茶を差し出した。
「これは?」
「これは俺からの奢り。寒いなか、待ってて貰ったからさ」
「ええ?すみません。ありがとうございます!」
信之介から受け取ったお茶は購入してから時間が経っていないせいか、まだ充分な温もりを持っていて、隆史の冷えた手を包み込むように温めた。隆史はお茶を一口分だけ口に含むと、そのお茶が寒さで萎縮している喉から胃にかけて、じんわりと自分の中に広がっていくのを感じた。
「いや~、やっぱり長野は十一月でも寒いね。いや今回さ、死んだじいちゃんの命日がちょうど今日で『命日に顔だけは出しなさい!』って、母親に電話できつく言われたから、何とか都合つけて一日だけ戻って来たけど、これはちょっと薄着過ぎたな」
信之介がジャケットを触りながら自嘲気味に言った。
「そうですよ。だって松田さん、見るからに凄く寒そうですもん」
「あ、やっぱりそう?まぁ、一日で帰るし、法事ではスーツも着るからさ、荷物増やしたくなくて安易に考えたのがいけなかったよ」
「杉本さんは、その格好について何も言わなかったんですか?」
隆史が何気なく聞いた。 あれだけ気配りが出来る美幸が、信之介の薄着に何も言わないのは、ちょっと不思議な気がしたのだ。
「うん?まぁ、そうだね・・・」
そう言って信之介が急に沈黙すると、引き摺られるように隆史も黙ってしまう。信之介が産み出した沈黙は、何か特別な苦悩の色を帯びているように隆史には感じられた。美幸に何かあったのだろうか?疑問は湧いたが、それを直接信之介に聞く勇気はなかった。そのあと二人の間には間延びした嫌な沈黙の時間が広がっていた。しかし、何とかしなければと思えば思うほど言葉は出てこない。
「・・・あの、その『会って貰いたい人』についてなんですけど」
恐る恐る信之介の様子を窺いながら、ようやく隆史が切り出す。こんな沈黙が新宿に到着するまで続くのは想像するだけでも辛い。
「え?そ、そうか隆史くんも、そこが一番聞きたいよね。じゃあ、まずはあの花火大会の日に隆史くんと別れた後の事から話していこうか?」
「お願いします!」
そう言って隆史が答え、視線を景色が流れる車窓に向けると、既にスーパーあずさはトンネルを抜けて、岡谷から諏訪に入ろうとしていた。そこには曇天の下、家々の間に隠れるように現れた諏訪湖の濁った湖面がちらりと目に入った。

#小説 #おじいさん #スーパーあずさ #ペットボトル #奢り #諏訪湖

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