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「生活者」として生きる

京都に拠点を移して早2か月。色んな所を行ったり来たりしながら、ようやく少し見えてきた方向性。

それは、「生活者として生きる」ことを大切にしたいというものでした。

労働者としての前に、生活者として

東京で働いていた頃は、「労働者」としての側面が強すぎて、「労働者である前に生活者である」ということを、どこか忘れていた気がします。

大きい部分で行くと、東京から京都に戻ってきて「食」が大きく変わりました。東京ではほぼ100%外食だったのに対して、京都では平日はほぼ毎日自炊をする中で、キッチンに立ち、定期的にスーパーや八百屋に足を運ぶ、という行為が加わったのは、「生活者であるという実感」を思い出すために、大きい要素だった気がします。

今は、そこから一歩踏み込んで、「(野菜など)どんな食品を選ぶか?」「どんな器を選ぶか?」「何気なく食べている食品はどうやってつくられているか?」という部分に意識がいっている感じがします。(値段などとの兼ね合いですが、どうせ買うなら、顔の見えるつながりから買いたいなという気持ちが強くなってきています。)

このあたりは、色々勉強中です。

河井寛次郎記念館に行って感じたこと

「生活者として生きたい」という想いが強くなっていたタイミングで、河井寛次郎記念館に足を運びました。

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「暮しが仕事 仕事が暮し」「新しい自分が見たいのだ──仕事する」などなど河井寛次郎が残した言葉や、過去のスタイルを捨て作品を生み出した生き様がかっこよすぎて、大変感銘を受けました。

京都で問われている姿勢

同じようなタイミングで、恵文社一乗寺店でBRUTUSを手に取りました。

この本の中で惹かれたのは、京都の本屋・出版社たちの鼎談でした。そこには、ミシマ社の三島さんの言葉の中で、ちょうど考えていたことが言語化されていました。

三島 旗が立派であるかより、あるいは、数学的な結果がどうかより、あくまで生活者としてどう生きているか。京都ではその前提が何より問われている気がします。(BRUTUS特別編集 合本 すべては、本から。P173)

最近発売されたミシマ社の「くらしのアナキズム」も、「生活者としてどう生きていくか?」という問いが裏にあるように、読んでいて感じました。

理想論を貫く実験

そんなこんなで、河井寛次郎やミシマ社にインスパイアされ、「生活者として生きる」ことによって、「その結果仕事になる」、みたいな生き方ができないか、という実験を掲げました。感覚的ですが、「仕事のための仕事はしない」という感覚でしょうか。

当然お金が出ていくばかりだと生活できなくなる可能性もあるので、今年度中など期限を決めて、やっていきたいと思います。

こんな、人によっては「そんな生き方、理解できない」と思うことも、共感・応援してくれる人が周りにいるので、ありがたいなと思いつつ、直感に従ってやっていきます。


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