昭和の文人

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 江藤淳著「昭和の文人」を読みました。著者は文芸評論家で、福田和也氏を見出した方です。本書も福田和也氏、坪内祐三氏の対談本の影響で手に取りました。


 「昭和の文人」として平野謙、中野重治、堀辰雄という3名を取り上げていましたが、かろうじて堀辰雄の名前を存じ上げている程度、しかも映画「風立ちぬ」を観て、原作を買って積読してあるのですが、その原作が堀辰雄という程度しか知りません。平野謙は同姓同名の野球選手ならよく存じ上げております。


 その3名に共通するのが、福沢諭吉の「一身にして二生を経るが如く一人にして両身あるが如し」という言葉のような経験をしているということでした。この言葉から個人的に読み取れるのは、「人生二回分」ということ。二つの生涯を生きる、あるいは体が二つくらいに生きるということで、バリバリと仕事をして成果を出したような人のことかと思ったのですが、そうではなく「一生のうちに全く違う人生を体験することは、まるで一人の人間が二つの体を持つようなものだ」という意味だそうです。そして、そのような導入だったということを、読み終えた後に理解しました。


 平野謙については、そのあたりを読み取り切れませんでした。平野は著者と同じ文芸評論家で、本書には自身が書いた「島崎藤村」のあとがきが引用されていました。この部分がかなり重要だと、著者はいうのですが、ちょっと理解しきれず、平野氏については読み終えてしまいました。


 続いて中野重治ですが、こちらは共産党員だったものの、戦後に転向しているので、そのあたりが「一身にして二生を経るが如く一人にして両身あるが如し」ということなのだと思います。どのあたりで転向するに至ったのかを、中野の著作を引用して、行間を読みながら探っていくのですが、この辺りの分析はちょっとついていけないレベルでした。


 堀辰雄は、ちょっと家庭が複雑で、実母と養父の家庭で育ちます。そのことを知る前と知った後で違った人生という意味なのかと思います。実父は裁判所の監督書記で、堀辰雄と別居してから、早くに亡くなってしまうのですが、堀辰雄が成年に達するまで恩給が出ることになったのだそうです。この恩給を管理しているのは両親なのですが、なんていうか堀がその恩給の存在を知ると、度々金を無心するようになるのですが、この辺りのやり取りや結構ヤバい人みたいな印象を受けました。でも、文人なんて言う方は、ある程度そうした気質もないと良い文章は書けないのかもしれません。


一人終えるごとに「一身にして二生を経るが如く一人にして両身あるが如し」が登場するのですが、内容が難しいので、この文言が登場すると「あぁ、そうだった」と思い直すのですが、他の2人についても同様に難しさに負けて全体像を追いきれませんでした。


そんなわけで、ちょっと難しくて理解度が薄く、堀辰雄のヤバさが際立った作品となりました。

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