汚(けが)れた霊が戻ってくる
イエス様は多くの譬え話を用いて私達に正しい道を教えてくださいました。この譬えもその1つです。
『汚れた霊は、人から出て行くと、』とあります。この譬え話はイエス様が悪霊にとりつかれ目も見えず口も利けない人を癒やされました。
聖書のベルゼブル論争(聖書によって問答になっていたり色々あります)です。それ以外にも『木とその実』や『人々はしるしを欲しがる』(共に新共同訳聖書における見出し)などがあります。
その3つの話をされたのち最後にこの『汚れた霊が戻って来る』の譬え話をしてくださいました。
つまり43節の『汚れた霊は、人から出て行く』というのは追い出された。ということになります。
そして『人から』つまり、悪霊は人の体を家として住み着いていました。
次に『砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。』とあります。
現在のイスラエルには広大な砂漠地帯が広がっています。なんと60%が砂漠とのことです。
砂漠は強い日の光を遮るものがなければ、暑さと乾きで非常に辛い場所ですね。夜は冷え込みが厳しいと聞いたことがあります。
さすがの悪霊も辛いと感じたのでしょう。休む場所。つまり神様に逆らう者をうろつきながら探していたのでしょう。
ヨブ記に出てくるサタンのようですね。
イザヤ書には2箇所で休む場所が見つからず辛い中にいることを このように書かれています。
平和ではない場所という言葉が、イエス様の譬え話に出てきた砂漠のことですね。
44、45節では悪霊が次の行動に移ります。
悪霊にとって住みやすい家(体)
悪霊にとって住みやすい家とは
1,空き家になっている。
神から離れている状況
2,掃除をして、整えられていた。
偶像崇拝など再び罪をおかす
福音書ですからイエス様がまだ人の姿でこの世におられたときの話です。
しかし、神様が書かれた聖書に不必要なことはありません。この譬え話は私達にも話しかけてくださっています。
私達の場合は先の2つに加え、体に精霊様がおられない状態、または信仰が弱まっている状態です。
私達の体は神様から頂いた精霊様が宿ってくださる神殿でなくてはなりません。
これらのことが守られていなければ悪霊は戻ってきます。それどころか次は仲間を探してまで連れきて住み着きます。
最初に住み着いてた悪霊の仕業で目も見えず口も利けなかったのだとしたら、他に連れてきた悪霊はそれよりも悪いのですからどこまでひどくなるのでしょう。
そうならないために
私たち自身を悪霊のすみかとしないようにしましょう。聖霊がいつも私たちの内に満たされているようにすることが大切です。
具体的には、神に愛されていること、神の恵みを受けていること、神に守られ導かれていることを繰り返し確認し、神に感謝しつつ生活することです。そのためには、私たちの心が、いつも神に向けられていることが肝要です。
聖霊が私たちに宿ることにより、その聖霊の力により、信仰による喜びと平和に満たされ、希望に満ちあふれるようになると信じます。
アァメン
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