トランスジェンダーになりたい少女たち 4


 続きです。

安倍晋三氏はアメリカで起こっているこうした事態を認識されていたようで、LGBT理解増進法にも慎重な姿勢だったと聞きます。推進を求める稲田朋美氏らにも「これは国際的な政治闘争だから、、、」と慎重な姿勢をといていたとも聞いています。それが全て本当かどうかはわかりませんが、こうした話を聞いたのは当然亡くなられる前ですし、記憶の範囲ではそこから更に数年前だったと思います。それくらい前から本書に描かれているような事象を把握されていた安倍晋三氏は流石だなと思う一方、安部氏暗殺後、1年であれだけ強引にLGBT法案を通すことになるのですから、「政治闘争」なんて言葉がしっくり来てしまいます。。

少し話がそれますが、昨年読んだカーソン・マッカラーズ著、村上春樹訳「結婚式のメンバー」は、主人公の12歳の少女・フランキーの心情を描いた物語です、突如として学校で自分の呼び名を「ジャスミン」に変えてしまったり、結婚する兄とその妻と一緒にどこか遠くへ行くと妄想していたりとなんとも訳が分からず共感できない一方で、その年代の少女の心情の不安定なところを良く表しているようにも思えます。そうした評価も多いようです。つまり、思春期の年代なんて言うのは、どうしたってフラフラしてしまうのですから、そのタイミングで一生を左右するような決断を、自分一人だけでしてしまうというのはよろしくないということでしょう。そして、そのような決断をしてしまい、「Irreversible Damage」を背負ってしまった少女がアメリカで急増しているというのが本書の内容でした。

KADOKAWAではタイトルを「あの子もトランスジェンダーになった」としていましたが、産経新聞出版では「トランスジェンダーになりたい少女たち」と変わっていました。読む前はこのタイトル、ちょっとどうなのかなと思いました。決して少女たちが「なりたい」なんて思っているわけではないだろうと思っていたからです。しかし、読んでみてとてもしっくりくるタイトルでした。「なりたい」と思っているわけではないのですが、自らのアイデンティティが確立しないうちに、周囲に流されて「なりたい」になってしまっているということでしょう。

本書の発売にあたって抗議活動などがあったようですが、その抗議の内容は「差別を助長する」というものだったそうです。しかしながら、どこがどう差別を助長することになるのやら、全く読み取れなかった私は読解力が乏しいのかもしれません。

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